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第10話 町の小さな治療院
朝は先に目覚めていたデイルに髪を梳かれ、編んでもらった。
彼はなにごとも器用だ。不思議に思い聞いたら、出立するまでのあいだに、侍女から教えてもらったと言われる。
確かに旅の途中、身支度を調えてくれる者はいない。
とはいえ旅の服は普段の衣装とは違い、簡単な作りをしており、ユーリ一人でも脱ぎ着ができる。
だが髪の毛の手入れと、丈夫な作りのブーツだけは、大変だからとデイルがしてくれた。
靴紐を編むとき、当然ながら毎回跪かれるので、ユーリはとても落ち着かなくなる。
髪の毛も、普段の撫でる仕草とは違う丁寧さで触れられ、そわそわする気持ちが強くなった。
(僕は気にしすぎているんだろうか。騎士である彼にこんな真似をさせている状況を)
身支度がすっかり調い、満足げに微笑むデイルの表情に、ユーリは気恥ずかしさから視線を俯けてしまった。
「おはようございまーす」
「ユーリィさま、眠れましたか?」
「ああ、思いのほか眠れた」
階下の食堂へデイルと向かえば、すでにライとフィンが席で待っている。
ライは一足先に食事をしているが、彼はこのあと近隣へ情報収集に向かうので、承知の上だ。
彼らの向かいにユーリたちが腰を下ろすと、すぐに朝食が準備された。
食堂の朝食は三種類のメニューのみ。昨晩、受付で注文しておいた。
出されたパンとスープ。肉や副菜を少量ずつ、デイルが口にし確認を済ませてから、ユーリの前に差し出される。
「パンに切れ込みがあるってことは、肉と野菜を挟んでいいのか?」
「はい。内側にバターを塗ってから葉もの、肉、ソースの順が良いですね」
「パンが水分を吸ってしまわないようにだな」
本来であれば、そこまでデイルが行うべきなのだろうが、おそらく彼はユーリが自身の手で行えるようにしてくれたのだ。
宮殿ではできない、なにげない行動をさせてくれるデイルがありがたかった。
一から十まで面倒を見るのではなく、ユーリが興味を持ちそうで、安全と判断したものは手放しで見ていてくれるのだ。ここまでの道中でも似た場面が何度かあった。
「このあとは治療院、だったな」
「はい」
食事をしながら、小さな声音で会話をする。耳飾りのおかげで呟き程度でも聞き取れるのだ。
誰が聞いているかわからないので気をつけていた。
今回の病の発症が人為的であった場合。関わる者がどこにいるかわからない。
ユーリたちの話を聞いて身を隠されても困るのだ。
「治療院にいるのは行商の者たちが多いようです。病の原因に直接関わっている可能性は低いのですが、治療をしながらそれぞれから話を聞いてみます」
「わかった。フィン、よろしく頼む」
治療院に行くのはライを除く三人。
中でも今回、一番力を借りるのはフィンだ。彼は回復系の魔法が得意だった。
病は原因がわからないため、完治させられないけれど、体の回復はさせられる。それとなく町に噂を流したら、治療院のほうから訪問を願われたらしい。
ちなみにライは自分から別行動を提案した。
主人に騎士、魔法使い――までは良いけれど、屈強と言える剣士まで付くと一行が目立ちすぎるという理由だ。
ライは厳ついほど体は大きくないが、身幅も背丈もあり、大きな剣を携えている。
その点、体格がさほど変わらないものの、デイルは柔和な顔立ちで得をしていた。
ユーリの食事が済む頃、ライは先に出発し、三人も少し遅れて宿を出た。
今夜も世話になるだろうからと部屋は押さえてある。
馬たちの面倒を見てもらうためでもあった。
「今日は昨日より人が多いな」
「ユーリさま、はぐれるといけないので」
「あ、うん」
日が昇っている頃合いというのもあるのだろう。
昨日到着した時よりも、随分と人の流れが多かった。とっさにデイルのマントを掴むと、一瞬目を丸くしたのち、彼はユーリの手を優しく握る。
「気安く触れることをお許しください」
「……ああ」
一人でユーリがドキドキとしていたら、少し先を歩いていたフィンが振り向く。
繋いだ手をどうしようかと思うものの、彼はまったく気にした様子を見せなかった。
「なにやらもう少ししたら、近くの村で収穫祭が行われるみたいですね」
「収穫祭……この時期ならばドラゴンの収穫祭だな」
フィンの言葉にデイルが納得したように頷く。その横顔を見ながらユーリは首を傾げた。
「ドラゴンの収穫祭とはなんだ?」
「古い町や村でしかいまは行われていないので、ユーリさまはご存じではなかったのですね。初夏は果物が多く取れ始めるんです。ドラゴンは果物が好きだと言い伝えられています」
