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5-17 陽動
四天のひとり、上天 と名乗ったその者は、赤黒い光を湛えた陣の真ん中で、妖鬼の梟 と共に、並んで立っている。あの陣が現れてから、青白く輝いていた半月が、いつの間にか真っ赤に染まっていた。
彼らの後ろには集結した虚ろな眼差しの民たちが並び、その数は百を超えている。小さな子供から老人まで、都中の疫病に罹った者たちが集まっているようだ。
「ふふ。この陣は妖者を召喚するためだけの陣じゃないのよ? ある特定の陰の気を招き、その地の禍 を増幅させるの」
「なぜそんなことを私たちに教える?」
朎明 は顔の見えない敵、上天 を睨みつけるが、相手はまったく気にしていないようだ。
「この地にばら撒いた病鬼 の呪いは、禍 となった。おまけにこの陣がそれを増幅する。堂に封じられている宝玉は、今頃どうなっているかしら?」
少陰 が動けないと言っていたのは、そこに宝玉があり、それを守るためでもあった。厳重に封じられているとはいえ、それはあくまで外部から守るためのもの。碧水 の宝玉と同じく、内側からの穢れには対処しきれないだろう。
「でもあなたの力なら、この事態を治められるのではない?」
竜虎 を指差して、上天はふふっと笑った。確かに、金虎 の一族の直系の者だけが持つ力ならば、可能だろう。すべての術や陣を無効化できるその特別な力ならば。
しかし、この数は竜虎の力の許容範囲を超えている。陣を使えば可能かもしれないが、その後の事を考えると得策ではないだろう。そんな竜虎の想いとは逆に、朎明 はこちらを真っすぐに見つめ、懇願するように袖を引いた。
「竜虎殿、····無理を承知でお願いしたい」
彼女のそんな顔を、ここに来てもう何度も見ているが、民を想う気持ちに竜虎も決意せざるを得なかった。けれどもなぜ敵側にいる者がそれを提案するのか。そこは深く考えなくてもいいのか、それとも····。
(どちらにしても、民を盾にされたまま戦う事なんてできない)
白笶 に指示を仰ごうと視線を送ると、小さく頷いた。どうやら同じ考えのようだ。いずれにしても、あの陣を無効化する必要がある。
赤黒い不気味な光のせいで、この辺りだけ異様な空気を纏っており、奥の奥に群がっている民たちをも照らしている。殭屍 の群れとなんら変わらない光景に、ぞくりと背筋が冷たくなる。
(無の陣は実戦で使ったことがない。けど、失敗は赦されない)
竜虎は羽織の腕を捲り、指を絡め、印を組む。
「なあ、俺たちは見てるだけなわけ? もっと遊びたいんだが?」
梟 はつまらなそうに肩を竦める。この男が何を考えているかは解らないが、せっかくここまで大きな舞台を用意したのに、あっさりと幕を下ろされては面白くもなんともない。
「ああ、そうそう。もちろん、邪魔はさせてもらうわよ」
「そうこなくっちゃね。俺の相手は····もちろん、そこの色男かな」
視線だけ白笶に向け、梟 はにぃと笑った。それを察した白笶は、双剣、双霜 を一瞬にして両手に出現させる。朎明は陣を完成させるまで無防備になる、竜虎の守護を引き受けることにした。
白笶と梟 の姿が消えたかと思えば、ここから離れた場所でやり合っている。あちらは彼に任せるしかないだろう。向かい側にいる漆黒の衣の男は、陣の内側から動く気はないようだ。
しかし、待機していた民たちの足がゆっくりと動き出す。広い路を埋めるように集まって来た民たちの最前列が、もうすぐそこまで迫って来ていた。
「じゃあ私からは面白い話をしてあげましょう。ある、可哀想な女の話を」
「え····どういう、」
「朎明、耳を貸すな!」
竜虎の一喝で朎明は我に返る。それがたとえ今起きている事の真相だとしても、聞くのは今じゃない。
「あの子は目の前の真実を信じず、まやかしの影の言葉を信じた。人間って本当に弱い生き物よね」
哀れなものにかけるように、はあと嘆息して上天は呟く。それが誰の事を言っているのか、朎明は首を振って否定する。
そんなはずはない。そんな弱いひとではない。けれども絶対に違う、とは言い切れない自分がいた。
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