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4-9 触れたい

 白群(びゃくぐん)の内弟子たちが纏う、無明(むみょう)には少し大きな白い衣裳の袖から覗く指先が、なんだか愛おしい。探すふりをしながら、本棚を右往左往している無明に視線を向ける。  歩く度に揺れる一本に括った長い髪の毛が目に入る。結ばれた赤い髪紐。  ふと、腰に差している横笛に視線を落とす。その先に飾られた赤い紐飾り。あの時、鬼蜘蛛の繭の中で思わず掴んでしまった手首のこと。 (逢魔(おうま)は、約束をちゃんと果たしたんだな、)  終わりの日に、始まりの神子に託された横笛、天響(てんきょう)。そして、必ず神子を見つけて返すと誓ったあの赤い髪紐も。  目印はすぐそこにあったのに、晦冥(かいめい)の地で無明を助けた時は気付けなかった。  それにあの時、無明は白笶(びゃくや)に対して初対面の反応だった。その少し前に逢っていたことも忘れられていたのだ。   三年前。初めて無明と言葉を交わした時、ずっと捜していた神子かもしれないという、曖昧な感覚を覚えた。確証もないまま、その後再び逢う機会はなかった。  だから、あの日、晦冥(かいめい)で無明の姿を目にした時、心がざわついた。それも感覚でしかなかったが、確信に近いものがあった。それは仮面が外れ、舞を舞った瞬間、現実のものとなった。  触れたい。  愛おしい。  触れてはいけない。  触れたい。  それからは自分の感情を抑えるのが難しくなった。無明はそんな自分の気など知らず、無防備に笑みを零し、触れ、ずっと欲しかった言葉を紡いでくる。どうして、君というひとは、そうなのか。 「白笶?」  背後に気配を感じて無明は振り向こうとしたが、そのまま本棚と白笶の間に挟まれて身動きが取れなくなる。  今の状況は正直、冷静さを保てそうにない。白笶の薄青の衣の袖が顔の右側に、もう片方はその少し左斜め下に、無明を囲うように本棚に身体を預けて置かれていた。  その距離はとても近く、無明は背中から感じる温度に少なからず動揺の色を見せる。白笶はなにも言わず、その両腕に逃げ道を阻まれているため、無明はただ立ち尽くすしかなかった。 「えっと、こっちの本棚にはないみたい、だから」 「うん、」 「あっちの方に、行きたい、んだけど?」 「うん、」  うん、と低い声で応えているのに、白笶はまったく動く気配はなさそうだった。振り向かなくても、白笶の眉目秀麗な顔が自分の首筋辺り、すぐ後ろにあるのが解る。  一体どうしたのだろうと問いたいが、心臓の音が外に聞こえそうなくらい煩かった。頬に息がかかるくらいの、触れそうで触れない微妙な距離感に頭の中が混乱して、どうにかなりそうだった。 「もう少しだけ、このままで、」  耳元で囁かれた声は、少し掠れているせいか艶っぽくてぞくりとした。俯いたままいつもの調子がでず、されるがまま、無明は胸元で本を抱きしめて耳まで赤くなっているだろう自分の顔を恨んだ。  白笶はしばらくして何事もなかったかのようにすっと離れ、ひと言だけ「すまない」と呟いた。 (やってしまった······)  後悔先に立たずとはまさにこの事だろう。無明から離れて、自分の口元を右手で覆う。運の良いことに、その顔はいつも通り無表情で、むしろ怖いくらいだった。 (私は、今、なにをしようとした?)  というか、寧ろ、してしまった、というのが正解だろう。  触れたい。  抱きしめたい。  そんな衝動をなんとか抑え込み、しかしその寸前まで及んでいた事に自分でも驚きを隠せない。 (抑えるのが難しくなってきた。気を付けないと、自分でもなにをしでかすか解らない)  無明を視界に入れないように、少し離れた所で再びあてもなく書物を探すふりを続ける。一体どれくらい時間が経ったのか、それさえわからなくなる。  結局、日誌は見つからず、ふたりは心の中で喧しいくらい自問自答を繰り返していたが、無言のまま肩を並べて蔵書閣を後にした。

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