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2-19 黒蟷螂の猛攻

 白鳴(はくめい)村。  まだ夜も明けない頃、それは突然襲ってきた。竜虎(りゅうこ)は霊剣王華(おうか)を手に、清婉(せいえん)を背にして家屋の陰に身を隠していた。暗闇の中月明かりだけが頼りだが、細い下弦の月では心許ない。  遠くで何かを破壊する音が延々と聞こえてくる。幸か不幸かその鋭い鎌が鬼蜘蛛の糸を次々と切り裂き、精気の抜けた屍となった村人たちを地面に落としていく。  闇夜よりももっと暗い漆黒色のその妖獣は、今隠れている二階建ての家屋よりも、頭一つ分以上大きな黒い蟷螂(かまきり)だった。  故に、狭い場所や死角にいればなんとか身を隠せた。しかしその家屋もだいぶ破壊されており、ここもいつ壊されるか解ったものではない。 「とにかく、誰かと合流しないと、」 「な、なんなんですか? あれも蜘蛛みたいに操られてるんです?」  こそこそと囁くようにふたりは各々囁く。 「だとしても、目的は単純だ」 「······なんですか?」 「俺たちを始末するってこと」  さあぁぁっと清婉の顔から血の気が引いていく。()の国を回るどころか、一番最初の碧水(へきすい)で、しかも都に着いてすらいないのに命の危険に晒されているのだから、仕方がないだろう。  竜虎もまさか一日で二体もの妖獣に遭遇するなど、夢にも思わなかった。そもそも、どうしてこうも危険に巻き込まれるのか。 (一旦ここを離れて、:無明(むみょうを捜しに行った方がいいのか?)  しかし白冰(はくひょう)が言っていたように、朝にならないと鬼蜘蛛の痕跡が解らない。闇雲に探し回っても土地勘もない自分では迷うだけだろう。 「ど、どうするんです? あの蟷螂、私たちを、こ、殺すまで捜し回る気では?」  あわわっと清婉は自分で言ってさらに青ざめる。恐ろしくなって竜虎の衣の袖を必死に掴み、ぶんぶんと首を振った。 「あんなの、どうにかなる相手じゃないですよ!」 「そんなことは解ってる。けど、このまま隠れていても時間の問題だ。すべての家屋を破壊されたら、どちらにしても終わりだ」  細身の霊剣を握り直して、竜虎は大きく深呼吸をした。嫌な予感がして、清婉は思わず握っていた衣を手放した。 「お前はここに隠れていろ。俺が囮になって、ここに近づかないようにあいつをひきつけ続ける」  こうしている間にも家屋がどんどん破壊され、鎌を振る音と同時に大きな咆哮が上がる。その度に、飛び散った木材や瓦が空中に舞って地面に音を立てて落下する。  漆黒の中光る眼は深緑色で、それは夜空に浮かんでより不気味に見えた。  竜虎は大通りに出て、黒蟷螂の姿が見える場所へ駆けた。  案の定、人の匂いを察した蟷螂がその眼をこちらに向けた。久々の獲物を見つけた途端、透明な翅を広げて宙に浮くと、竜虎をめがけて飛んで来る。  その速さは尋常ではなく、蟷螂は竜虎の逃げ道を塞ぐように左横の家屋を破壊し、そのまま前に降り立った。 (脳なしじゃないってことか。厄介すぎるだろっ)  前にも後ろにも退路がなく、竜虎は王華を構える。正直勝てる気は微塵もしないが、負ける気もない。今の状況ならば、五体満足で逃げ切れたら、それは勝ちと言っても文句はないはずだ。  蟷螂と竜虎の体格差は歴然で、蟷螂の細長い脚の半分しか竜虎はなく、金虎(きんこ)の本邸の屋根の天辺ほどの丈なのだ。 (ということは、足元は死角ってことだろっ!)  真っ正面を見据えて、蟷螂の細い脚の間に滑り込むように勢いよく転がる。その瞬間、地面に突き立ててきた鎌に衣の一部がはらりと切れて宙に舞った。なんとか蟷螂の後ろを取ったが、同じ手でまた前に回られては意味がない。  右手で印を結び、剣の刃にそのまま指を這わせる。途端に、霊剣が暁の光を帯びて辺りを照らした。その光はまるで小さな太陽のようで、蟷螂の眼を眩ますには十分だった。  竜虎はそのまま霊剣を振り、蟷螂の眼に向かって暁色の光の刃を放つ。黒蟷螂は反射的に、鋭い左右の鎌を交差して構えて光の刃を防ぐ。その衝撃に少しの傷も付けることはなかったが、鎌を戻した時、獲物の姿が消えていることに気付く。  それに腹を立てたのか鎌をぶんぶんと無造作に振り回し、辺りの建物を破壊してしばらく暴れた後、清婉を置いてきた方向とは真逆の方へ飛んで行った。巨大なお陰で、どこにいるかすぐに把握できる。竜虎はそれを確認すると、そのまま裏路地を駆けた。 (こうなったら朝まで逃げ切ってやる!)  夜明けまであと二刻くらいだろうか。だいぶ時間があるが、他に手立てはない。  あとは白群(びゃくぐん)の宗主や白冰(はくひょう)たちに任せた方がいいだろう。彼らはたぶん時を窺っているはずだ。もしくは策を練っているか。 (今はこれでいい······けど、)  その時だった。  あの時、晦冥崗(かいめいこう)殭屍(きょうし)の群れに襲われていた時、天高く夜空を照らした大きな陣とは違う、薄青色の光の陣が闇夜に咲いた。  それはまるで大輪の花のように美しく、清らかささえあった。  降り注ぐ薄青の光の帯に、竜虎は思わず緊張の糸が解ける。そしてその方向に身体を向けると、駆けていた。 (けど、俺は、知りたい! あの人たちがこの状況をどうやって打開するのかを!)

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