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第32話 皇室主催のお茶会にて
建国祭は滞りなく行われた。
シリウスの治世はルカリオとはまた違った柔軟性があり、民たちからの評判も上々だ。
ルカリオは帝位から一線を引いているけれど、若い皇帝の相談役として宮殿に残っている。彼の人気も衰えてはいない。
二人がバルコニーから並んで手を振ると、広場では大きな歓声が響き渡った。
その様子を貴賓席で見ていたユーリは感慨深い気持ちになる。
未来でユーリが帝位に就いた日は、民に戸惑いの色が見えていたのを覚えている。
この先はきっといい未来が待っているはずだと、ユーリは無意識に安堵の息をついた。
国民たちへの顔見せが終われば、あとは帝都内で祭りが行われ、宮殿でも夜まで宴が開かれる。今日ばかりは各地から領主たちも集まっていた。
しかしユーリは昼のお茶会に顔を見せたら、夜は出なくてもいい、とルカリオに言われている。
ルカリオの言葉を横で聞いていたシリウスが苦い顔をしたので、令嬢を紹介しようとしていたのかもしれない。
兄はまだ諦めていなかったと知り、その時ばかりはユーリの顔に苦笑いが浮かんだ。
挨拶が終わったあとも、ユーリは広場から街中へ、人が流れていく様子をぼんやり見ていた。
そうしてすっかり、広場の石畳が見えるようになった頃、背後から人の気配が近づいてくる。
馴染みのある魔力に気づいたユーリは顎を上げ、眉間にしわを寄せる人物を見上げた。
「ユーリさま、私でなかったらどうするのですか」
「デイルだってわかってやってる」
無防備に喉や首筋を晒す主人に逆さの騎士は、さらに険しい顔を見せる。
「傍を離れた私が言える立場ではありませんが、万一があったらどうするのです」
「ふふ、もう用事は済んだのか?」
口うるさく小言を言うデイルにクスッと笑い、ユーリはおもむろに椅子から立ち上がった。
「……はい」
するとすっと目の前へ、手袋に包まれた手が差し伸ばされ、ためらうことなくユーリは片手を預ける。
「お茶会は出ないといけないらしい」
「いまはまったく問題がないほど、健康ですからね。公爵という立場上、皇室主催の場を二つも欠席するのは良くないでしょう」
「デイル、ずっと僕の隣にいてくれ」
「……さすがにそれは」
「でなければ僕は行かない」
「そんな可愛らしい我がままを」
むすっと口を曲げたユーリの表情を見て、デイルは思わずと言った様子で笑う。
いい歳をした男がする表情ではないけれど、帝国の妖精と言われるエリーサによく似た美貌ゆえ、許されるどころか皆、デレデレとしてしまうほどだ。
周囲の空気に気づいたデイルは、手を引いてユーリを自分の傍へ引き寄せる。
さりげない動作だけれど、ユーリは彼の嫉妬を感じ、満足げに笑みを深くした。
さらにはデイルの腕に自身の腕を絡ませぴったりとくっつく。
「行こう」
「……はい。参りましょう」
さきほどの行動は無意識だったらしく、自分自身へのため息か、ユーリへのため息か。
ふっと息を吐いてからデイルは足を踏み出す。
その足並みに併せてユーリも一歩前へ足を進める。
立席形式のお茶会は広い庭園で行われている。現在、庭園は他国へ嫁いだミラの代わりに、母のエリーサとシリウスの妃が二人で世話をしていた。
本日のお茶会。主催者はリシュア皇妃。二子の母とは思えぬ美貌で、文官気質の夫――シリウスに発破をかけるしっかり者である。
「あらあら、ユーリルさまは、いらっしゃらないかと思いましたわ」
「来たくはなかったんです、けど。兄上と義姉上の顔を立てないといけないと思って」
会場へ行ってまずリシュアへ挨拶をすれば、ユーリの不服な表情を見て彼女はコロコロと笑った。
「うふふ、しばらくこの辺りで時間を潰していてください。もう少しでエリーサさまもいらっしゃいます」
「ありがとうございます。助かります」
リシュアの気遣いにユーリは軽く礼を執る。
彼女の近くにいれば、むやみに突撃してくる令嬢も少ない。エリーサがやって来たら余計にかしこまって相乗効果である。
兄のシリウスとは違い、リシュアはユーリの嫁取りに賛同していない。
だからこその援護だ。
