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番外編 桜舞う日、君と③
奉納祭まではあと二日。
紅鏡 を立つまでは四日ほど。
紅鏡の古い桜の木を目指していた。あの場所は、かつて烏哭 にこの地が脅かされ、取り戻した証として植えられた木だった。
ずっと花を咲かせずにいたはずの桜が、数年前になぜか満開になっているのに気付き、それからは毎年足を運んでいた。
いつも誰もいないはずの桜の木の下に、ひとつの人影が見えた。
近付くにつれ、それが少年であることに気付く。少年と判断したのは纏っている衣でだったが、本当のところは解らない。
少年は金虎 の一族の従者が纏う黒い衣を纏っていて、結んでいても腰まである長い黒髪を、赤い髪紐で高い位置で括っていた。
その後ろ姿に一瞬、なにか不思議な感覚を覚えたが、すぐに消えてしまう。
(なんだ? ····今、なにか、)
気のせいか、と白笶 は肩を落とす。強い風が吹き、桜の白っぽい花びらが無数の雪のように舞った。黒い衣の少年は、こちらに気付くとなぜかくるくると回り出して、見たこともない見事な舞を舞い始める。
その姿はまるで、桜の木に宿る人ならざる者のように見えた。かと思えば、急に音程の整わない下手な歌を口ずさみ始める。
白笶はそこでやっと気付く。
(あれが噂の、金虎の第四公子?)
その少年は遠目で見ても背が低く、額から鼻までを覆う仮面を付けており、噂の通りの人物のようだ。その噂を耳にした時、絶対に関わらないようにしようと心に決めていただけに、この唐突すぎる出遭いに一歩足を遠ざけそうになる。
「誰? あ、どこかの公子様かな?」
くるくると回りながら、その少年は声をかけてきた。そんなに回るのが好きなのだろうか?
「え? 知っている人なの? 俺にも紹介してよっ! なんで〜? 教えてよっ」
声をかけられたかと思ったら、急に会話がおかしくなった。
(放っておいた方がいいのだろうか····)
少年はくるくると回るのを止め、今度は桜の木の幹にぴったりとくっついて、耳を当てていた。
(夜にまた足を運ぼう、)
踵を返そうとしたその時、引き留められるかのように、先ほどよりもずっと強い風が白笶の横を通り過ぎていく。
その風は色の薄い桜の花びらと一緒に、少年の髪の毛を括っていた赤い髪紐を攫って、ふわりと舞い上がらせた。
「あっ!? 俺の髪紐っ」
少年の手をするりとすり抜けて、赤い髪紐は風に飛ばされていく。髪紐を失ったせいで、艷やかな黒髪がばさりと背中にかかり、無造作に宙を舞っているようだった。
なんの偶然か、その髪紐は白笶の目の前に運ばれて来て、思わず反射的に掴んでしまっていた。
(赤い、髪紐?)
掴んでしまったものを離すわけにもいかず、仕方なく白笶は再び桜の木に足を向けた。あの少年が、こちらに駆け寄って来る。
「それ、俺の! 良かった、風さんが持って行っちゃったかと思った」
目の前に立つと、少年はほっとした声で口元を緩めて微笑を浮かべる。
仮面の奥の瞳が逆光でよく見えないが、舞い上げられた髪の毛がだいぶ乱れていた。
「····平気か?」
「うん! 今の風、すごかったねっ」
この声は少女にしては低く、少年にしては高い声だった。たぶん年下だろう。背はだいぶ低く、白笶の胸の辺りまでしかない。会話をしながらも、白笶が握りしめている赤い髪紐をじっと見つめている。
「それ、俺のなんだ」
「うん、」
「えっと····俺の、なんだけど?」
白笶は無意識に目の前の少年を見つめていた。少年は少し困惑しており、髪紐を指差したまま首を傾げていた。
(なんだ? なに、か····、)
胸の奥でなにかが引っかかっていた。それがなにかが解らず、ただ少年を見つめていた。少年は諦めたのか、今度は白笶の右手を勝手に掴んで、桜の木に向かって歩き出した。
されるがままに、歩を進める。ぼんやりと。まるで夢の中を歩いているような感覚だった。
(いや····そんなわけはない)
けれども、この感覚はなんなのか。もどかしい気持ちがぐるぐると回って、気を抜いたら眩暈を起こしそうだった。そんなことを考えている内に、あの年老いた桜の木の下へと辿り着いていた。
「あのね、この子が君のこと知ってるみたい」
「君は、彼女 が見えているのか?」
「公子様も見えてるのっ!?」
木の枝からひらりと降りてきた桜の化身は、ふたりの前に跪いて拝礼していた。肩までの長さに切り揃えられた、白髪の幼い少女の姿をした桜の化身は、赤い瞳でこちらを一瞥すると、白笶に向かって首を振った。何も聞くなということだろうか。
「俺以外でこの子が見えるひと、はじめて!」
「····君は、いったい誰?」
言葉が上手く紡げず、間抜けな質問をしてしまった。桜の化身は見ていられなくなったのか、いつの間にか姿を晦ましていた。
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