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3-10 君って天才なの?

 夕餉までの約一刻半(いっときはん)白冰(はくひょう)が唯一余裕のある時間に無理矢理捻じ込んだ、金虎(きんこ)の第四公子との時間は、思いの外有意義なものだった。 「君は一度も修練や座学に参加したことがないって言ってたよね? とりあえず基本的なことから始めようか」 「はーい」  文机を挟んで、無明(むみょう)が楽しそうにこちらを見てくる。誰かから教わるということをしてこなかったため、先生や師匠などもちろんいない。独学で書物を読み漁った知識しかなく、どんな話が聞けるのか期待しかなかった。 「まずは妖者の種類からいこうか。一番身近なのは殭屍(きょうし)だよね。これは元々人で、死んでから陰の気に当てられ動き出してしまう死体のこと。これに自我はなく、ただ生きた人間を喰らうことに執着した屍だ。奴らには自我がないから傀儡にしやすく、かつての烏哭(うこく)の術士たちがよく操っていたという」  この地で最もよく見かける妖者で、その身体が朽ちるまで動き回るため、ある意味厄介な存在である。  焼くか、浄化し陰の気を抜くか、もしくは四肢をバラバラにすることで倒せる。昼はのろのろと動きが鈍いが、夜になると獣のように早く、凶暴になるのが特徴だろう。 「あとは悪霊や怨霊の中でもより強い存在を幽鬼と言って、人に呪いをかけたり時間をかけて命を奪ったりする。恨みをもったまま死んだ人間が悪霊になって、さらにたくさん人を殺して鬼に近くなった存在って感じかな。例外もあるけど。人の世で起こる様々な怪異は、これらが関わっていることが多い」  身体がないので鬼にはなれないが、それに近い悪霊というところだろう。 「妖鬼には等級があり、上中下の級と上級のさらに上に存在する特級がある。けど実はそれ以上に厄介な存在がいるのを知っているかい?」 「ううん。それは知らない。鬼の王みたいな存在ってこと?」  ばさっと大扇を広げて、白冰はこくりと頷く。 「鬼神(きしん)といって、人の世にはまず関わらないとされるが、鬼の神だけあってその力は特級を遥かに凌ぐという。ま、誰も遭ったことがないからただの逸話にすぎないけどね。神と名の付く者だから、妖鬼なんかとひと括りにしてはいけない存在なのかもね」  そうなんだー、と初めて知ったその話に、無明は感心したように相槌を打つ。 「あとは妖獣。元は霊獣だったもので、烏哭(うこく)の宗主の闇の力で侵蝕されてしまったと言われている。霊獣を妖獣に変えてしまうほどの力を持つという時点で、我々には想像もできないほどの存在だよね。そんなモノを伏魔殿に封じた当時の神子(みこ)の力も計り知れない」 「でも神子も自分を犠牲にしなければ封じれなかったってことだよね? 宗主って一体何者だったんだろう。普通の人間じゃなかったってこと?」 「それに関してはどの記述にも載っておらず、うちの蔵書閣にも資料がない。それも不思議な話だよね。唯一、かつての大戦のことを綴った日誌みたいなものはあるんだけど、それも史実かどうかは怪しいしね」  それは少し興味があるかも、と無明は顎に手を当てて考える。 「気になるなら読んでみるといい。作者も解らない書物だから、ただの妄想かもしれないけれどね、」  ふふっと笑って白冰は肩を竦める。 「じゃあここからは符についての質問だよ」  違う書物を広げて無明の前に広げると、大扇を閉じて、とんとんと描かれた符陣を指す。それは複雑な紋様でできていたが、無明はどこかで見たことがあった。 「この符陣の効果はなにかな?」 「これは通霊符。ここ数年の間に作られた符陣で、媒体、鏡なんかを使って遠くにいる人と話ができる符だよ」 「······え、なんで知ってるの?」  白冰は怪訝そうに無明の顔を覗き込む。実はこの符術集は、一部の術士たちの間にしか配布されていない、実験的な符陣を集めた書物で、あえて意地悪のつもりで問いかけたのだった。 「え、だって、これ······俺が作った符陣だもん」 「··········え、」  嘘でしょ、と白冰は思わず大扇を落としそうになり、慌てて持ち直す。しかしよく考えてみれば金虎の宗主が配ったもので、そうなれば一族の誰かが作成したということ。しかしまさかそれが、目の前の少年だとは誰も思わないだろう。 「まだ完成はしてないけど、実用性があるから父上に渡したんだ······あれ? この書物に載ってる符陣、全部そうみたい」 「ちょっと、詳しく話を聞かせてくれる!? なに、君って天才なの? この符陣、全部君が作ったのっ!?」  ぶんぶんと肩を掴んで興奮した白冰が捲し立てる。不服そうに無明は頬を膨らませながら揺られている。もしかしなくても他の術士たちに実験させて、本当に使えるかどうか試していたのだろうか。 (たまに助言してくれたのは、使った人たちからの情報だったってこと?)  まさか自分の知らないところで、他の一族にまで書物として配られていたとは夢にも思わなかった。しかも数ヶ月前に改善したばかりのものまで載っていたので、最新版と言えよう。  一部の物好きな者たちしか見向きもしない、妖者退治にほとんど関わりのない符術ばかり載っているのだが、白冰は毎月送られてくるこの書物が気に入っていた。  これを毎回試しては、匿名でその効果に対する改善点を文にし、金虎の宗主に送っていたのだ。 「もうさ、私の座学なんて止めにして、君の話を聞きたいんだけど!」 「それじゃあ俺の勉学にならないよ、白冰様!」  問答を繰り返し、結局明日からはふたりで新しい符陣の開発と研究をすることになってしまった。  無明はがっくりと肩を落としたが、それはそれで面白そうだと気持ちを切り替える。  気付けば一刻半はとうに過ぎていて、夕餉の時間になってもやって来ない公子たちを心配した雪鈴(せつれい)が、白冰の自室の前で声をかけてくるまで、時間を忘れて語り合っていたのだった。

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