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5-16 梟

 病鬼(びょうき)朎明(りょうめい)に至近距離で霊弓の矢を突き付けられても、身体を起こしただけで、にたにたと笑うばかりだった。含みがあり気味が悪いその笑みは、どこまでも不気味で、この鬼の底知れないなにかを感じさせるには十分だった。 「お前の主はどこにいる?」  とにかく、何か聞き出せることはないかと言葉を紡ぐ。これが本当に病鬼で、間違いなく特級の鬼なのか。  今のところそれを裏付けるものがない。守り刀の光で、いとも簡単に弾き飛ばされた事実がある。本当に特級の鬼なら、そんなものは効かないだろう。 「なんのために都に疫病を齎した?」  朎明はつがえたままの三本の矢の先を向け、問う。やせ細ったその鬼は、にたりと笑いながらこちらを見上げてきた。 「なんのためぇ? そんなのきまってんだろうぉが!」  はっと朎明は身構える。それは、目の前の鬼が急に手を掲げたからだった。思わず後ろに飛んでそれを躱し、そのまま矢を射る。矢は三本とも正確に病鬼に向かって行ったが、異常な身のこなしですべて外された。矢は霊力で作られた物で、地面に突き刺さるとそのまま消えた。 「こうやってぇ、操るためさぁ」  病鬼の足元に赤黒い陣が浮かび上がる。陣から放たれたその赤黒い光の柱は一瞬にして闇色の空に伸びると、地面と同じ紋様が天に広がり、都の上空を覆った。その光は悍ましい気配を纏い、辺りを不穏な空気に変えてしまう。 (こんな広範囲の陣····一体、なにをするつもりなんだ)  操ると病鬼は言った。嫌な予感が過る。 「俺の本当の能力は、疫病を撒き散らす病鬼の力ではなく、俺が喰らった妖鬼の能力を操ること、」  朎明の横に、白笶(びゃくや)竜虎(りゅうこ)がそれぞれ駆け寄る。清婉(せいえん)は宿の中に避難させ、被害が及ばないように白笶が結界を施した。 「俺の通り名は(きょう)。お前ら術士からは特級の鬼と呼ばれている」  先程までのやせ細ったぼろぼろの衣を纏う病鬼の姿はなく、代わりにそこに現れたのは、美しい容姿をした青年のような姿の妖鬼だった。  分けられた前髪は頬にかかるくらい長いが短い黒髪で、瞳は漆黒。すらりとした細身だが、背が高く、白笶と同じか少し高く見えた。消炭色の暗い灰色がかった衣を纏い、右腕に金の輪を付けている。切れ長の両眼の端が赤い色で彩られていて、男の姿をしているのに色っぽくも見えた。 「(きょう)····確か、」 「ああ、変化(へんげ)を得意とする特級の妖鬼」  しかし、(きょう)という妖鬼は、玉兎(ぎょくと)ではなく光焔(こうえん)の地にいるはず。白笶は珍しく怪訝そうに眼を細めた。  竜虎は白冰(はくひょう)に教えてもらっていた情報で、すべてではないが、現在解っている特級の鬼の存在を知っていた。  その中に、(きょう)という名があったのだ。  だがここで疑問が生じる。なぜ、彼がここにいるのか、と。わざわざ病鬼の姿で現れ、都を疫病で溢れさせ、失踪事件にも絡んでいる? 竜虎はなにがなんだが解らなくなってきた。 「面白い顔をしている場合じゃないかもよ、少年」  竜虎は自分に話しかけられていると気付き、はっと我に返る。そうだ、あの陣。あの陣は晦冥(かいめい)の地、そして碧水(へきすい)の地で見た六角形の陣と同じ。ということは····。 「言っておくが、この陣は俺が発動したものじゃないぜ? そういうのが得意な奴らを知ってるだろう? 俺はただ遊びに付き合ってやってるだけさ」  右手を腰に当てて、肩を竦める。その背後からゆらゆらと蠢く者が集まって来ていた。身体中に青紫色の斑点のあるその者たちは、この都の民たちに他ならなかった。妖者ならまだしも、民が相手となれば話は違ってくる。 「悪趣味な····疫病は病ではなく、呪いの一種ということか?」  朎明は唇を噛み締めながら、妖鬼を睨みつける。民たちは意識はないようで、皆、虚ろな眼差しをしており、まるで傀儡のようだった。 「ちょっと待て! じゃあ烏哭(うこく)の四天の妖鬼使いは、中級の病鬼を特級に調教したんじゃなくて、本物の特級の鬼を操っているってことなのか?」  そんなことができるのか? そもそも、この目の前の鬼は操られているというよりは、自らの意思でここにいるように見える。この事態を面白がっているというのが正解だろう。白笶は竜虎がそれを口にしたことで、あることに気付く。 「····そうか、あの宿に集まっていた者たちは、」 「そう、この国のあらゆる場所に存在する、烏哭(うこく)の烏たちよ」  白笶がすべてを口にする前に、(きょう)の後ろからすっと現れた人影がその答えを口にする。その声は男のものだったが、話し方は女のようだった。隣の妖鬼と変わらない背丈で、体格も同じくらいだろう。 「お初にお目にかかります。私は烏哭(うこく)、四天がひとり······」  丁寧にお辞儀をし、後ろに迫りくる大勢の民たちを背に、赤紫色に彩られた口元を緩める。頭から被っている漆黒の衣のせいで、表情はまったく見えない。しかし、その男は今までの四天の者たちとは違い、名を告げた。 「冬の天、名を上天(じょうてん)と申します」

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