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第1話
俺は、嫌だとずっと言っているのだけれど、奴からしたらそれは、興奮を煽るBGMでしかないのかも知れない。
さっきから小一時間、縛られて、ひたすらに手の爪を剥がされていて、なんだか気が狂いそうだ。
画鋲が、爪と肉を剥がすように差し込まれて。
そのあと奴は、画鋲ではなかなか爪の硬さに勝てないからと言って、針を焼いて差し込んできた。
信じられなかった。肉と爪がはがれるたび、その痛みに耐え切れず、いっそ指ごとつぶして欲しいと思った。その方が、痛覚がなくなる分、少しはましかと思ったから。
でも奴にそう頼んでも、奴は興奮した目で俺を見てくるだけなので、その真っ黒な目に吸い込まれそうになる感覚がいやで、やめてくれとか、痛いとか、この場においては全く意味も効果もない言葉を喘ぎ、喚いた。
手が血まみれになった頃、奴は、缶切りを持ってきた。それを器用に使って、俺の「願い」どおり、手を潰してくれた。・・・・
爪が根元から切り取られて、露わになったピンク色の、爪の下の肉を抉り取られ、小指の骨をグチャグチャに折られて、指と指の間の薄い水かきを切られた。
最初は喉が枯れるまで泣き喚いていたけれど、だんだんすすり泣きしかできなくなっていって、今はほぼほぼ黙って震えている。もう自分を客観的に見られるようになってしまった。
地下室で、裸の上半身が寒いせいもあるのだろう。爪を剥がされた指はずきずき脈打って痛い。その痛みが、頭まで上ってくる。
奴は、…メアディスは、そんな俺の反応を見ながら、つと立ち上がり、俺に背を向けた。
ぞっとした。この地下室にはたくさんの拷問器具が揃っていて、奴が見ているのは、壁に掛けられたそれたちだ。
多分、爪を剥がしたり、手を潰すのに飽きたんだろう。
もうやめて欲しいが、そう、哀願したところで結局、その悲しくて必死なトーンに奴がまたいやらしい笑みを浮かべるだけだろう。
奴の得になるようなことなんて、絶対にしてやるもんか。そう思ってはいるけれど、自分の体を破壊する道具を見ていたら泣きそうなので、俺は目をつぶった。
暗闇の中で、自分の右手がズキズキと痛む。自分の鼓動とか血の流れが意識されて、辛い。それで目を開けると、メアディスは手に万力を持ってこちらを眺めていた。
「睾丸」と、一言、奴は言った。俺にはその一言で察しが就いてしまった。ああ、そうですか、そうかよ。俺はこれから睾丸を万力で潰されるのか。ひどい。
奴は、睾丸が付いてるのに、そんなことして、自分がされたらとか考えて気分が悪くなったりとか、しないんだろうか。
・・・ああ、俺は奴にとって「モノ」だから、家畜の去勢でもしてる気持ちで、いや、もっと何か、ボウリングのピンでも倒すような気持ちで俺で遊ぶんだろうな。・・・
辛くて、怖くて、限界を超えると人間というのはわからないもので、思わず「ははは、」と薄く笑ってしまった。
「楽しみなの?」と、万力をもてあそびつつ、俺のマスターは訊いてくる。
「ついにアシュもマゾになっちゃったかあ。・・・うん、いいね、やりがいがあって。」
ふざけんな。勝手に話を進めるな。俺は、痛いのは嫌いだ。恥ずかしいのはもっと嫌いだ。
ほんとに奴は、頭がぶっ壊れてる。
俺がマゾヒストになることは、多分ない。奴も、そういう俺が本気で嫌がってるのを見るのが好きだから、俺をプレイの相手にしているくせに。
その癖に、わざとそうやって、俺が嫌がるようなことや、尊厳や恐怖感に触れるような言葉を投げつけてくる。
「・・・楽しみです、俺はマゾです、犬になります、って言ったら、少しは優しくしてくれんのか。」
皮肉であり、本気の言葉だった。犬になりきって手を舐めたなら少しは加虐の手を緩めてくれるというなら、俺はいくらでも卑屈になってやる。
万力を使うなら、多分奴は本当に、血が止まっても中身が出てきても、泣いても懇願しても気絶しても最後まで止めないだろう。人の痛みというものが判らないんだ。
それを、例えば屈辱だけれど、奴のブーツを舐めて犬の鳴き真似をして許されるなら、安い取引だ。少なくとも、マシだ。
「・・・降伏ってこと・・・?」
奴は少し考えてから、
「・・・もう犬じゃん。」と言った。
だってさあ、と、奴は言葉を継ぐ。
「きみのその嫌がってるのは、ポーズじゃん。
ほんとはもう、意地悪くされて、泣かされて、もうやめてください、って言いながら顔をぐしゃぐしゃにして、よくがんばったね、ってぼくに抱かれないとイけないくせに。
その、俺はまともです、こんなの嫌がってます、ってポーズだって、ぼくが真正マゾ相手だと燃えないからでしょ?かまってほしさの、純情ぶりっ子ポーズじゃん。」
「違・・・」
と言いながら、俺は混乱していた。
わからない。俺は自分のことを、奴が好きだから、奴からどうしたって逃げようがないから、だからこのキチガイじみた遊びのおもちゃにされているのだと思っていた。
でも確かに、普通にされたのでは物足りない。・・・だからといって金玉潰されたいわけではないんだが…
変なことをされると、すごく嫌だ。おもちゃにされている、と思うと、心に抵抗がある。あるけど、体は言う事をきかねぇ。
今から意地悪されちゃうんだ・・・・そう考えると、体がぞくっとして、背筋が急に熱くなる。体の中心から、脳へと、恐怖感なのか快感か分からないものが・・・
・・・結論、おれも頭がイカれてるってこと?いや、頭というか、体が?イカれてないか?
