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5-21 夢幻

 それは誰が見せている夢なのか。  自分が自分ではない感覚。俯瞰で見ているような、そんな不思議な情景。  目の前に広がるのは、数えきれないほどの亡骸。人、鬼、妖獣、さまざまな亡骸が荒野の先まで広がっていた。まるで地獄絵図のような光景に目を瞑りたくなるが、それは叶わない。  暗い、陰気な空の上に浮かび、見下ろしている。  ここは、他でもない、あの晦冥(かいめい)の地だ。  その土地は草の一つも生えない、陰の気に満ちた岩と土だけの枯れた荒れ地。  その奥深くに見える、先端が鋭い岩が幾重にも重なって、一つの山のように盛り上がっている場所が、伏魔殿(ふくまでん)のある晦冥崗(かいめいこう)だ。  烏哭(うこく)の宗主がいるだろう伏魔殿は、晦冥(かいめい)の地に唯一存在する建造物で、太陽の光も届かない薄暗い雲が常に空を覆っているような場所である。  晦冥と紅鏡(こうきょう)の境目の辺りに、避難したのだろう術士たちが事の顛末を見守っているようだった。  五大一族、それぞれの衣を纏った者たちがいるということは、余程の事が起こっているのだ。  皆、同じ方向を向き、固唾を呑んでいるように見える。その視線の先こそが、伏魔殿の上空を覆っている神々しい光を湛えた陣だった。  そこでまた場面が変わる。  光の届かないその建物の中に、唯一存在する灯篭の光。そこに数人の姿が浮かぶ。 『あれは····、』  玄武、太陰(たいいん)氷楔(ひょうせつ)の中で、邂逅したふたりの神子。  膝の後ろ辺りまである長い白銀髪。  黒衣に身を包んでいる始まりの神子は、四天と違って頭から衣は纏っておらず、代わりに額から鼻の頭辺りまでを覆う白い仮面を付けていた。  始まりの神子の隣には、背の高い青年が佇んでいる。切れ長の眼は深い黒で、体つきはすらりとしているが逞しく、秀麗な顔立ちが余計に冷淡さを帯びているように見えた。  結いもせずに背中に垂らした黒髪。  彫刻のように完璧な容姿を持つその青年は、胸元を飾る銀の装飾以外はすべて漆黒であった。  長い髪の毛を背中に垂らし、その左右のひと房ずつを纏めて後ろで軽く赤い髪紐で結っている、白い神子装束を纏ったもうひとりの神子は、対立するようにふたりの正面に立っていた。  控えるように後ろに立つふたりの青年は、その成り行きを見守っているように見える。  その姿に、思わず「え?」と声が出た。その声はこの場にいる誰にも届いていないようで、慌てて口を塞いだ意味がなかった。  ひとりは、五大一族のひとつである姮娥(こうが)の一族が纏う濃い藍色の衣を纏っていた。  背中に流れる細い薄茶色の髪の毛を青い紐で括り、後ろで軽く結っていて、切れ長の眼は青みのある灰色だった。  その眉目秀麗な顔立ちや雰囲気は、どこか朎明(りょうめい)に似ていて、それとは別にもうひとり、頭に浮かんだ人物がいた。 『····朎明にも似てるけど、どちらかと言えば、白笶(びゃくや)に似てる気がする』  顔は全くの別人なのだが、そう思えてならない。  そしてもうひとりは、紛れもなく逢魔(おうま)だった。  今よりもどこか幼さが垣間見えるが、間違いなく彼だった。  細くて長い黒髪は後ろで三つ編みにされており、赤い髪紐がその先に蝶々結びで飾られている。  自分が知っている彼と全く同じ、右が藍色、左が漆黒と半々になっている衣を纏い、左耳には銀の細長い飾りを付けていた。 『じゃあ、始まりの神子の横にいる人が、烏哭(うこく)の宗主····始まりの闇、黒曜(こくよう)?』  つまり、目の前に広がるこの光景は、五百数年前、晦冥(かいめい)の地で起こっていた出来事ということだろうか。 「なぜ、ひとりで来なかった」 「ごめんなさい。ふたりには、ちゃんと見届けてもらいたくて」  始まりの神子は単調な口調で神子に問う。ひとりで来るようにとあれほど釘を刺したのに。  華守(はなもり)だけならまだしも、連れて来るなと言ったはずの鬼子(おにご)までもいる。    見届けてどうなるのだ、と始まりの神子は仮面の奥で眼を細める。 「神子を責めないで。俺が、あなた(・・・)に、逢いたいという理由では駄目?」  逢魔が震えた声でそう呟く。今の彼からは想像できないような、自信のないその声音に、なんだか心配になった。一体、逢魔に何があったのか。  よく見れば、三人の衣は汚れ、怪我もしており、ここに来るまで楽ではなかったのだろうことが想像できた。 「なにも言うな。私はなにも語りたくない」 「····なんのことだ。お前は知っているのか、この鬼神(きしん)を」  表情を変えずに、始まりの神子を黒曜(こくよう)が一瞥する。そして初めて口を開いた。その声は重く、この場所ではよく響いた。  しかしその言葉に驚いていたのは、逢魔の方だった。 「······は? なに、鬼神(きしん)って、」 「なにを言っている? お前は自分をなんだと思っているんだ?」 「幼い頃から、鬼子(おにご)、と呼ばれていた」  黒曜は淡々と言葉を紡ぐ。始まりの神子はもはや隠し立てする意味を失い、首を振った。 「鬼子は、人と鬼の間に生まれた半妖で、その特徴は金眼。人よりは強いが、鬼には程遠い存在。鬼神は天地万物が生んだ存在。陰と陽が交わり生まれた最強の精霊の、こと」  逢魔は、並大抵の妖者では太刀打ちができないほど霊力が強く、身体能力も五大一族の人間たちでさえ誰も敵わない。    唯一、神子の華守である黎明(れいめい)にだけは、勝ったことがなかった。 「そうか、お前は、俺の子か····」  黒曜は神子が真実を語る前に、思い知る。  その眼は、慈雨のように優しく、悲しい色を浮かべていた。

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