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第22話 いざ幻の村へ
ホートラッド山までの道のりは、決して険しいものではなかった。しかし護衛がデイル一人になったので、負担をかけまいとユーリは気を張ってしまったようだ。
山の麓の森に着く頃、疲れが出たのかここに来て熱を出した。
「ユーリさま、ご気分は? 体は痛くありませんか?」
「平気だ。たぶん微熱程度だと思う」
「微熱といった感じではなさそうですが」
森の近くで馬を休ませ、簡易の寝床を作ったデイルはユーリの様子を見て、ため息をついた。
毛布にくるまり、横になるユーリは、発熱で頬がうっすらと赤い。
デイルが懸念しているとおり、体に痛みが出るほどでなくとも、正直言えばユーリはとても体がだるかった。
万一のためと侍医のバウルが持たせてくれた回復薬を飲んだけれど、一瞬で治るような便利な薬ではない。
デイルも出来うる限りの回復魔法をかけてくれるが、彼の得意分野ではないので、こちらも即効性は薄い。
「回復系に長けたフィンがいたら、もう少し楽になったかと思うのですが――はあ、私情を優先するのではなかった」
寒気を感じ、肩を震わせたユーリを見てデイルは、横たわる華奢な体を抱き上げ、膝に載せた。
それだけでもユーリにはご褒美だが、ぽつんと呟いた彼の言葉に引っかかり、困り切った表情を浮かべる顔を見上げる。
「私情とはなんだ?」
「……なんでもありません」
「言ってくれなければ具合が悪くなる」
「それは脅迫ですよ。――二人きりの時間を選んだ自分に、呆れているのです」
「僕と二人きりになりたかったんだな。ふふっ、そうか。嬉しいな」
自分だけではなかった。デイルも同じ感情を持っていてくれたことに、ユーリはとても嬉しくなる。
口づけから伝わった感情は、気のせいでなかったのかもしれない。
「喜んでいる場合ではありません」
「大丈夫だ。バウルの薬はよく効くから、しばらく休めば良くなる」
これ幸いとユーリがデイルの胸元にすり寄れば、呆れた気持ちを含んでいるだろう、大きなため息をつかれた。
「それはそうと、もう森の入り口だが、僕たちは入れるだろうか?」
「どうでしょう。ユーリさまの体調が落ち着いたら移動してみましょうか」
「そうだな。馬たちも疲れただろうし、少しゆっくりしよう」
近くで草を食んでいる馬たちに、先ほどデイルが水を与えたばかりだ。
ここまで三日ほど、ずっと走り続けてきたので、ようやくゆるりとできて彼らの機嫌もいい。ぶんぶんと揺れる尻尾にユーリは小さく笑う。
「季節が冬とかではなくて良かった。デイルを凍傷にするところだった」
宮殿を出たのが初夏だったので、もう夏の終わりが近づいている。それでもまだ暖かな日差しが届いているおかげで、夜でも凍える心配がなく救われた。
長い道中、デイルはユーリの体調を気遣い、念入りに寝床を作ってくれたのだ。
冷える夜にはこうして腕に抱いてくれた。
だと言うのに熱を出すという体たらくに、ユーリは申し訳なさが募る。
「ユーリさまのためならなにを失ってもいいですよ」
「そういうのは嬉しくない。本当に僕のためを思うなら僕の隣で生きてほしい」
デイルの言葉は冗談にならない。すでに彼は未来を失っているのだ。
八年先、おそらく建国祭の日までだろう。
いまこうして時間が巻き戻ってやり直しているけれど、ユーリはデイルのいない未来ならば欲しくないと思っていた。
命をかけて巻き戻されては結局、デイルと結ばれない。
ユーリは未来もいまも彼と生きる人生を望んでいた。
「デイル、僕はあなたと生きていきたい。だから必ず、未来を正してみせる」
「ユーリさま? それは一体どういう意味ですか?」
「愛してる、ディー。未来でもいまでも、あなただけだ」
「――っ、ユーリ、さま」
デイルの慌てた気配を感じたが、ユーリは薬のせいかウトウトと眠りに落ちてしまった。
デイルの腕の中で心地良い眠りについていたユーリは、ふと目が覚め、自身がふかふかの寝具に横たわっている状況に驚いた。
良い香りがする枕や毛布。
道理でよく眠れたはずだと、ユーリは再び眠気に誘われる。
『ユーリ、ユーリ――もうあなたを失いたくない。またあなたを失ったら』
けれど耳元でかすかに自身の名を呼ぶ声が聞こえ、ユーリはずっと抱えてくれていたデイルの存在を思い出す。
聞こえたのがあまりにも切ない声で、早く傍に行かなければ、と慌てて飛び起きた。
見回した部屋はごく普通の簡素な個室。町の宿と雰囲気は変わらない。カーテンは閉められ、外の様子はわからないが――
「ユーリさま! 目が覚めたのですね」
「良かった、いた」
ハッと気づくとすぐ傍にデイルがいた。
「心配なさらないでください。ここは私たちの目的地です。招かれました」
「えっ? 幻の村か?」
「はい」
ベッドの傍にある椅子へ腰掛け、ずっとユーリの手を握っていたらしいデイルが、慌てた様子の主人に優しく微笑む。
温かい手がなんだかくすぐったかったけれど、それ以上に驚きの事実を知り、ユーリは目を丸くした。
