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第6話

 ――あの日以来、春と相談して、朝と夕方は春の家で栄養補給という名のデートをすることになった。それ以外にも、春が家で勉強する時は一緒になって課題をやったり、本を読んだり、何を話すでもないけれど、同じ場所で同じように時間を過ごすようになった。目の前で将来のためにペンを走らせる春。僕も、自分の将来とちゃんと向き合いたい。そう思い、尊人に相談することにした。 「おー、お前もそろそろそんな時期か」 「うん。具体的にどんな仕事がしたいとかは決まってないんだけど……」 「確認だけど、雪は進学じゃなくて就職希望なんだな?」 「そうだね。春がいない状態で学校生活が送れるかと聞かれると自信がない」 「よし」  僕の言葉を聞き届けると、尊人はカバンの中から一枚のパンフレットを僕に差し出した。 「eat love 求人募集要項……?」 「そう。お前うちで働けよ」 「……えっえ、いいの⁉」 「Vロームの八割はここで働いてるから、結構メジャーな進路だよ。他には、Vロームが個人でやってる店に就職するのがベタかな。あとは医療従事者になってVロームが受診する病院に勤めるヤツもいるけど、進学しないならeat loveがイチオシだぜ?ここは学歴不問だからなっ!」  腰に手を当てて、得意げな笑みを浮かべる尊人。少し安心したのか、胸の中に渦巻いていた不安な気持ちが少しずつ溢れ出していくのが分かった。 「……僕、将来のことがずっと不安で。Vロームになったら普通の仕事はもう出来ないんじゃないか、母さんをラクさせてあげられないんじゃないかってグルグル悩んでさ。そしたら春が、そういうことは尊人さんに相談しないとって言ってくれて」 「なるほどな。こういうのってさ、当事者になればなるほど視野が狭くなるもんだよ。俺も頃合い見て誘おうと思ってたんだ。だからあいつのアドバイスは正解。視野の広いヤツがパートナーってのは、いいもんだよな」 「尊人が春を褒めてるの、初めて聞いたかも」 「まだまだ雪を任せるにはほど遠いけどな!」  自分の未熟さに呆れる気持ちもあるけれど、僕には頼りになる人がいる。それが再確認できて、心底安心出来た。しかし次に尊人から発せられた言葉に、僕の身体はまたズシンと重たくなる。 「でもな雪、ここで働くなら、雪には一つ絶対やってもらわなきゃならないことがある」 「と言いますと…」 「おばさんに、打ち明けることだよ」  そう、僕は結局、母さんにVロームになったことを未だに打ち明けられずにいたのだ。 「そんな落ち込むなよ。eat loveに就職が決まったら、さすがにもう隠せないだろ? どんな団体かは調べれば出てくるんだし。なんでうちの子が?ってなるだろうしさ」 「……母さん、なんて思うだろう」 「そりゃ、ショックはショックだと思う。もしかしたら、雪を受け入れられなくて拒絶するかもしれない。でもな、そうなったとしても雪は一人じゃないよ。俺がいるし、富実がいるし、ひかじーがいるし、春がいるだろう」  尊人が力強く僕の手を握る。その手は少し震えているように思えた。 「俺たちは、一人でも多くのVロームとその家族に生きてもらうこと、平和に過ごしてもらうことを目指してる。幸せなんて大層なことは言わないよ。ただ毎日が穏やかに過ごせるように。雪も一緒に働いてくれたら、俺は嬉しい」 「……うん。分かった」  僕が首を縦に振ると、尊人は安心した表に表情を緩ませる。そして狙ったかのように後ろの扉からは富実さんが飛び出して来た。 「やったー! 仲間が増えるー!」 「はしゃぐな! まだ問題山積みだろーが!」 「雪ちゃんのmommyでしょ? ちゃんと話せば大丈夫だって」 「あのなぁ……」 「一人が不安なら、俺らが付き添ったらいいじゃない!」  富実さんが「ナイスアイディアでしょ!」と言わんばかりに僕と尊人を交互に見ているけど、尊人は少し考えたあと、富実さんに対して首を横に振った。 