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1-6 五年前、北の森にて

 五年前。北の森で迷子になり、そのまま陽が沈み辺りが暗闇に包まれる中、大きな木の下でふたりでぴったりくっつきながら、助けを待っていた。  ざわざわと木々がざわめく音さえ恐ろしく、仄かに空を照らしていた月明かりも、遂に暗い雲に隠れてしまう。  すぐ目の前をよろよろと彷徨い歩く、陰の気を浴びて本能のままに動く死体である殭屍(きょうし)に、思わず声を上げそうになった。  ふたりはお互いの口を交互にしっかり押さえて、青ざめる。  その時だった。背にしていた木の上から、ふたりと殭屍(きょうし)の丁度真ん中に降り立った影が、符を数枚投げ、印を結んで緑色の炎で闇夜を照らしたのだ。  殭屍(きょうし)は、人のそれと違う、獣に似た大きな悲鳴を上げてもがいた後、見たこともないその緑の炎に焼き尽くされ、跡形もなく灰へと化し風で散った。 (父上? ······ん? 虎珀(こはく)兄上? ········誰?)  自分も子供だが、確かに同じくらいか少し背の低い子供が、人を喰う凶暴な殭屍(きょうし)をいとも簡単に倒したのだった。  頭の後ろで手を組んで、くるりと振り向いた子供は、従者が纏う黒い衣を纏い、白い仮面を付けていた。ゆっくりと雲が晴れ、闇夜がうっすらと明るさを取り戻す。  へへ〜と笑ったその子供は、おまたせ~と楽しそうに笑うと、組んでいた手を闇夜に掲げて万歳をしてみせた。  普段だったら「誰がお前なんか待つかっ!」と突っ込んでいただろうが、竜虎(りゅうこ)はその時ばかりは大泣きした。つられて璃琳(りりん)もわんわん泣き出す。 「ふたりとも、無事か!?」  ざっざっざっと大勢の足音が駆け寄ってきて、宗主である父が先頭をきって姿を現した。  その後ろからふたりの姿を見つけた夫人が、宗主を追い抜いて恐ろしい形相で駆け寄ってきて、有無を言わさずに無明(むみょう)の頬を思い切りぶった。 「なんてことっ! あなた、私の大事な子供たちになにをしたのっ」 「やめなさい!」 「なぜ止めるの!? あなたは自分の子供たちが心配じゃないのっ」 「無明も私の子だ。君はそこのふたりだけが私の子で、無明は他人か従者だとでも言いたいのかい?」  もう一度手を振りかざした夫人の手首を、思わず宗主が掴んで止める。姜燈(きょうひ)夫人のその言い方に、さすがに宗主も呆れた。  夫人が無明に従者の衣を着せた時から薄々感じていたが、そこまでだとは思っていなかった。  無明本人はまったく気にしていなかったが。 「どうせこの子が、ふたりを無理やり森に連れ込んだんでしょう? どうなの、無明? 黙っていないで答えなさい!」  夫人は無明がふたりを(そそのか)して、森で危険な目に遭わせたと思い込んでいるのだ。  しかし宗主は知っていた。夕刻が過ぎ、ふたりがいなくなったことに気付いた時、無明はいつものように藍歌(らんか)と一緒におり、宗主もまた共にいたのだ。  邸で大人しく待っているようにと、あれほど釘を刺したというのに、まさか自分たちよりも先にふたりを見つけてしまうとは、思ってもいなかった。 「長居をすれば、妖者(ようじゃ)たちが騒ぎ出してさらに危険に晒すだけだ。子供たちを連れて、まずは森から離れた方がいい」  宗主は控えていた虎珀(こはく)に視線を向ける。こくりと頷いて、虎珀は呆然としている三人の前に歩いていき屈むと、 「竜虎、璃琳、さ、立ちなさい。怪我はないかい? お腹がすいただろう?」  と言って、よしよしとそれぞれの頭を撫でた後、ふたりの手を片方ずつ取ってゆっくりと立たせると、涙をそっと拭ってやる。 「無明、頬が腫れているよ? さ、こっちにきて。冷やしてあげよう」  目の前で地面に膝を付き、ひんやりとしている自分の手で、仮面を避けるように頬を包んで冷やしてやる。  無明は珍しく驚いているようだったが、すぐににっと笑って「へーきだよ」と右手を挙げた。  それはたぶん、同じように夫人の行動に驚いていた竜虎と璃琳が、再び泣きそうな顔をしていたからだろう。 「虎珀兄上、ありがとっ」  とても嬉しそうに笑って見せる無明に、竜虎も璃琳もなにか言いたげだった。  なぜなら無明は、夫人に対してなんの言い訳もしなかったからだ。このままでは何の関係もない、むしろ自分たちを助けてくれたはずの無明が、罰を受けることになるだろう。  しかし、夫人の気は収まるどころか、さらに悪化していた。

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