たどり着けるかどうかもわからなかった村に、いとも容易く。しかも招かれた。
「ユーリさまが眠ってしばらくしたあと、村の方が声をかけてくださったのです」
「村から森の外が見えるのか?」
「いいえ、ドラゴンが自分の鱗を持っている人間を迎えに行けと、お告げをくださったそうです。ユーリさまの懐に、欠片があると」
「……ドラゴンが」
自分を友だと言ったドラゴン。気にかけて迎えを寄こしてくれたのだろうかと、ユーリは胸元を押さえて、気持ちをそわそわさせた。
「村の人はドラゴンと疎通ができるのか?」
「すべての人ではありませんが、声が時折、届くそうです」
「そうなのか」
「ユーリさまの目が覚めたら、村の長老がお目にかかりたいと言っていました。ですがまずは食事と薬を――」
ふいにデイルが言葉を止め、ユーリが首を傾げたら、軽くノックする音が聞こえた。
出入り口は扉ではなく長い布で遮られており、壁をノックしているようだ。
扉ではないので、ユーリたちの話し声に気づいたのかもしれない。
デイルが返事をし、入室を許可すれば、十歳程度の少年が入ってきて小さくお辞儀をした。
ぱっちりとした赤茶色い瞳に、綺麗な緋色の髪をした可愛らしい子だ。
「初めまして、僕はタムと言います。お目覚めのようでしたので、水をお持ちしました」
「わざわざありがとう。喉が渇いてたんだ」
「汲んだばかりの水ですので安心してお飲みください。すぐに食事も用意しますね」
「ありがとう、タム。よろしく頼むよ」
緊張した面持ちの少年にユーリが笑顔で礼を言うと、彼はあたふたとしながら水差しの載った盆をデイルに手渡し、足早に去って行った。
「僕は嫌われているんだろうか」
「いえ、逆のようですよ」
「ふぅん、そうか」
器に水を注いだデイルが、いつものように毒味をする。
確認してから渡された器はひんやりとしており、よく冷えているのがわかった。
旅をしていると水筒に入れたぬるい水を飲むことも多い。
魔法で簡単に冷やせるけれど、いちいち魔力を消費するのはもったいない。ゆえに気温が高い日くらいしか魔法では冷やさない。
「冷たくておいしい水だ」
体に染み渡る冷たさにユーリはほうと息をついた。
「ところで僕はどのくらい眠っていたんだ?」
「半日ほどです。いまはもう、日が暮れました。体調はいかがですか?」
「かなりいい。バウルの薬と温かいベッドが効いたのかもしれない」
熱っぽくだるかった体は汗ばんでこそいるが、熱を発散してすっきりしたという感じだ。
食事の前に簡単に着替えを済ませると、ちょうど良くタムが食事を持ってきてくれた。
押し麦と、干して乾かした果物をたっぷりと入れたミルク煮だ。
優しく甘い食事にユーリは人心地をつく。
「明日には良くなっていそうだ」
「無理はしないでくださいね」
薬を飲んだユーリが暢気にそう言えば、食事している様子を傍で見ていたデイルが苦笑する。しかしユーリはここまで体調を崩さないほうが、自分でも意外だったのだ。
もっと前半でバテるのではと予想していた。
とはいえ、デイルと二人きりの行動になり、気が抜けたのだろうと思えば苦笑されるのもわかる。自分を過信するのは良くない。
「無理は禁物ですが、顔色は良くなりましたね」
食事が終わるとさりげなくデイルが額に手のひらを当ててきた。
ほんのり冷たく感じるのは食後だからだ。それでも触れてくれる手が心地良く、ユーリはすり寄りたい気分になる。
「デイルが抱きしめてくれたら、もっと良くなる」
「そのような戯れを」
「病み上がりの人間に優しくないな」
「…………」
ふて腐れた顔をして口を尖らせるユーリにデイルは息をつく。しかしなんだかんだと彼はユーリの甘えに弱い。
少しだけだと前置きをしつつも、そっとベッドの端へ腰掛け、優しくユーリを抱き寄せてくれる。
温かいぬくもりを感じ、ユーリは両手を伸ばして広い背中を強く抱きしめた。
(絶対に失いたくない。ディー、あなたを失ったら僕は生きる意味を見つけられない)
デイルの胸元に顔を埋め、ユーリが小さく肩を震わせれば、彼は髪を撫で、頬を寄せてさらに強く包み込んでくれる。
「まだ具合が悪いですか?」
「少し胸が苦しいだけだ」
「それは、よくありませんね」
「デイルが僕を愛してくれたら、気持ちが晴れる。……いや、いまはなにも答えなくてもいい。でも僕がデイルを愛していることだけは忘れないでほしい」
きゅっとデイルの腕を掴み、ユーリが顔を上げると、壊れ物に触るみたいな口づけが降ってきた。ついばみ、やんわりと何度も触れては離れる。
もどかしくなりゆるりと唇を開いたら、デイルの舌がユーリの口内へ滑り込んできた。
「ふっ、ん……っ」
口の中とは言え、体の内側をまさぐられる感覚にユーリはゾクゾクとする。
絡む舌と舌。愛撫するみたいにあちこち撫で回されて、ユーリはデイルにしがみつくしかできなかった。
気づくとドサリと音がして、体がベッドへ押し倒される。
二人して目の前の相手に夢中だったけれど、ふいに聞こえた「ひゃっ」という驚きの声で正気に返った。
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