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4-8 蔵書閣

 出立まであと二日。  白笶(びゃくや)無明(むみょう)白群(びゃくぐん)が管理する蔵書閣へと足を運んでいた。  蔵書閣は霊山の麓にずっと昔からあり、崖の岩肌の中に埋められるかのように建てられている。  湿気で貴重な文献にカビが生えるのではないかと心配になるが、意外にも中はそんなことはなく快適な空間になっており、構造は上手く説明できそうにないが、とにかく書物たちの保存状態は間違いなく良好だった。  地面は平面に整えられており、邸より高い天井のギリギリまで埋め尽くされた、頑丈そうな造りの無数の本棚の所々に、一番高い所まで届くだろう、いくつもの長い梯子が立て掛けられていた。  ひと月半ほどいたはずなのに、ここに無明を連れて来るのは初めてだった。紅鏡(こうきょう)の食事処で蔵書閣の話をした時に、無明が楽しそうにしていたのを思い出す。  今もひとり先に前を行き、くるくるとあちらへこちらへと蝶のようにふらふらと迷い歩きしている。 「俺、もうここに住みたい!」 「······それは困る」  冗談なのに、白笶は真面目に困った顔で返す。ふふっと笑って、住みたいくらいここが気に入ったって意味だよ、と言い直す。 「白冰(はくひょう)様が言っていた書物はどこにあるかな?」  ひとり言のように呟いて、早くも断念しそうになる。本当に一生住んでも読み終わるか解らないほどの本の山に、無明は圧倒される。  白冰が話してくれた、かつての大戦のことを綴った日誌というものがあるらしいが、どの棚で見つけたかは覚えていないらしい。  他の書物や文献などは棚の番号ですべて管理されているのだが、そのどこかに紛れているだろう日誌のことは、管理帳には載っていなかった。 「兄上が言っていた書物とは?」  白笶は首を傾げて眉を顰める。無明に一体なにを吹き込んだのだろうと疑う。  白冰と無明は今もふたりで符術の研究をしていて、実験的に実戦で使用したあの通霊符の実用性について、最後の最後まで詰めているようだった。 「うん、晦冥(かいめい)で起こった大戦のことを綴った日誌だよ。作者も解らないって言ってた。自分も一度だけしか目にしてないから、疎覚(うろおぼ)えなんだって」 「········うん、」  背を向け背伸びをして書物を物色している無明に、微妙な返事で白笶は眼を細める。 (······日誌?)  白笶はひとつ思い当たることがあった。ずっと昔、最初に転生した時に、あの時の事を忘れないようにと書き綴った日誌。  碧水(へきすい)のこの蔵書閣は、奥の秘蔵庫以外は許可を取れば誰でも入れるので、この地を訪れた時に書物の森の中に隠したのだ。  それ以来手に取ることはなかったが、まさか白冰が偶然にも見つけてしまっていたとは夢にも思わなかった。しかもその余波が無明にまで及んでいるとは。 「無明、君はそれを見つけてどうするつもりなんだ?」 「え? どうするもなにも、読むんだよ?」  それ以外何の目的があろうか。白笶は自分で言っておいて心の中で狼狽する。 「白笶も手伝ってくれるよね?」  真っすぐにその大きな翡翠の瞳で見上げてくる無明に対して、白笶はただ頷くしかなった。

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