「・・・すみませんでした。犬です。・・・俺は、あなたの、犬です。」
もうわけがわからなくなって、俺は全面降伏した。
奴は
「ワンと鳴け。」
と言った。飼い主にそういわれたので、俺はワンとしか言えなくなった。
「わん・・・」
万力を股間にあてがわれても、わん。
いきなり急ピッチで強く締められてもわん、わん、と、思わず哀れっぽい悲鳴、というか、泣き声しか挙げられない。
そのまま強く強く、ギリギリ潰されて海綿体が摩擦と加圧で焦げたような苦痛を発し始めても、
「ヒ、グあ、、・・・わ、ワンッッ」
俺は、人間の言葉をがまんした。
俺のご主人様が、俺にワンと鳴けと命じたのだから、絶対に人間の真似をしてはいけない。いくら馬鹿な俺でも、それだけはわかる。
それをやってしまったら、多分、あと半年は陽の目を見られない。この地下で、ゆっくり壊される。
その代わり、もしかしたらだ、もし耐えられれば…ここで持ちこたえたら、死なないで済むかも知れない。
いや、多分、エスカレートしていく嗜虐に満ちた拷問に、俺は最初の決意も忘れて泣いて命乞いして、で、無様に挽肉にされるまでいろんな苦痛を味わうんだろうが。
もしかしたら。
もしかしたら、奴の方で飽きるのが先かもしれない。そんな一縷の望みに縋って、俺は悲鳴は挙げても、言葉を発さなかった。
ついに、自分の体で一番弱いところの一つが、潰されかけているのを感じ出した。
(痛い、痛い、いたいいたいいたいイタイイタイイタイ・・・)
呼吸さえもろくにできない。苦しい。死ぬ・・・ッ・・・!
俺の心は、めちゃくちゃな気分だ。頭でも、この状況の悲惨さを分かっている。でも、体だけが、なんかおかしい。
痛めつけられて、死ぬほど痛い思いをさせられて、おまけに、この後自分の体がどうなってしまうのか、怖いのに。何をされるか、怖くて仕方ないのに。
俺の性器は、勃っていた。睾丸を潰されて、プッちゅ、と言う音と共に何かがとんでもないことになってるのに。
もう取り返しがつかない何かに、俺は全身で絶望していたし、絶望を表現していたのに、ちんこだけが全力で喜んでやがった。
裏切りとしか、言いようがない。
「アシュベル、ちんこガチガチになってる。きもちーい?ねえ、ぼくは変態のアシュベルが見られて、だいぶきもちわるいよ♪」
楽しそうな奴の声。笑いながら、さらに万力を締め上げてくる。くそ、俺で遊ぶな。違う、これは、違う。
うまくいえないけれど、そういうんじゃないんだ。
俺は唸った。俺は犬なので、喋ってはいけない。だから、犬の真似をして、奴を睨み付けながら唸ってやった。
もしかしたら、こういう反抗が奴の好みなのかも知れない。だけどこんなにされて、こびて甘えるなんてバカだ。せめて、嫌がっているという意思表示をしなければ。
もしかしなくても、こんなのは反抗にすらなっていないんだけれど、一矢報いたい、という叶わない願いに、俺は牙を剥いて唸った。
なのにどこかでこの惨劇を喜んでいる自分を、感じなくもない。痛いのに、苦しいのに、奴の綺麗な顔が淫靡に歪むのを見て、脳内で変な汁がドバドバ出ている。
「や、だ…」
うそだ。こんな俺は、嘘だ。情けなくて、惨めで、もう、どうしようもない。どうしていいのかまったく分からない。
脚がガクガクしている。
股間からは血が抜けてるのか、感覚が無くなっていく。目は涙で滲んでるのか、しかしながら視界に入る奴が嬉しそうににやにやしていて、それに背筋がびくりと反応した。
「人間語、喋っちゃったねぇ?」
これでいたぶる口実が出来た、と言わんばかりの、奴の勝ち誇ったような表情。
多分だけれど、メアは俺が嫌がってるのにも関わらず後で俺が奴のした狼藉を全部許すのを愛情の証明だと思ってるし、俺は俺で嫌がってるのにやられちゃうのが好きなんだ。
というか、俺の情けないところも不細工な喚き面も、奴が可愛い可愛いと言って全部受け止めてくれてる気がして、好き。
まぁ、バカとか変態とかブサイクとかモノ以下とか色々な言葉を投げつけられるし、体に半田ごてとかナイフで消えない落書きされたりもするんだけどな。
ほんとに殺されると思うこともあるし。でも、殺さないで見捨てないでいてくれるんだ。それって、愛じゃないか?・・・勘違いかもしれないが。
