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3-13 好きだよ!

 その唐梅楼(とうばいろう)という名の二階建ての茶屋は、宿泊も兼ねているようでかなり立派な造りだった。  白笶(びゃくや)とずぶ濡れになっている無明(むみょう)を見るなり、替えの衣を用意してくれただけでなく、一番広い部屋に案内してくれた。  赤を基調とした造りの派手な茶屋で、店の名の梅の色を表現しているらしい。所々に梅の花の造花が飾られていて、店内は甘い香りが漂っていた。  部屋に着くなり、無明は恥じらいもなく目の前で次々に衣を脱ぎだす。白笶は脱ぎ捨てられた衣たちを無言で拾い上げ、腕に掛けていく。薄青の自分の衣だけは丁寧に畳まれていた。  日焼けのひとつもない生白い上半身は、どこもかしこも細くて心配になる。赤い髪紐に手をかけ、括っていた髪の毛を解いて背中を隠すように垂らす。正面を向いたまま、無明は首を傾げて、白笶の方を見上げる。 「その衣をもらっていい?」  店主が用意してくれた衣は、白笶の立っている場所のすぐ横の棚の上に置いてあり、わかったと手に取った。しかしその衣を広げた途端、眉目秀麗な白笶の眉が、思わず歪んだ。 「··········替えを貰ってくる」 「えーいいよ。着られれば問題なし」  どう見ても女物の衣で、先程下の階で働いていた女人たちと同じ衣のようだった。麗寧(れいねい)が纏うような薄い衣でも、露出が多い衣でもない分まだマシだが、薄紅色の上衣とその下に穿く桃色の下裳に言葉を失う。  仕方なく手渡し、無明は少しも躊躇わずに纏っていく。紅鏡(こうきょう)から出る時も着ていたが、全く抵抗がないようだ。  そしてやはり似合っていた。  無明は固まっている白笶の腕から自分の衣を取って、部屋を仕切っている屏風に掛ける。髪の毛は括らずに垂らしたまま、赤い髪紐も一緒に乾かすことにした。 「日当たりのいい部屋で良かったね、」  大きめの花窓(はなまど)から降り注ぐ暖かい光に手を翳して、無明は眩しそうに瞼を細める。それから白笶の前にやって来て、下から顔を覗き込む。 「ここのおススメは梅茶と無花果(いちじく)の餡が入った餅らしいよ? 白笶と市井(しせい)に遊びに行くって言ったら、麗寧夫人が何軒か教えてくれたんだけど、ちょうどそのひとつがこの茶屋なんだ」 「······甘いものが好きなのか?」 「うん、好きだよ!」  そういえば紅鏡の市井でも点心の店に寄っていた。ほぼタダで持ち帰った点心は、夫人に渡したらものすごく喜んでいた。ふたりは下の階に降り、賑わう店内の中、空いている席に通される。    部屋で食べることもできたが、なぜか無明が下で食べたいと言ったので、そうすることにしたのだ。 「あー。おいしかった。梅茶って初めて。無花果の餡と餅が合うなんて意外だったね!あとで夫人にお土産を買っていこう!」  白笶は幸せそうに頬に手を添えている無明に満足し、ゆっくりと梅茶を口に運ぶ。  独特の香りと味だが、嫌いではなかった。茶と言えば麗寧の実家が商家で、送られてくる変わった茶を頻繁にすすめてくるのため、こういう茶にあまり抵抗がないのだ。  そしてふたりはまったく気付いていないが、周りの客たちが息を呑んでふたりのいる席を見守っていた。それはもちろん、あの第二公子が連れている美しい少女は、一体どこの誰なんだ?という好奇の眼差しである。  いつも通りほぼ無明がひとりでしゃべり、白笶《びゃくや》は頷くかひと言返すという会話が続く。 (あの白笶様が、私たちと同じお茶を飲んでいるわよ!) (一緒にいるのはどこの名家のお嬢様かしら?) (入って来た時はびしょ濡れだったみたいだけど、一体何があったのかしら!?)  めちゃくちゃ気になる!!  奇跡的に一番近い席に座っていた三人の若い娘たちが、ひそひそと顔を近づけて各々思いを馳せる。決して自分たちが、憧れの公子と婚姻を結べるなど本気で思ってはおらず、しかし妄想するのはタダなのだ。 (ねえ、見たでしょ? あの時羽織っていた衣っ) (見た見た。あれは間違いなく白笶様の衣だったわ! 大きすぎて地面についちゃってたわよね?) (あの身長差が最高なのっ!)  解る!!  三人は眼を輝かせて手を取り合う。公子の連れの上背は公子の肩くらいまでしかなく、頭ひとつ分は差があった。今纏っている衣も、少し大きいのか袖で手が隠れてしまうようだ。    立ち上がり二階に戻っていくふたりの姿を、三人娘はなるべく見ていることを気付かれないように顔を背け、視線だけ向ける。 「白笶様、なんだか楽しそうだったわね」 「いつもの氷のような冷たいお顔も素敵だけれど、あんな優しい表情が見られるなんて! 今日はいいことがありそう!」 「でもあの子が最初に着ていた衣、男物だったような気が······」  娘たちは顔を見合わせ、それはそれで······と新たな妄想を始めるのだった。

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