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第30話 同じ時を生きる

 宮殿に戻り、ミハエルの死去を伝えるとルカリオは痛ましげに顔をしかめた。  たとえ国に災いを為すため暗躍していたとしても、大切に思っていた弟の死だ。  心に様々な感情が溢れていただろう。  ミハエルに手をかけたデイルは、一向に目覚めないので、誰しも処遇を決めかねた。  そこでユーリは自らデイルの身柄を預かり、|主《あるじ》不在となったフィズネス領を預からせてほしいと願い出た。  各地の浄化や病人の治療、視察の報奨としては荷が勝つと言われたが、自身はただ指揮をしただけで、活躍したのは魔法局の者たち。  そしてライードとフィンメルだと、ユーリは強く主張した。  議論が起こりかけたけれど、結局、皇帝の一言でユーリの主張がすべて承諾された。  そうしてユーリがフィズネス公爵領を預かり、長い時が過ぎた昼下がり。  いつものように部屋の花瓶に花を生け、ユーリは窓から吹き込む爽やかな春の風を感じつつ、ベッドに横たわる人へ声をかけた。 「ほら、綺麗に咲いただろう? 去年、種をまいたら無事に咲いた」  ベッド脇にある、花瓶に生けたのは鮮やかなピンクと白色の花。  フィズネス領とシノス村のあいだにあった、ユーリアの墓所――そこに咲いていた可愛らしい花だ。  あの土地も浄化が終わり、ようやく花の種を外へ持ち出せるようになった。 「知っているか? 昨日は僕の誕生日だったんだぞ。あなたは一体いつになったら、一緒に祝ってくれるんだろうな」  清潔なベッド。毎日シーツを取り替え、彼の身を清め、髪を梳くのはユーリの役目だ。  とはいえまるで時間が止まったような彼の体は、髪が伸びることも、爪が伸びることもなかった。ただ一つ変化があったのは髪色。  鮮やかな美しいピンク色だった髪は、日が過ぎるたびに毛先から黒くなっていった。  いまではすっかり艶やかな黒髪になっている。  おそらくすべてが終わり、与えられたシノスの加護がなくなったのだろう。 「ディー、またあなたの綺麗な瞳に見つめられたいなぁ」  花を生けたあとのユーリは、彼――デイルの傍でお喋りするのが日課だ。  もちろん、日がな一日、ここにいるわけではない。  領主としての務めも果たしているので、書類仕事も公務もこなしている。 「早く僕を抱きしめてくれないか? 今年、僕はいくつになったと思う?」  話しかけているあいだは少しの変化も見逃したくないので、ユーリはずっとデイルの手を握っている――のだが。 「ディー?」  一瞬、握り返された気がした。  驚いて顔を覗き込むと今度は確かにぎゅっと手を握られる。 「ようやく、時が戻ってきたんだな」  深い眠りから覚めた、デイルのまつげがかすかに揺れ、ふっといままでとは違う呼吸をし始めた。  ユーリは何年先だろうと待っている覚悟はあったけれど、いまという瞬間に目覚めてくれた彼に愛おしさが募る。  ぽつんと頬にユーリの涙が落ちると、ゆるりとまぶたを上げ、デイルはピンクと黒の双眸を覗かせた。 「おかえり、ディー」 「ユーリさま。……遅くなり、ました」 「本当だよ」  ぎゅっと自分の手を握りしめ、困ったように笑うデイルの表情に、たまらずユーリは彼に抱きついた。 「御髪の色は、戻らなかったのですね」 「前のほうが良かったのか?」  抱きしめ返してくれるデイルは、編んだユーリの髪に触れる。  以前は銀と緋色だった髪。あの日、鮮やかな緋色に変化してから戻りはしなかった。  これが本来の色だと、シノスが言っていたので、もう戻しようがない。  ユーリアの感情がユーリと同化したことで、眠っていた一部分の力が目覚めたらしい。 「いいえ、どちらも美しい色です。空色に緋色、なんとも優しい色合いですね」 「デイルは懐かしい色だ」 「ああ、私の役目は無事に終わったのですね」  言われて気づいたのか。自身の前髪をつまんだデイルは、その色に納得したように息をつく。 「うん。すべて終わったんだ」  あれからユーリは何度かシノスのねぐらを訪ねた。  そして時の巻き戻りは今回で何度目だったのか、自分たちはこれまでどんな時間を過ごしてきたのかも、知った。  事のはじまりはユーリアとディアランで間違いない。  ただ巻き戻りはこれで八度目だという。 「僕が未来の記憶を持っていたのも、デイルが行動を起こしたのも今回が初めてだったそうだ。おかげで大きく時代に変化が起きた」 「もしや、時の神の悪戯でしょうかね。今回の私は過去の記憶がなければ、行動を起こさなかったかもしれません。自分が未来を変えるなど、きっと考えなかった。あなたが死す前に、身を(てい)すのがせいぜいでしょう」 「…………」 「魂が巡る、時の神によって。今回の件で初めて神という存在を感じました」  この世界で神という存在はそこまで偶像視されていない。  神は存在するだろうと考えているけれど、ひどく崇拝したり盲信したりせず、誰もが自然の摂理と思っている。ドラゴンが現存すると信じる国民が少ないのもそれゆえだ。 