痛いことそのものはどうひっくり返ったところで、好きにはなれない。
でも、奴の悪意は裏を返せばその分俺への、俺と言う肉体への精神への興味関心なんだ。少なくとも、飽きられてはいない。
おもちゃとしてではあっても、俺は愛されている。そう思えるから、奴からの被虐に興奮する。
・・・いやいやいやいや、ナイナイナイナイ。
やっぱいやだ。普通に愛してくれ。これが「愛」?ふざけるな。
こんなのは愛じゃない普通でもない。
俺が死なない体だからと言って、こんな目にあわせるのはどう考えてもおかしい。おかしいとは思うんだけれど、俺の体は異常な反応を示していく。
ああ、だめだ、自分から、「なぶってください」と哀願しそうになる。いやだ。嫌なのに。なんで。
触れられて、体が火照るのがわかる。次の瞬間、バールみたいなもので頭を殴られた。背筋に電流が走る。あ、だめだ、もう逆らえないんだな、と、なんとなく思う。
もういいんだ。死ぬほど苦しめられたって、それで奴が喜んでくれるなら、ぜんぜん構わない。どうせ治るし。・・・と、順調に洗脳されていく。
奴は、人間ではない。いろんな意味で。
俺が運よくこの拘束を解いて奴から逃げ出せたって、遅いのだ。
奴は、ほとんど年をとらない。太古の昔は、人間だったらしい。でもある時、解けない呪いを掛けられ、不死身の化け物となってしまったという。
どんなに傷付いても、すぐに治ってしまう。痛みもあまり感じないらしい。
と言うかそれ以前に、奴は強かった。
華奢な外見に騙された山賊などは、すぐに返り討ちに遭った。
奴は、人間が豚か虫けらにしか見えないらしかった。
体も人間離れしていれば、心だって人でなしだ。
大体の感情表現が、奴の中では相手を傷つけることと直結している。
子供のように無垢な残虐さが、神のように完全な肉体と結びついている様は、どう見てもアンバランスだった
俺はもう100年はこいつに仕えている、と思う。
ある時、孤児院から俺を買った美丈夫がいた。それが、奴だ。
俺は七歳のある日、奴に買われた。
それからいろいろあって、18のときに、俺も死ねない体にされてしまった。
俺の体はせいぜい頑丈、と言う程度で、奴にはどうあがいても勝てそうにない。
俺は、多分壊れてしまったのだと思う。
最初は、反抗もしたし、奴から逃げようともした。
けれど、そのすべてが無意味で、しかも奴を不機嫌にさせたりとか、喜ばせるだけだったのが、壊れた原因だ。
不機嫌になった奴は、俺に仕置きと称して色々と残酷な処刑をした。首筋に硫酸を流し込まれたりとか、鞭で死ぬほど打たれたりとか、思い出したくもないことばかりだ。
奴の病的なところとしては、愛情表現も猟奇的だったのがそうだ。
機嫌をとって媚びても、奴は俺を痛めつけた。
首を絞めてその青黒い跡を愛でたり、内臓を抉り出してその形を指でなぞったりされた。
壊れた奴の感性の相手をさせられているうち、こちらまで壊れてしまった。
奴の言う通りなんだ・・・被虐なしで、多分生きられない。
ほんとはもう、意地悪くされて、泣かされて、もうやめてください、って言いながら顔をぐしゃぐしゃに歪めた後で、偉いねと頭を撫でられて、よくがんばったね、って抱かれないとイけない。でも、そういう風に「されてしまった」のであって、そうなりたかったわけじゃなかったんだ。
今や、俺はまともです、こんなの嫌がってます、と言う態度は、奴を燃えさせるポーズでしかなくなってしまった。でも、最初からそうだったわけじゃない。こうならないと、多分生きてこれなかった。
こちらは全力で適応しているのに。そうしなければ死活問題なのに、奴にとっては俺を家畜みたいに飼い慣らして歪めていくのは、暇つぶしのお遊びでしかない。こんなひどいことって、あるだろうか。
まあ、しょうがないよな、あるんだから。そうやって、俺は、何もかも受け入れるしかないんだ。そこに、嫌だとかいいとか、感情を挟む余地などない。
だから今日も、「俺は犬です。」と、ワンと鳴いて見せるんだ。
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