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5-22  生まれてきた意味

 黒曜(こくよう)の言葉に、逢魔(おうま)は目を瞠る。始まりの神子が生みの親であることは、ここに来る前に神子に聞いていた。  幼い頃の記憶がない逢魔にとって、育ての親はあくまで神子たちだった。  鬼子(おにご)と疎まれていた時期に出会った、神子たちこそが、自分の命を懸けるに値する存在だと確信していた。  十五年という長い時間、共に生きて来たふたりこそが、逢魔のセカイのすべてだったのだ。  それなのに。 「邪神、夜泮(やはん)が気付かぬように、黒曜(こくよう)、あなたにも一生言うことはないと思っていた」 「····今更、消え逝く者が知ったところで、どうなるものでもない、か」 「そういう意味ではない。この子の存在を知れば、あなたがどうなるか解らなかった。あなたは、それを望んでいなかったから」  始まりの神子の特異な体質によって生み出された、多くの異形たち。そのすべてが邪神の仕業で、その所業は黒曜を悩ませていた。  自分の知らぬ間に、蝕んでいくその邪神の意識は、目の前の神子を傷付け、邪を孕ませ、この烏哭(うこく)を作り出した。  闇の化身である四天の存在が、さらに黒曜を苦しめる。彼らは邪神によって神子から生み出された存在だというのに、なぜか自分を王として慕っているのだ。  烏哭(うこく)黒方士(こくほうし)として傍にいる、始まりの神子の存在など、知らないまま。 「ひとつ、聞いてもいいかな?」  ふたりの会話を黙って聞いていた神子、宵藍(しょうらん)が、平静とした口調で問いかける。逢魔の表情がどんどん曇っていくのを見ていられなかったのだ。 「私と黎明(れいめい)にとって、この子は大切な存在。かけがえのない、子。でもあなたたちとって、この子はなに? 始まりの神子と始まりの闇神(あんしん)にとって、要らない子? 望まないのに生まれた子なの?」  逢魔の前に庇うように立ち、宵藍が両手を広げる。俯き、暗い顔で後ろに立っていた逢魔の顔が、くしゃりと歪む。  神子の背中は自分よりずっと小さく、細いのに、いつだって大きく見えた。我が子を庇うように立つその姿は、長い時間を共有してきたからこそだろう。 「違うでしょう? 自分が生み出した子を、手放さなくてはならなかった本当の理由は、そんな単純なものではなかったはず」  強い眼差しで、自分よりもずっと強大な相手に臆することなく訊ねる。逢魔は、思わず顔を上げる。宵藍の表情は見えない。けれども、その先にいる人物と目が合った気がした。  その言葉に嘆息し、俯いた始まりの神子は、顔を覆う仮面に手を伸ばす。すっと外した後に現れた顔に、三人は少なからず驚く。  そこにあった顔は、自分たちの傍にいる宵藍と全く同じ顔だったのだ。 「宵藍、俺は君の言葉を信じていなかったわけではないが、今、こうやって目の前にして、やっと思い知った」 「うん、正直、····私も驚いてる」  髪の色と長さ以外すべて、鏡を見ているように同じだった。始まりの神子が自分の魂を半分に分けて、転生させているのが目の前に存在する神子。  神子の記憶に、始まりの神子と黒曜の記憶がない理由がそれだ。それ以降の記憶は引き継がれていて、国の穢れを鎮めるためだけに生まれ、存在しているのだ。  しかもそれは、結果的に自分自身が生んだ闇や穢れを鎮めている。邪神が始まりの神子を使って、この国を覆う闇を生み出しているのだから。 「守るために手放すしかなかった。数年は隠しておけたが、それ以上は難しいと確信した。記憶を消し、晦冥(かいめい)から一番遠い玉兎(ぎょくと)の地に置き去りにした。あのままここにいたら、鬼神(きしん)であることを利用され、多くの犠牲を生むだろうことが容易に想像できたから」  小さく笑うその表情は、宵藍(しょうらん)と全く同じ。どこか自分を責めるようなその笑みを、逢魔は見ていられなかった。 「でも、やはり正解だった。君はその子を見捨てずに、立派に育ててくれた」  こちらにゆっくりと歩いて来る始まりの神子に、逢魔は逃げ出したいような、駆け寄りたいような複雑な気持ちになっていた。目の前にして理解することがある。妙な確信があった。神子に出会った時と同じ、不思議な感覚。 「これを、君に託したい」  袖から取り出したそれは、立派な横笛だった。それを逢魔に向けて差し出す。逢魔は無意識に自然とそれに手を伸ばしていた。 「これは、私の宝具(ほうぐ)、名を天響(てんきょう)という。今日、この日、私とそこの神子はひとつに戻る。この地に今存在するすべての邪の者を、この魂を以って封じる。だが、封印というものは万能ではない。いつかは破られ、再び邪が放たれるだろう。もちろん、魂が解放されれば、神子も生まれる」  見上げてくるその瞳は、翡翠。お互いの冷たい手を重ねて、その間に横笛があった。放したくない。そんな気持ちが言葉はなくてもそこにあった。 「だから、君に託す。神子の眷属にして、最強の称号をもつ鬼神。私の大切な、子。真名はもう受け取ったね? 君が真っ白になった神子を守ってあげて?」 「····俺、は、」  逢魔は泣き出しそうなその表情で、自分を生み出したひとを、ただ真っすぐに見つめていた。その胸の奥に、突然渦巻き出したものがあった。どんどん甦って来るそれは、記憶の欠片。感情。  生まれ出たあとの数年間、失っていた記憶が波のように押し寄せる。  頬をつたう涙が、その意味を語っていた。  記憶の中で、笛の音が鳴り響く。自分のために奏でられたたくさんの曲。  それは、かけがえのない優しい音となって、いつまでも逢魔の頭の中に残るのだった。

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