「いや、俺が行く。富実が来るとややこしくなるのが目に見えてる」 「ひどい!」 「あの、母さんは尊人のことも知ってるから、その方がいいかもですね」  僕が援護射撃をすると、富実さんは不満そうに口をとがらせる。でも母さんに富実さんはいきなり刺激が強いかもしれないので、ごめんなさいと頭を下げた。 「ちぇ~。上手く行ったら、雪ちゃんママに俺のことも紹介してね。約束!」 「分かりました、約束です」  その後、尊人と相談して母に打ち明ける日を決める。母には、昔近所に住んでいた尊人とまた知り合ったから挨拶に来ると伝えておいた。もちろんこのことは春にも事前に相談することに。 「そっか、ついに言うんだね」 「その時、春のことも言うつもりなんだけど、いいかな?」 「もちろん。日を改めて俺も挨拶に行くから。頑張れ、応援してる」 「……うん、ありがとう」    ついに迎えたその日。僕はそわそわしながら尊人の到着を待つ。そして待ち合わせの五分前にインターフォンが鳴った。 「お邪魔します~」 「いらっしゃい。まあ尊人くん! 大きくなったわね」 「お久しぶりです、おばさん」  招き入れられ、母の前に着席する尊人。僕も深呼吸して、尊人の隣に腰掛けた。 「ご両親はお元気でいらっしゃるの?」 「母は健在ですが、父は分からないです。実は両親の離婚がキッカケで引っ越したので」 「そうだったの……。ごめんなさい、無神経なことを聞いて」 「いいんです。それに離婚の原因は俺なので」 「どういうこと?」 「僕が、Vロームを発症したからです」  重たい空気が、一気にリビングに立ちこめる。母は言葉を失い、二の句が継げなくなっている。しかし尊人は毅然とした態度で母に向き合い続けてくれた。 「……今日ここに来たのは、僕と、雪の話をするためです」 「雪の……?」  母さんから視線を投げられ、僕も深呼吸して決意を固めた。 「……母さん、僕は今年の四月の終わり頃からVロームになったんだよ」  真っ直ぐに、母さんと視線を重ねる。きっとショックを受けるだろうと思っていたのに、母さんの表情は想像していたものとは違った。ぐっと眉に力を入れ、険しい顔であることに間違いはない。でもそれはまるで、何かの答え合わせをするかのような、そんな顔に見えたのだ。 「じゃあ、白雪を助けてくれたのは、尊人くんなのね?」 「eat love という、Vロームを支援する団体を母が立ち上げて、そこに雪が電話を掛けてきてくれたんです。僕に繋がったのは完全な偶然ですよ」 「……それでも、尊人くんに繋がったなら良かった」  僕がVロームであることを聞いても、取り乱すことも、泣き叫ぶこともなく、ただ淡々と尊人のやり取りをする姿を見て、その予感は確信に変わった。 「母さん、母さんもしかして……」 「……だってあなた、ちゃんとご飯を食べてるのにみるみる痩せていったから。もしかしてと、思ったわよ……」  小さく言い残し、母さんは両手で顔を覆い隠す。その両手の隙間からは、ポタポタと雫がこぼれていた。 「でも、怖くて言えなかったの。病院に行きましょうって言えなかった……っ」  ああ、そうか。そうだったんだ。母さんも僕と同じだったんだと思うと、不思議と心が軽くなる。でも、どう言葉をかけたら良いか分からずにいると、尊人がフォローに入ってくれた。 「気付いても受け入れられない親御さんは多いです。おばさんは悪くないですよ」  尊人からの言葉を受け取り、黙りこくっていた母さんが静かに言葉を発した。その言葉を聞き逃さないよう、耳をそばだてる。 「……ある日、急に顔色が良くなって帰ってきて、きっと自分で気付いて、誰かに助けを求めたんだと思った。だからこそ、聞かなくちゃってずっと思ってた。でも聞けなかったの。あなたの口から直接聞いて、今まで通り愛してあげられるか自信がなかった……っ」  母さんがゆっくりと顔を上げる。そして、しっかりとその瞳に僕を映した。 