「やあ、白笶(びゃくや)！ 大怪我をして何日も眠っているって聞いていたから、心配していたんだ。体調はどうだい？ 怪我は平気？」 「······兄上？ これは、なんですか、」 　白冰(はくひょう)の問いかけには答えず、白笶は落ち着いた声音で訊ねる。 「これはだねぇ、私と無明(むみょう)の知恵と発想で生まれた通霊鏡(つうれいきょう)だよ、」 「兄上、もしかして無明にまたおかしなことを教えませんでしたか？」 「なんのことかな？」 「いえ······忘れてください」 　白笶はなんとなく察して、それ以上問うのを止める。しかし、白冰は何とも言えない顔でこちらを見つめてくる。 「うん、その、伝えるべきかどうか迷う所なんだが、知っておいた方が良いだろうから伝えるよ」 　急に真剣な顔になって、白冰が話を続けるので、重要な事だろうと思い白笶は耳を傾ける。 「君の、神子と話をした。彼は、君ならいなくなった無明を見つけられる。連れ戻せる。そう言って、私に良い方法がないかと訊ねて来たんだ」 「どいういう、ことですか？」 　握りしめる鏡に力が入る。何を言っているのか。誰の事を言っているのか。 「無明から通霊が入ったと思ったら、なんだか雰囲気が違っていて。訊ねたら、自分は無明ではないと言ったので、驚いたよ」 　誰か、ははっきりとは言わなかったが、話を聞いて白冰はなんとなく事情を把握した。 「憶測でしかないが、宝具である夢幻香が、なんらかの作用で神子の魂の記憶を読み取って見せた幻が、強い霊力に触れたことで、一時的に具現化されたんじゃないかと思うんだが······私と話をしたそのひとは、確かに無明の顔をした別人だった」 　白笶は顔を歪ませて、唇を噛み締める。複雑な感情が胸の中を駆け巡っていた。間違いなく、いたのだ。ここに。無明の中に。そんなことにも気付けずに、ただ眠っていたことを悔やむ。 「夢を共有する術があるのを思い出して、それを教えた。難しい術だが、そんなことは神子にしてみたら大した問題じゃない。君が目覚めたのなら、夢の中で無明と逢えたってことかな」 「彼は、神子はなにか、言ってましたか？」 　俯いたまま、白笶は呟くように訊ねる。 「君の幸せを、ただ祈るばかり、と」 　また、そうやって。ひとのことばかり。 「兄上、」 　なんだい？ と白冰は優しい声音で問い返す。 「必ず、無明を守り抜きます。なにがあっても、です。そのためにも、あなたの力を貸して欲しい」 　鏡越しに頭を下げて、白笶は言った。正直、白冰は最初からそのつもりで動いているのだが、どうやら白笶とは認識のズレがあったようだ。 「なにを水くさい。私は君の兄なんだから、当然だろう？」 　言って、白冰は困ったように笑うのだった。 ＊＊＊＊ 　その半刻前。 　竜虎(りゅうこ)は数日前、別れ際に朎明(りょうめい)が教えてくれたあることを思い出していた。 「こんな時にあれなんだが、実は奉納祭で紅鏡(こうきょう)に赴く前、金虎(きんこ)の白獅子(しろじし)様がこの地を訪れたんだ」 「伯父上が!?」 「ああ、姮娥(こうが)の邸に挨拶だけしに来たようで、近くを通ったから立ち寄っただけとのことだったが、母上が行き先を訊ねたら、光焔(こうえん)の緋(ひ)の宗主に用があるのだとか、」 　つまり、光焔の地に、あの白獅子がいるのだ。 　竜虎は目を輝かせて、朎明(りょうめい)に礼を言う。その反応は予想していなかったのか、朎明は首を傾げていた。 　通り名である白獅子の異名を持つ、現宗主の兄。名を、虎斗(こと)。竜虎にとって伯父なのだが、放浪癖があり、各地を転々としているひとで、二年に一度、いや、三年に一度その姿を見れたら奇跡だろう。 　緋(ひ)の宗主と言えば、あの奉納祭の時に面白がって騒ぎを煽っていた人物だ。一体、伯父はあの緋の宗主に何の用があるというのだろうか。 「竜虎様？ 入らないんです？」 　そんなことを思い出しながら、白笶の部屋の前で立ち尽くしていた竜虎は、後ろからかけられた声で我に返る。 「なんだ、清婉(せいえん)か。食事？ お前が作ったのか？」 「はい、無明様に昨日の昼に頼まれたんですが、扉越しにやっぱり朝にもう一度持って来てと言われて、」 　粥を中心にした薬膳料理だったので、とりあえずあたため直せば良いと思い、清婉は心配しつつも無明に従ったのだ。 「そうか。それなら無理にでも食べてもらわないと困るな」 　つまりは、昼も夜も食べていないということになる。竜虎は嘆息し、扉に手をかける。入るぞーとひと言だけ声をかけて、遠慮なしに開けた······が、すぐに勢いよく大きな音を立てて閉じた！ 「え？ どうしたんです？」 「どどどど、どうも、してない！ と、とにかく、一旦、戻るぞっ」 「ええっ!? 駄目ですよ！ せめて食事を届けさせてください！」 　清婉は竜虎の様子が変なのは重々承知だったが、ここは譲れないと扉に手をかけようとする。しかし、竜虎はその腕をがっしりと掴み、引き留める。お盆の上の皿たちがカシャカシャとぶつかり合って音を鳴らす。 　いや、それは別に後でいいだろう！ と小声で怒鳴ってくる竜虎に負けじと、清婉はお盆を死守しながらも扉の方へ向かおうとする。 （あんな姿、他の誰かに見せられるかっ!!） 　狭い寝台の上でふたり、それぞれ手首を赤い紐で繋ぎ、寄り添って眠っている姿を見てしまった竜虎は、なんとしても部屋に入るのを阻止すべく、清婉をどうにか説得する。 「もう、なんなんですか!? 解りましたから！ は・な・し・て・く・だ・さ・いっ」 　清婉は半分押し切られるように竜虎に従う。そのまま竜虎はずかずかと大袈裟に音を立てて、清婉を連れて逃げるようにその部屋から遠ざかっていく。 （この、······恥知らず!!） 　そう思いながらも、花窓から射し込んだ陽だまりの中、幸せそうに眠っているふたりのその姿を見て、美しいと思ってしまった自分自身に動揺するのだった。