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6-8 鬼子の噂

 紅鏡(こうきょう)の地から東へ。整えられた道が続いていて、しばらく歩くと草原へと出た。そこから山を越え大人の足で五日ほどで、豪華な楼閣が立ち並ぶ都、金華(きんか)に辿り着く。  金華(きんか)の地は雷火(らいか)の一族が治める地である。  光明(こうめい)は何度か黎明(れいめい)の時に立ち寄った地へ向かう。ここまで来て思ったが、各地方の宝玉はしっかりとその役目を果たしているようだ。  始まりの神子(みこ)宵藍(しょうらん)が、四神の代わりに創り出したその宝玉は、穢れを浄化し、清浄な地を齎している。しかし、四神の加護を受けていた時と同様、怪異や妖者がいなくなったわけではない。  宝玉はあくまで穢れを一時的に浄化しているだけで、完全ではないのだと知る。だから、宵藍は自分がいなくなった後の事を頼むと言ったのだ。術士は大勢いるが、公子たちのように特別な力は持っていない。彼らがやれることは限られているのだ。  途中、雨に降られ、古びた小屋に身を寄せた。長い間誰も住んでいないようだった。近くに村もないので、とても助かった。埃を掃い、所々崩れている床の上に腰を下ろす。  玉兎(ぎょくと)の地を離れ、姮娥(こうが)の邸を出たあの日から、三ヶ月ほど経っていた。  季節は夏。  外は雨だが蒸し暑く、普通の者なら不快で顔を歪めていただろう。 「······屋根があるだけマシだな」  ぽたぽたとどこかでしている雨漏りさえ気にならない。宵藍とふたりで旅をしていた時は、大半が野宿だった。幼い逢魔(おうま)を連れて歩くようになってからは、それがほとんどなくなった。  それまでは、 「私は君と一緒なら、どこでも寝れる。夜空を見上げながら眠るのが好きなんだ」  と、言っていたのに、 「まだ幼い逢魔に寒い思いはさせられない。お金持ちの公子様、今日の宿はどこにしようか?」  というやり取りに変わった。  その変化に戸惑うことはなかったが、おかげで宵藍の心配をする必要がなくなった。少しでも身体を休めて欲しかった。  毎日のように怪異を鎮め、穢れを祓い、妖者や烏哭(うこく)の刺客と戦う日々。眠る時くらいは、その心配から遠ざけてあげたかった。 「······君は、いつだって、そうだった」  自分のことは後回し。他人の事ばかり。口許が自然と緩む。一緒に過ごした時間は、いつまでもずっと自分の中に残ったまま。  それがどんなに救いか。 「俺は、逢魔を見つけて、また共に過ごす。できる限り、傍にいる。なにも語ってはやれないが、」  関りがあるこの身なら問題ないだろう。逢魔が光明という名を付けたのだ。赤の他人だなんて絶対に言わせない。  だが、その後は?  この身も朽ちて、次に生まれた時、もう関りは完全に無くなる。  そこまで考えて、首を振る。 (その時は、また、)  結局、ひとりにしてしまうのではないか?  光明は座ったまま身体を丸めると、膝の上で両の手を祈るように握りしめ、額に当てる。  ぽた、ぽた。  ぽた、ぽた。  乾いた板の上に落ちる雨音と、自分の中の鼓動が重なって不安を覚える。  人と鬼の時間は明らかに違う。しかも逢魔は同じ神子の眷属でも、聖獣と同等の存在。鬼神(きしん)なのだ。  光明はしばらく考えたが、良い方法は見つからなかった。 ****  金華(きんか)雷火(らいか)の一族の直系の持つ能力は、攻撃に長けた雷と風を操る能力で、金虎(きんこ)を除く五大一族の中でも群を抜いていた。  青龍の加護を失っても、公子たちの高い霊力によって、怪異が起こってもすぐに鎮められるし、妖獣や特級の妖鬼とも渡り合えるだろう。  しかしこの金華の地は少し特殊で、市井(しせい)の建物の大半が妓楼の楼閣になっており、またの名を千年不夜の花街と言われていた。  昼は一変して普通の店が並び、それはそれで活気に満ちているが、人が関わる怪異が多く起こる地で、大半は色恋沙汰の(こじ)れが恨みに変わり、怨霊や幽鬼が生まれ、人に取り憑いて悪さをするのだ。  悪さだけで済めばいいが、呪いで人が何人も死んだり、そこからまた関係のない穢れが繰り返されるため、厄介な地でもあった。 (こんなところで情報なんて聞き出せるのか?)  まだ少年の身である光明が、妓楼に行くわけにもいかず、動けるのは昼くらいだろう。案の定、夜になった途端、市井の雰囲気が変わる。光明はさっさと宿に戻ることにする。  宿の一階は食事処になっており、夜になると酒も提供しているようだった。大人たちが集まって賑やかしくしている。そんな中、 「なあ、聞いたか?」 「なにを?」  青年がふたり、会話をしていた。光明はその横を通り過ぎ、部屋のある二階へ続く階段の方へと向かっていた。 「金眼の鬼子の話だよ」  その足が止まる。  今、男はなんと言った? 「俺の知り合いの商人が、金華と光焔(こうえん)の境目辺りで、運悪く殭屍(きょうし)の群れに襲われたんだと」 「そりゃあ······そいつはもう生きちゃいねぇだろう。ご愁傷様、」  拝むように青年は手を合わせる。いやいや、まだ話は終わっちゃいねぇよ! ともうひとりの男が突っ込みを入れる。 「だから、その金眼の鬼子に助けられたんだと!」 「鬼なのになんでひとを助けるんだよ! 夢でも見たんじゃねぇのか?」 「その話、詳しく教えてくれ!」  な、なんだ? と突然割って入って来た立派な身なりの少年に、ふたりは顔を見合わせて首を傾げている。藍色の羽織を纏う少年をもう一度じっと見るなり、男たちは慌てて背筋を伸ばした。 「こ、これは、姮娥(こうが)の公子様! って、なんでこんなところに?」  基本、他の一族の者が違う地に赴くことはあまりない。男たちもその羽織の色で判断しただけで、実際に姮娥の公子かどうかは正直解っていない。  それでも背筋を伸ばさせてしまう雰囲気が、この年下の少年にはあったのだ。  男は言われた通り、先日商人から聞いた話を光明にしてやる。 (逢魔は光焔(こうえん)にいるかもしれない!)  二階に駆け上がっていったかと思えば、荷物を手に慌ただしく降りて来た。  文字通り、二階の通路に設けられている木の枠に片手を付いて、そのまま一階に飛び降りて(・・・・・)来たその少年は、宿の女将に宿代を渡すと、そのまま無言で出て行ってしまったのだ。 「やっぱり、公子様はすげぇや」  あんなに賑やかだった宿がしん、と一瞬だけ静まり、それから「おおっ!!」という声が上がる。そんなことなど露知らず、光明は千年不夜の街を駆け抜けていた。

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