「へぇ、|口伝《くでん》で継がれている祭りなんだな」
書物のどこにも、ドラゴンの好みなど書いていなかった。もしかしたらいま発行されている絵本より前には、描いてあったのかもしれない。
「調査が一段落したら寄ってみましょうか」
「公務中に、祭りなどに参加して遊んでは」
「陛下はユーリさまが外で学ばれることを望んでいます。知見を広げるのは大切ですよ」
「ものは、言いようだな」
真面目な顔で、不真面目を推奨するデイルにユーリが笑えば、彼は目元を和らげて優しく笑った。
いつもデイルはこうした笑みを浮かべるのだが、最近のユーリはもどかしい気分になる。
彼が普段と違うわけでもない。いくら理由を考えてもわからず、やけにそわそわが増していく気がした。
「あそこが治療院です」
宿からしばらく歩くと、町の外れに仮小屋のような建物が何棟かある。
フィンの指し示す場所がそこだったので、ユーリは思わず目を見張ってしまった。
治療院とは名ばかり。とりあえず患者を収容した、と言った印象。
「患者たちの衛生面は大丈夫なのか?」
「帝都の治療院と同等とは言いがたいですが。見栄えのわりに清潔を保っています」
昨日の夜、ライがフィンの噂を流すのと同時に、治療院の噂を収集していたらしい。
急いで建てたため、外観にこだわっている場合ではなかったとか。
フィンの返答にユーリはほっと息をつく。原因がわからぬゆえに、放置されているのではないかと、心配だったのだ。
「よく来てくださいました、魔法使いさま」
治療院の軒先にいた者へ声をかければ、責任者のところへ通してくれた。
紹介されたのは管理室代わりの小屋の隅で、休憩していた素朴な印象の老医。
平民なのであまり魔力はないのだろう。白髪にうっすらとした赤色が混じっている。
感激した様子で迎えてくれた医師――ハンスは、フィンの後ろにいるユーリとデイルに驚いた顔を見せる。
二人とも魔力の赤色が多いからだ。
「こちらは私の主人と護衛の者です」
「そうでしたか。このたびは魔法使いさまを遣わしてくださりありがとうございます」
「なにやら病が流行っていると訊いた。万能ではないが彼の力は役立つと思う」
年若いユーリにまで丁寧に頭を下げる様子を見ると、フィンが言うように出来る限りの治療を行っているに違いない。
ハンスは早速と休憩を切り上げて、病人たちのいる建物へ案内してくれる。
「伝染する類いのものではありませんが、念のためこちらを」
室内へ入る前に口元を覆う布を渡された。細やかな配慮をしている。
「院長、休憩じゃ……そちらの方々は?」
「朝に話をした魔法使いさまと、遣わせてくださった貴人さまたちだ」
室内に入ったハンスを見て看護をしている者たちが心配そうな顔をした。
けれどフィンの存在がわかると、皆一様に表情を明るくする。
「もう来てくださったんですね。ありがたい」
「原因のわからない病だ。治してくださると過剰な期待をしてはいけないぞ」
「もちろんです。もし良ければ熱の高い人たちから、癒やしてくださらないでしょうか。夜もなかなか眠れないようで」
「わかりました。ではユーリィさま、行ってきます」
「ああ、頼んだ」
フィンが患者たちを見ているあいだに、ユーリとデイルはほかの者たちと言葉を交わしながら様子を見る。
フィンほどではないが、二人も簡単な回復魔法を使えるのだ。
とは言ってもユーリ自ら魔法を使うのはデイルに反対された。仕方なくデイルの後ろをついて回ることになる。
「皆、似たようなものに触れたり、口にしたり、ではないようだな」
「ですが行商人が多いです。売り買いされた商品に問題があった可能性も」
「熱に皮膚の変色、体の痺れに魔力欠乏。なにか毒物だろうか」
症状の程度は人によって様々だった。発熱と皮膚が所々、赤黒く変色している者が多い。
徐々に症状が進むと痺れが出て、熱が高くなるらしい。
「毒物ですか。なるほど、その可能性もありますね。無味無臭で刺激のないものは、触れても気づかない場合もあります」
「うん。魔法局で毒物を調べられるだろうか?」
「……そうですね。あとで確認をとってみましょう」
「ここでもこれほどの人が被害に遭っている。ほかも含めれば少ないとは言えないな」
帝国全土で見れば決して多くはないのだろうけれど、各小屋には十数人程度。
治療に使っている建物は三棟ある。早く原因を特定して、治療してあげなければと、ユーリは痛ましげに眉を寄せた。
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