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1-9 晦冥の怪異

 夜が更けても灯りの絶えない、様々な屋台や店が立ち並ぶ、賑やかな紅鏡(こうきょう)の中心地は平地で、その全体を見下ろせる丘側に、金虎(きんこ)の一族やその親族、従者の住まういくつかの邸がある。  門下生や術士たちは、平地に用意された邸に数人ずつ均等に配属されていて、怪異を鎮めるのが日々の務めとされている。  民に依頼されて成功報酬を貰うか、宗主から直々の命令を受けるか、もしくは無償で修練の一環として退治するかである。  北側は夜になれば妖者(ようじゃ)が徘徊する、暗く深い森が広がっており、森を抜けるとふたつの渓谷がある。  手前には、ただ深く底の見えない不気味な渓谷があり、吊り橋を越えた先に、大きな滝の流れる渓谷が現れる。  この渓谷の長い吊り橋を越えると、湖水の都、碧水(へきすい)である。  紅鏡から西側に進み、広い山間地帯に入ると、竹林に囲まれた古都、玉兎(ぎょくと)が見えてくる。  東側は整えられた道が続いていて、しばらく歩くと草原へと出る。そこから山を越え五日ほどで、豪華な楼閣が立ち並ぶ都、金華(きんか)に辿り着く。  南下し数日険しい道を歩けば、高い岩壁に囲まれた要塞、光焔(こうえん)がある。  東西南北に位置する四つの土地にそれぞれの一族が治める都があり、この紅鏡はちょうどその真ん中に位置しているのが解る。  そして、北東側は大小様々な岩場に囲まれた広大な土地で、数百年前の大きな争いの爪痕が今もなお残っており、その一帯だけは常に薄暗く、淀んだ空と草の一本も育たない穢れた地が広がっている。 「晦冥(かいめい)紅鏡(こうきょう)の境目のこの辺りに出没するらしいが、やけに静かだな?」  文には三、四体ほどの殭屍(きょうし)が彷徨っていて、紅鏡側に結界を越えて入ってきたのだという。  殭屍(きょうし)は陽の出ている間はのろのろと大人しく、同じ場所を動き回っているだけだが、夜になれば活動的になり、昼のそれとは比べ物にならないほど凶暴化し、人を喰らう危険な奴らである。  特にこの場所は、かつて数千人の術士が無惨に命を落とした地であり、この土の下にはその亡骸が今も眠っているという。  それが時を経て負の養分を吸い取り、殭屍(きょうし)となり彷徨っているのだから報われない話だ。  広い範囲で境界に巡らされた結界は、こちら側に入って来れないように張られていたが、殭屍(きょうし)はただ喰らいたいという本能のまま歩き回り、身体がぼろぼろになってもなにも感じないため、結界に何度も体当たりをする。  塵も積もれば綻びも生まれてしまうのが現状で、定期的に宗主や兄たち、それに手練の術士たちが修復していた。 「竜虎(りゅうこ)兄様、見て、月が、」  暗闇の中に浮かんでいたのは、確かに青白い満月だった。  しかし、雲に隠れ、その姿を現した時、その色は奇妙な赤い月へと変わっていたのだ。毒々しい赤色に照らされていく月の周りの夜空には、星がまったく瞬いていなかった。 「なんだ、あの月······不吉すぎる」  怪訝そうに怪しげな月を見上げ、璃琳(りりん)を守るように傍らに立つと、竜虎は一層辺りを警戒するように見渡した。  皮肉にも大きな赤い満月が辺りを照らし、暗くてよく見えていなかった場所が、ゆっくりと、そしてはっきり見え始める。  嘘だろ、と思わず言葉を吞み込む。  そこには、つい先ほどまで、確かになにも存在していなかった。  静寂と暗闇だけだった。  しかし一瞬にして十数体の殭屍(きょうし)がゆらりと身体を揺らし、次々に立ち上がって姿を現したのだ。  その光景はどこまでも悍ましく、恐怖を感じるには十分だった。

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