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番外編 桜舞う日、君と④
「俺は、無明 だよ」
それは、本当に偶然の出逢いだった。
「公子様は?」
「私、は····、」
「捜したぞ! 母上が鬼の形相でお前を捜し回っていたが、今度は一体、なにをしでかしたんだっ!?」
白笶 の声を遮るように、後ろから大きな声がこちらに向かってかけられた。全速力で丘を駆け上がって来たのは、何度か見かけたことのある少年だった。たぶん金虎 の第三公子だろう。
公子は白笶の姿を見るなり青ざめた顔をして、
「白群 の第二公子様、この者がなにか非礼をしたのなら、お、私も一緒に謝ります!」
なぜか無明の頭を鷲掴みにして、一緒に頭を下げさせた。
「ちょっ、俺はなにもしていないよ!」
「いいからっ黙って謝ってろっ」
そして勢いよく顔を上げ、今度は丁寧に腕を囲って揖する。
「すみません。急ぎの用がありまして! 本当に失礼極まりないのですが、ある意味、命に係わるため、お先に失礼します!」
「竜虎 !? ちょっと、待って! 俺は本当に何もしてないってっば!」
腕を掴んで引きずるように連行するその姿を、呆然と白笶は眺めているしかなかった。そして手の中に握ったままの髪紐を思い出し、引き留めようと声をかける。
「これ、君の····、」
「返してくれるの? ありがとう、公子様!」
後ろ向きになって無明は手を伸ばす。その小さな手の平にそっと、自分の手の平を重ねるように置いた。赤い髪紐は持ち主に戻ると、手の中でひらひらと揺らいで楽しそうだった。
「ほら、早く! 逃げるか隠れるか謝るか、だ!」
「だから、ホントに俺はなにもしてないんだって! なんで何か起こると全部俺のせいにするんだ、姜燈 夫人はっ」
「知るか! どちらにしてもほとぼりが冷めるまでは隠れてろっ」
ふたりはぎゃあぎゃあと喚きながら、慌ただしく丘から去って行った。
ひとり残された白笶の横に、先程姿を消したはずの桜の化身が並んでいた。
『黎明 様、お久しぶりです』
頭の中に直接話しかけてくる桜の化身は、どこか同情したような表情でこちらを見上げてくる。
『あの子供は、不思議な子でして。霊力が安定していないにも関わらず、私の姿が見えるし、声も聞こえるようで。つい嬉しくなって、年甲斐もなく今年も花を咲かせてしまいました』
「私も、少し気になることがある、」
確証はなく、けれども、何かが引っかかる。惹きつけられる。
『気になることと言えば、十数年前に、一瞬だけ神子の気配がしたと思ったのですが、すぐに消えてしまったんです。あれは気のせいだったのか、』
「それは、私も同じだ。その後はなにも感じなかったが、」
それは不変だった悠久の時の中での変化に思えた。この出遭いは希望なのか、それとも。
「無明、」
あの少年には似合わない名だと思った。あの舞は本当に見事で、目を奪われた。痴 れ者などと呼ばれているらしいが、そうは思えなかった。
その後、無明の姿を目にすることはなく、あの日から三年後————。
再び出逢った時、白笶は確信する。
あの時の邂逅は、決して偶然ではなく、出逢うべくして出逢ったのだと。
「やはり、君だったんだな」
愛しいものでも見るような眼差しで、白笶は柔らかい声音で呟く。
その意味を知る者は自分以外いない。
遠い昔に交わした約束。誓い。
―――――あの日からずっと、君を待っていた。
〜番外編 桜舞う日、君と〜 了
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