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5-5 蕾

 無明(むみょう)がした生返事を承諾の意として、少陰(しょういん)はパンと小さな手を正面で叩き、そのまま突き出すように前に広げる。  途端、無明の足元に白い大きな花の形の陣が現れる。それは本物の花が咲くように、大きな四枚の花びらが中心で開き、そのまま身体を呑み込むように覆って閉じてしまった。  人ひとり呑み込んだその白い花は、大きな蕾になり、一瞬にして静寂が訪れる。 「妙に急いでいるように思えるけど、なにかあったの?」  逢魔(おうま)は最初こそ敬語だったが、その後はいつも通りに人懐っこい口調で少陰を見下ろす。  「お前たちも見て来たであろう? あの都を。病鬼(びょうき)が現れ、疫病を撒いた。だが現状、問題はそこではないのじゃ」 「どういうこと?」  少陰は頭が痛いとでもいうように、片手でこめかみを押さえて大きく息を吐き出す。口には尖った牙がちらり見える。 「十人の少女たちがひと月半前くらいから次々に失踪していて、未だ行方がわからん。数日前から姮娥(こうが)の宗主の三女も行方知れずになった。怪異なのか人の手によるものなのか、妾はここを離れられんので解決してやることも叶わない」 「ひと月半くらい前って言ったら、」  無明たちが紅鏡(こうきょう)を出て、碧水(へきすい)に着いた頃である。これは偶然だろうか?それともこれも企みのひとつだと言うのか。  逢魔は白笶(びゃくや)に視線を送ると、同じことを考えていたのか小さく頷いた。偶然などではない、と。 「けれども、それと病鬼がどう関わって来るんだろうね? バラバラに切り離して考えるべき?」 「都でなにか情報が得られていればいいのだが、」  少女たちの失踪はひと月半ほど前くらいから、最初は十日ほど置きに、次は五日置き、三日置き、とどんどん間隔が縮まり、十人目で止まったらしい。  その後に疫病が流行り、代わりに失踪は止まった。しかし三日前に急にまたひとり増え、しかもそれは姮娥の宗主の三女だなんて。 「でも少陰姐さんはどこでそんな話を聞いたの?」  ふと、疑問が浮かぶ。神子の命がない限り、この堂を離れられない少陰は、都のことなど知る由もないだろう。千里眼があるわけでもない。 「それは、ここによく来て手入れをしてくれる寡黙な少女が、妾の堂の前で訴えたからじゃ。姮娥の宗主の次女だったか。事情は詳しく訊かずとも触れれば大体わかるからの、」 「大胆なことをするよね、姐さんは」  見えないとしても、普通の人間に触れるだなんて。一応神と名の付く者のすることではない。  だが、そういうことを何のためらいもなくするのが彼女でもある。  人間が好きでたまらない、この白虎という四神の性格上、そのままにはしておけなかったのだろう。 「お前たちが来るのは時間の問題だったし、神子なら放ってはおくまい」 「ああ、そうだ、あのね、姐さん。無明は神子と呼ばれるのが苦手みたいなんだ。目覚めた時は、名前で呼んであげてね?」  少陰に気圧されたのか、言葉を挟む余裕がなかったのか、無明はそのことについて何も言わなかった。  逢魔は「お願いね?」と笑顔で念を押す。 「そうなのか? 神子は神子じゃのに苦手とは、摩訶不思議じゃの! だがそれを望むなら、叶えてやろうぞっ」 「ありがと、少陰姐さん」  そんなふたりのやり取りを、黙って白笶は眺めていた。  その先に見える大きな花の蕾の中で、無明がどんな夢を見ているのか。どうか、悲しい夢でないことを祈る。  もう、あんな涙は見たくなかった。 ****  ――――半刻後。    大きな花びらがゆっくりと花開き、陣もすぅっと消えた。途端、立ったまま眠っていただろう無明の身体が傾ぐ。  その身体が地面に付くことはなく、細い両腕を白笶と逢魔が掴んで支えていた。  夕陽が空を染め、太陽が少し大きく見える。抱き上げた無明の頬が朱色に染まるが、白笶にはどこか儚げに見えた。  無明を堂に寝かせ、目覚めるのを待つ。涙はなかったが、こちらが不安になるくらい顔色が悪かった。案の定、四半刻ほど意識が戻らなかった。  瞼が震えて、ゆっくりと開かれた時、無明は小さく笑って見せたが、それはどこかいつもと違っていて、ふたりは胸騒ぎを覚える。  あの中で何を見たのか、無明は言葉を濁すばかりで、頑なに教えてはくれなかった。代わりに、心配しなくても大丈夫だよ、と笑う。  その本当の意味を知ることになるのは、もう少し後の事。  この時、どうしてもっとしつこく訊ねなかったのかと、ふたりは後々後悔することになる。

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