「サイラスさまもゆっくりと、ユーリルさまとおくつろぎくださいね。あなたもいまではエディオン子爵家の当主なのですから。れっきとしたわたくしのお客さまですわ」
「ご配慮、痛み入ります」
「ふふっ、これで僕の隣にいる理由ができたな」
ずっと一歩後ろに引いて、従者の立場から抜けようとしないデイルに、リシュアはわざわざ理由づけをしてくれたのだ。
元々デイルは騎士爵を持っていたけれど、それとは別に、最近になって子爵位をシリウスからもらった。
ユーリのパートナーになるなら、それくらいあってもいいだろうと、女性陣にせっつかれたらしい。
現在はサイラス・デイル・エディオン子爵。領地も賜ったが、フィズネス公爵領のすぐ傍なので、主にユーリのほうで管理している。
なぜなら傍からデイルを離したくないからだ。
「ユ、ユーリさま! それとこれは別です」
「いいじゃないか。改めて僕は誰とも結婚しないってわかってもらおう」
斜め後ろにいた、デイルの手を掴んでぐいと引っ張り、ユーリはそのまま繋いだ手を握りしめた。
意図に気づいたデイルが慌てて離そうとするので、わざと小首を傾げて彼を見上げる。
「ずるいです」
「なにを言う。ずるいのはデイルだ。いつもはぐらかして」
「そ、それには色々と理由があるのです」
「理由も言わずそんなことを言われても納得しない」
困った表情で眉尻を下げるデイルに、ユーリはぷいと顔を背ける。
美形二人のやり取りに、リシュアや周囲は微笑ましいとばかりに扇で口元を覆った。
デイルの帝都入りは八年ぶりなので、どこの子息だと興味津々な視線もあるけれど、ユーリが手を握り合わせて離さないためかなりの牽制になっている。
「あんなに真っ黒な髪色、初めて見ますわ」
「他国出身の方なのかしら」
「帝国は華やかな色の紳士が多いので新鮮ですね」
ちらほらとそんな声もユーリの耳に届くのだが、彼女たちはデイルに近寄りたくても、近寄れない雰囲気だ。
いつも隙のない貴公子然としたユーリがデイルに甘えてべったりでは、横入りしようとは思えないだろう。
「そういえば公爵さまは長い間、大切な想い人をお待ちになっていたとか」
「もしかしてあの方が」
「国と国をまたいだ大恋愛、とかなのかしら」
こそこそと話す彼女たちの話がどんどんと壮大になってきた。
とはいえユーリはわざわざ訂正をしに行かない。近いうちデイルも子爵として、皇室主催の舞踏会へ呼ばれるようになるだろう。
そうすれば自ずとして事実や噂も広まっていく。
「兄上に同性の婚姻は無理でも、事実婚を早く認めてもらわなくては」
「ユーリさま、そこまでしなくとも私は」
「そこまでしなかったら、あなたをほかの者に盗られてしまうかもしれないだろう!」
「こ、声が大きいです!」
拳を握りしめて兄攻略を考えていたら横やりを入れられたため、とっさに出たユーリの声は庭園に響いた。
周りはなにごとかと首を巡らすが、ユーリは開き直って胸を張る。
「僕はこれ以上、待たされるのも失うのも嫌だ! デイルがこんな僕に付き合えないというなら僕の手を振り払ってくれ!」
「そんな、そのような真似、できないとわかっていて、あなたという人は」
衆人環視の中でなにをやっているのかと、シリウスがこの場にいたら呆れるだろう。
次兄のヘイリーならばはやし立てるかもしれない。
姉のミラだったらきっとデイルの背中を叩くに違いない。
家族が皆、幸せに暮らしているのは彼のおかげだとしても、ユーリは感謝の気持ち以上に八年ものあいだ、苦しくて寂しくてたまらなかった。
小さく息をついたデイルの様子に、まつげが震え、浮かんだ涙がこぼれ落ちる。
「泣かないでください。私が悪かったです。あなたの気持ちを考えているようでいなかった」
優しく手を引かれ、ユーリの体はぽすんとデイルの胸に納まった。
手はほどけていくが、彼の腕はぎゅっとユーリを抱きしめる。
「私にはあなた以外ないのです。愛しています。だからそんなに泣かないでください」
肩を震わせ本格的に泣き出したユーリに、デイルはオロオロとしながらも背を撫で、髪を撫でてくれた。
遅れてやって来たエリーサがその状況に気づき、周囲を治めて下がらせてくれるまで、ユーリはずっとデイルの背中をきつく掴んでいた。
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