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2-2 藍歌の想い

 塀の低い門の前で、無明(むみょう)藍歌(らんか)夫人がすでに用意を終えて待っていた。 「藍歌夫人、お久しぶりです。お身体の方は大丈夫ですか?」 「ええ。白群(びゃくぐん)の公子殿の処置が完璧だったおかげだと、お医者様がおっしゃっていたわ」  顔色も悪くないので、やせ我慢ではなさそうだ。竜虎(りゅうこ)は心配事がひとつ片付いた後、もうひとつの問題に突っ込まざるを得ない。 「お前······その恰好、」 「どう? 母上が今日のために繕ってくれたんだ」  無明はいつも纏っている黒い衣ではなく、珍しい色の衣を纏っていた。もうひとつの問題とはまさにこのことで、その恰好はなんというか········。 「か、」 「か?」  竜虎は言いかけて、思わず出かけた言葉を呑み込んだ。無明は首を傾げて不思議そうにこちらを見ている。 (いや、俺は何を言いかけた!?)  青ざめて、首を振る。違う違う。それじゃない! 「な、なんて恰好をしてるんだっ! まるで女人じゃないかっ」 「え? でも似合ってるでしょ? そんなことで怒らないでよ」 (お前は、恥を知るべきだ!)  袖と合わせの部分に金と白い糸で繊細な紋様が描かれた、膝の辺りまでの長さの水浅葱色の薄い羽織。その中に白い上衣、白い表袴(うえのはかま)の上に羽織と同じ色の薄い下裳を纏っており、それに合わせた藍色の帯紐に付いた薄紫の花の飾りなどはどう見ても女物にしか見えない。  けれども翡翠の瞳の色を薄めたような水浅葱色の羽織は、本人には口が裂けても言わないが、よく似合っていた。 「ふふ、私が紅鏡(こうきょう)に嫁ぎに来た時に纏っていた衣裳を繕ったの。髪の毛もそれに合わせて結ってみたわ。どうかしら?」 「いや、どうと言われても······」  どこに嫁ぎに行かせる気なんだ! と心の中で突っ込まずにはいられない。  夫人がどうかしら? と言っている髪だが、左右ひと房ずつ横で赤い紐と一緒に編み込み、それを後ろで軽く纏めて結び、背中に垂らしている。  それは間違っても、十五歳の少年が普段する結び方ではなかった。 「か、可愛らしい········はっ!?」  思わず、清婉(せいえん)は竜虎が呑み込んだ言葉を口に出し、すぐさま我に返る。 「そうでしょう? そうでしょう? 光架(こうか)の民の特別な衣裳と結び方なのだけど、良く似合ってるわ」  藍歌はふふっと満足げに笑って、無明の両肩に手を添え羽織を直す。  表向きはお供としてと宗主は言ったが、衣裳は任せると言ってくれたのだ。  今までの黒い衣も似合っていたが、せっかくの門出、まだ体調は万全ではなかったが、藍歌は夜通し衣裳を繕い直したのだった。 「じゃあ、母上、行ってくるね!」 「ええ。行ってらっしゃい」  とん、と背中を軽く押して、藍歌は願いを込める。どうか、健やかに。そして無事に帰ってこれるように。  桜の舞い散る庭を通り、邸に戻る。静寂を取り戻した邸は広く感じるが、それでも差し込む明るい日差しが希望でもあった。  無明の部屋はそのままにしてある。散らかったままの部屋は、まるでそこにいるかのように時を止めている。 「······これで、いいのよ。あの子は、特別な子。いずれ、解ることだった」  隠している事。無明や、宗主でさえ知らない、こと。藍歌はひとり、縁側で琴を奏でる。 (····黄龍よ、四神の聖獣よ。どうか、あの子をお守りください)  祈るように。  その音は一層美しく、物悲しい色をしていた。

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