「一日でも早くあなたを病院に連れて行くべきだったのに、認められなくて、私は危うくあなたを見殺しにするところだった。本当にごめんなさい……っ」  思わず立ち上がり、母さんを抱きしめる。僕は自分が犯した間違いに、ひどく後悔した。 「父さんが死んで、これ以上母さんに苦労を掛けたくなくて……ずっと黙ってて、ごめん。隠せるはずなかったのに、ごめんなさい」 「……あなたを愛してる。本当なの、嘘じゃない……それは、嘘じゃないの……っ」 「僕も愛してる。ありがとう、ごめん母さん」  小さい頃、母さんに抱きしめてもらう時間が好きだった。今はこうして、僕が母さんを抱きしめてあげられる。それだけでよかったんだ。本当に。しばらく背中をさすると、落ち着きを取り戻した母さんがふと顔を上げ、尊人に言葉を掛けた。 「……白雪は、これからどうなるんでしょうか」  不安が滲む母さんに、尊人は柔らかい表情で応答する。 「高校を卒業したら、僕達と一緒にVロームを支援する活動に参加してもらおうと思っています。つまり、eat loveへの就職です」 「雇って、頂けるんですか……?」 「社員の大半がVロームですから、むしろここが最適だと思いますよ。それに雪は大丈夫。心強いパートナーがいますから」  ナイスアシストだろとでも言わんばかりのどや顔で、尊人がこちらへ視線を投げる。僕は母さんの横にしゃがみ込み、ゆっくりと視線を重ねた。 「春と、ずっと一緒にいたいと思ってる。僕のことを全部受け入れてくれる優しい人だよ」  春の名前を聞いて、目を見開いて驚く母。でもそのあとすぐ、今にも泣きそうな顔で、その名前をくり返した。 「……はる、春喜くん。春喜くんが、白雪とずっと一緒にいてくれるの……?」 「うん。母さんにも挨拶したいって。会ってくれると嬉しい」  母さんは僕の手を握りながら、ただ「うん、うん」と繰り返す。そしてやっと涙を拭い、穏やかな笑顔を浮かべてくれた。 「話してくれてありがとう。白雪の幸せが一日でも長く続くことを願ってるわ」 「うん、ありがとう母さん」  ――季節は過ぎて二月の下旬。寒さを残しつつも、桜の木々に蕾が見えるようになっていた。終業式も間近に近づき、気付いた時にはもう三年生になる。高校最後の年がやってくるのだ。 「ちょっと早いけど、母さんがお花見いつにするって言ってたよ。うちは毎年お弁当もって近所の公園で見るんだけど、春も来る?」 「いいね、行くよ」  今日は久しぶりに、塾が休みの春と二人で下校中。なんてことない話をしていると、春がふと立ち止まった。 「そういえば雪って春生まれなんだろ?誕生日そろそろなんじゃない?」  春の言葉に、そう言えば僕たちはお互いの誕生日を祝ったことがないことに気が付いた。 「春休みだから人に自分の誕生日を言うって意識がなくなってた……」 「ってことは三月でも結構後半?うちの春休み、二十五日からじゃん」 「そうだよ。三月二十七日。桜の日なのに白雪なの」  相変わらず自分の名前は生まれた季節に似合わないと思いながら歩みを進める。すると隣から春が消えていることに気が付き、思わず振り返った。 「どうしたの?」 「いや、あの、俺の名前って春喜じゃん」 「え? あ、春って、え?」  そうだ、どうして気が付かなかったんだろう。  僕はずっと、その名前を口にし続けていたのに。 「桜の日生まれなんだよ。だから、春に生まれた喜びで、春喜」  冷たさの中に暖かさのこもった風が吹き抜け、春めくその日を予感させる。小春の風に揺れる彼の周りに、桜の花びらが見えた気がした。 「……運命なんて言葉、ここまで来ると逆にちんぷに聞こえてきちゃうね」  そう言って笑うと、彼はゆっくり僕の隣まで歩みを進めて僕の隣に立ち、手を繋ぎ直した。 「なんでもいいよ。雪に会えたことが、俺にとっての全てだから」  春めくその日が待ち遠しい。  今年の桜はきっと、人生で一番きれいに見えるだろうから。

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