98 / 144

4-13 教えて欲しい?

 白冰(はくひょう)は人差し指と中指を親指を起点にしてぴんと弾いた。それは目の前で文机に頬杖を付き、上の空になっている無明(むみょう)の額に見事に当たり、途端、ひゃっという声が自室に響く。 「せっかく一日時間を空けて、君と最後の研究に没頭しようと思ったのに、君ときたら······これで何回目かな?」 「うぅ······白冰様、手加減しているとはいえ、痛すぎるよ」  赤く腫れあがった額を両手で抑え、涙目で無明は訴える。 「ふふ。これでも十倍以上減で、優しく優しくしてあげているんだよ?」  もちろん、本気でやったら頭が吹き飛ぶ可能性は高いだろう。  竜虎(りゅうこ)に聞いたのだが、彼の腕力はその細腕からは想像できないほど強いらしい。無明は頬杖を解き、そのまま机に上半身を預け、はあと大きく嘆息する。 「どうしたの? なにか悩みごとかい? 私でよければ相談にのるよ?」  よしよしと猫でも撫でるように無明の頭を撫でて、白冰は笑みを浮かべる。  さっさと通霊符の完成を目指したいのに、当の本人がこの状態では難しいだろう。なので、とりあえずその原因を取り除くのが先と考えた。 「白冰様······俺、病気かもしれない」 「病気? どこか痛むのかい? 診てあげようか?」  普段のあの無明からは考えられないほどの元気のない答えに、本気で心配した白冰《はくひょう》が訊ねる。  仮にも神子である無明に、何かあってはならないと思っての事でもあった。 「いつから調子が悪いの? 玄武との契約の後?」  無明は首を振って「違うよ」と答える。伏していた身体を起こし、白冰を見上げ、また大きく嘆息する。 「なんか胸の辺りが痛くて······あと、頭がぼーっとする」 「本当に? ちょっといいかな?」  白冰は頬に触れて熱を測るが、少し自分よりも熱いくらいで風邪などではなさそうだ。    心臓のある辺りに触れてみても、特に変わった心音はしない。けれども無明が嘘を言っているようにも思えず、首を傾げる。 「ちなみにだけど、なにか思い当たることはある? そうなる前に起きたこととか、」  訊ねた途端、無明の顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。 「蔵書閣で、白笶に······本棚にどんってされた」 「どん?」  無明は蔵書閣で起こった事を、簡単にだが的確に話した。それを聞いた白冰は少し考えて、それから急に声を上げて笑い出した。 「あははっ······くくっ········ホント、君ってひとは······ははっ········面白すぎっ」  無明は涙目で転げるように笑っている白冰に、唖然としていた。  白冰がこのように感情を露わにして、大笑いをしているところなど見たことがなかったからだ。 「あのね、君のそれ、重大な病だよ!」  かと思えば、がしっと無明の両肩を掴んで、急に楽しそうに顔を覗き込んでくる。それは新しい玩具を手にした時の幼子のように。 「え······俺、死んじゃうの?」 「うーん。そうだね、そこまでの病ではないけど、ある意味とても大変な病だよ」  白冰のどこまでも楽しそうなその表情は、到底、台詞とは合っておらず、無明もさすがに首を傾げる。  冗談なのだろうか?  それとも本気だろうか? 「それを治すための方法はひとつだけだよ? 教えて欲しい?」 「治せるのっ!?」 「もちろん。でもそのとっておきの方法を教える代わりに、私の頼みも聞いてくれるかな?」 「うん! 聞く!」 「じゃあまずは通霊符の完成に向けて、最後の詰めを終わらせようね」  はーい! と無明は右手を元気に掲げて返事をする。  白冰は内心、笑いが止まらない。だって、それは、どう考えても|あれ《・・》だ。思春期の若者が、だれでも一度は味わう、一大行事。 (それにしても······白笶(びゃくや)、君って子は、)  白冰は白笶が不憫に思えてきた。  悠久の時を繰り返して来た彼は、神子の華守(はなもり)であるが、過去に何があったかを少しだけ聞いていた。そのことを先に伝えていたら、今よりも少しは進展していたのかもしれないのに。 「神子とのことは、過去の事です。しかし、その想いは消せないし、ずっと忘れることはない」  白笶はそう言っていたが、心はそう簡単には変えられない。  目の前にかつて愛したひとと瓜二つの者がいて、魂は同じで、しかも好意もある。いつでも触れることができるし、無明はこんな感じなので、今まではまったく気にしていなかったはずだ。 (自覚させてあげるのが、一番いいだろう。その後のことはふたり次第だし、私が手助けできるのはそれくらいだ)  その数刻後、ふたりの研究はひとまずなんとか一段落し、次の段階へと進むことになる。  通霊符を応用して活用するために、手の平に納まるくらいの大きさの合わせ鏡を媒体にして、片方を白冰が、もう片方を無明が持つことにした。  明日出立した後、その鏡を通じてさらなる実験をするためだった。そして白冰は約束通り、その病を治すために必要なあることを、無明に提案する。  無明はまったく疑うことなく、その提案を真剣に聞き入れるのだった。

ともだちにシェアしよう!