「あの男も、時戻りに関係があったのでしょうか。最期になにやら意味深な言葉を」 「叔父上は――すべての時で記憶があったわけではないらしい。ある時代で、時戻りの現象に気づいてから、繰り返し自分の庭のように国を、時代をもてあそんでいた」 「現象とは?」 「僕の、死だ。僕を失うと必ずディーが時戻りを願った。本当はもう、あなたの魂はすり減り続けて、なくなる寸前だった」  シノスが〝捧げる予定である魂に傷をこうも増やすなど〟――と言っていたのは、それゆえだ。 「今世が、最後の機会だったのですね。無事にユーリさまの未来を変えられて良かった」 「良かったじゃない! 叔父上が最後に諦めなかったら、僕はディーを永遠に失うところだった! 僕はあなたのいない世界で生きていたくない」  ぎゅうぎゅうとデイルの体に抱きつくと、彼はユーリの震える肩を優しく撫でる。 「申し訳ありません。ですが、私は同じことが起きたら何度でも願ってしまいます」 「わかっている。僕だってディーの立場だったら同じ真似をした。だけど!」 「もう、傍を離れません。約束いたします」 「もし先にディーが逝ってしまったら僕はあとを追う。魂尽きる時まで一緒だ」 「はい」  溢れて止まらないユーリの涙を拭ったデイルは、そっと頬に手のひらを添えた。  触れるぬくもりに安堵して、じっと彼の瞳を見つめてから、ユーリはまぶたを閉じる。  するとそれが合図であったかのように、唇に口づけが与えられた。  長い間、待ち焦がれたぬくもりだ。 「ディー、愛してる」 「私もです。ユーリさま」 「皆に知らせないといけないんだが、もう少し」 「ふふ、愛らしいですね」  ベッドの上に乗り上がり、何度も口づけをねだっていたユーリだが、ふいにノックとともに部屋の扉が開いた。  開けた本人はタイミングの悪さと驚きで「あっ!」と声を上げる。  ユーリとデイルが扉のほうを振り向けば、彼は慌ただしく踵を返して走り去ってしまった。  開けっぱなしの扉の向こう――廊下からは「起きた、起きた!」と忙しない声が聞こえ、デイルとともにユーリは顔を見合わせて笑う。 「ライードは相変わらずですね」 「まあいつもあんな感じだが、それでも普段はちゃんとうちの騎士団をまとめてくれている」 「そういえば、ここはどこなのでしょう」 「フィズネス公爵領だ。いまは僕が治めている。いまのことはこれからゆっくり話そう。なにせ八年分だからな」  デイルが眠って、八年過ぎた。未来の自身と同じ歳になったユーリだけれど、世界は随分と変わっている。  無事にルカリオからシリウスへ譲位が行われた。  もう三年ほど前になる。シリウスの治世も安定しており、最近第二子が生まれた。  ルカリオもエリーサも、いまでは孫を可愛がるただの祖父母になっている。  ヘイリーは魔法騎士団の団長の地位から、アビリゲイト侯爵に譲られた総団長に昇格。  隣国に嫁いだミラはもうすぐ王妃になる。  誰も失われていない未来。ユーリが望んだ未来だ。  デイルも目覚めてくれたので、これで本当に未来が変わったと言えるだろう。 「やはり足腰はいくぶん弱っているようだな」 「弱っているというよりも、体が歩き方を忘れている感覚です」  着替えを済ませ、一緒に部屋を出たデイルがわずかによろけたため、とっさにユーリは手を伸ばす。本人曰く、体の状態は八年前と変わらないらしいが、慣れるまで気をつけるに越したことはない。  階下へ行くまでとユーリはデイルの手のひらを握った。 「このまま行こう」 「えっ、あ……はい」  ぎゅっとユーリが手を握ったら、デイルはぽっと頬を赤く染めた。  思いがけない反応にふふっとユーリは笑みをこぼす。 「申し訳ありません。いまのお姿が、懐かしく。いえ、以前よりもずっとお綺麗ですが」 「ディーはいつまでその話し方なんだ?」 「え?」 「昔は対等に話してくれたのに」 「……この接し方が長くなったので。それに私がユーリさまの――あっ、私はいまどのような立場なのでしょうか?」  一人あたふたとするデイルを見て、ユーリがますます笑みを深くしていると、彼はもの言いたげに眉をきゅっと寄せる。 「すまない。僕もディーがこうして傍にいて話してくれて嬉しいんだ。ディーの立場、だけれど。すべて僕預かりになっている。ディーはこれからどうしたい?」  まさか八年も眠るとは思っていなかったので、騎士団は除籍になっていない。  そのまま皇室で働くのも可能で、ライードのように皇室騎士団から離れ、公爵領の騎士となってもいい。 「私としては、これからもユーリさまの騎士でありたいです」 「そうか。すぐに復帰とはいかないだろうけれど、皇室から籍を移そう」  ユーリの本音は、なんのしがらみもなくなったのだから、恋人として傍にいてくれないだろうかと思っていた。  しかしデイルの感情が八年前と変わらないならば、少しずつ時間をかけて口説いていこうと、ユーリは前向きに考える。ようやく彼が目覚めた。  八年待ったのだから、もっと先まで気長に心の変化も待てるはずだ。

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