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4-17 鬼神
ああ、そうだ、と逢魔 が付け加えるように肩を竦める。
「俺があなたの声に応えらえないとしたら、それは、俺より強い者の領域結界の中にいるか、もしくは、消滅した時かな?」
「逢魔、」
白笶 が目を細めて無言で咎めてくる。軽く言ったつもりだったが、無明 がその言葉を耳にした途端、表情が固まっていた。
本当の事なんだけどな、と心の中で呟いて、逢魔はうーんと首を傾げる。
「大丈夫。俺はこう見えて強いから」
よしよしと無明の頭を撫でて、にこやかに逢魔は言った。
無明は少し何かを考える素振りを見せ、それから自身の髪の毛を括っていた赤い髪紐を解いた。
長い黒髪が背中にばさりと落ちる。癖の付いた髪を気にするほど几帳面でもないため、そのまま二回ほど首を横に振って背中に垂れた髪を揺らす。
邸に戻れば、もう一本予備の髪紐がある。無明は握りしめた赤い髪紐を見つめ、頷く。
白笶から聞いたのだ。逢魔が神子からもらった髪紐を、ずっと大切に身に付けていたことを。
そして逢魔が言っていた。
その髪紐は今は飾り紐として、無明の宝具である横笛に付けられていると。
「逢魔、これを、」
そっと逢魔のひんやりと冷たい右手を取って、その手の平に髪紐を乗せる。そのまま手を重ねて、握らせた。
「俺に、くれるの?」
「俺のじゃあんまりご利益とかないかもだけど、約束の証だよ」
約束の証? と逢魔は首を傾げる。自分がどれだけマヌケな顔をしているのか、知る由もない。
「うん、必ず俺の許に戻ること。そのことを忘れそうになったら、これを見て思い出して?」
「必ず、あなたの許に戻るよ」
逢魔は握られている右手の上に置かれた、無明の手の上に左手を重ねる。約束だよ、と無明は確認するように言って、笑みを浮かべた。
「気を付けてね。用が済んで戻ったら、一度顔を見せて欲しい」
「うん、わかった。あなたもどうかひとりで無茶をしないで、」
肩に手を置き、ぽんぽんと軽く叩いて、安心させるようにゆっくりと優しい声音で逢魔は言った。
太陰 は逢魔が神子の気を引くために、わざとあんなことを言ったのだろうと悟る。
(鬼神 がそうそう消滅なんてするか)
鬼神とは、天地万物が生んだ存在。始まりの神子が天ならば、闇を司る神は地。
陰と陽が交わり生まれた最強の精霊なのだ。妖鬼などと一括りにしては恐れ多い存在。聖獣と同等の存在と言えよう。
人の世には間違った伝えられ方をしているようだが、これこそが真実。
無明たちは出立のための準備もあるので、別れの挨拶もそこそこにして、邸の方へと帰って行った。
太陰は「おい」と横に立つ逢魔の右腕を肘でつく。案の定、いつものように、なに?と軽い返事が返って来る。
「紅鏡 に行く口実ができたのはいいが、神子に迷惑がかかるようなことはするなよ」
「そんなヘマはしないよ。ちょっと気になることがあるって言ったでしょ? それを確かめに行くだけだよ」
神子から貰った赤い髪紐を大事そうに握りしめ、ご機嫌な鼻歌を歌う逢魔に、そうか、と太陰は呆れたように疲れた声で呟く。
その言葉を残して、逢魔はさっさと姿を消した。
好奇心が仇にならなければ良いが。
(黒曜 の身体は、あの時完全に消滅した。しかし、結局、元凶であった邪神はそうはならなかった。神子たちが命を賭して繋いだものを、易々と渡してたまるか)
紅鏡に元凶が潜んでいるのだとすれば、それは厄介でしかない。晦冥 の地に一番近く、境目の結界もどうなるかわからない。
奴らの目的がはっきりしていない以上、少しでも手掛かりがあればいいが······。
敵は、一枚も二枚も上手のようだ。しかも相当頭が切れる。邪神が今まで息を潜めていたのには理由があるはずだ。今も完全ではないのだろう。
嫌な予感がふいに胸を過った。
これから神子たちが進む西の方角を見据える。
(少陰 、)
白虎は四神の中で一番年下、というか若い聖獣だ。癖のあるあの者が、神子に粗相をしないか心配でならないが。
ここ数日、西の方に黒い靄がかかっていた。そして同時期から少陰と通霊ができていない。
神子に言おうか迷ったが、止めた。余計な気を回してもしようがない。
衣を翻し、太陰は暗い洞穴の中へと、音も立てずに消えて行った。
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