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第5話

「……どう、どうして? なんで……」  戸惑いが隠せずにいると、尊人は不機嫌さを隠すことなく立ち上がり、春の方へと歩き出した。 「俺が雪と話すからあっちいってろって言ったんだ。肝心な時に雪を助けられねえなら一生関わるなってな」  鋭い視線で春を睨み付け、胸ぐらを掴んで顔を引き寄せる。思わず「ちょっ」と声が出そうになったが、富実さんに止められた。 「次雪のこと泣かせたら俺が雪のこと連れて行くからな」 「え⁉ ちょっとまって俺はどうなるのさ⁉」 「世話になったな」 「だあから! も~! ツンデレも大概にしていただけます⁉」  富実さんが尊人の方へ駆け寄り、身体をぎゅっと包み込み、僕達の方へ身体を向けた。 「尊人はあげないから! じゃあねっ」  パタンと襖が閉じ、部屋には僕と春の二人きり。心臓の鼓動がどんどん早くなり、どうにかなってしまうと俯いた。しかし、春は一歩一歩僕に近づき、手を重ねる。 「……雪、話をする前に一つ教えて。雪があんなに傷付いた理由はなんだったの?」 「や、やだ。い、言いたくない。言ったら、言ったら春……僕のこと……っ」 「大丈夫、絶対嫌いにならない。約束する。俺、雪に嘘ついたことあった?」  春の真剣なまなざしに、胸の奥のドロドロした感情が溢れ出す。気を抜けばすぐ口から出てしまいそうになるのに、春は僕の唇に指を添え、愛おしそうな目で見つめてくるから、敵わない。 「ほら、言って?雪」 「……クラスの、女子」 「うん」 「お、お姉さんの彼氏が、Vロームになったって……っ。それで別れることになって……」 「うん」 「ふ、普通、Vロームになっても、誰かに言わない、普通じゃない、気持ち悪いって……っ‼」  上がる呼吸、滲む涙。何一つ上手く話せている気がしない。それでも、春は逃げずに僕の手を握ってくれているから、話さなくちゃ、いけないんだ。 「で、でもそれは、少し前まで僕だってそう思ってたことで……っ。く、クラスにVロームがいたら、学校来てほしく、ないって……。き、きっと、いるだけで嫌な気持ちになるんだと思う……ぼ、僕やっぱり、もう、普通には生きられない。生きてちゃ、ダメなんじゃないかって……だから……っ‼」  言葉がうわずって、小さな子どものようにすすり泣き、耐えきれなくなり両手で顔を覆い隠す。こんな自分を、誰にも見られたくない。惨めで、情けなくて、みっともなくて。 身体を丸めて後ろに下がると、春は僕の右手を掴んで勢いよく抱き寄せた。 「ちょっ……と……っ」 「遅くなってごめん。隣に座れなくてごめん。守ってあげられなくてごめん、ごめん……」  首筋に、心地よい冷たさの雫が落ちる。それは春が流した涙だった。春は僕に覆い被さり背中に手を回すと、ぐっと力を込めて抱きしめる。彼の全身が「どこにも行かないで」と叫んでいるように思えて、僕はゆっくりと、彼の腰に手を添えた。そして、春の心地の良い声が耳元で響く。 「俺は、雪が好きだよ」 「……それは、その、どういう……」 「俺は雪がVロームになる前から、ずっと雪が好きだったんだよ」  心臓が小さく跳ねる。ダメ、期待しちゃいけない。だってこんなこと、それこそまるで都合の良い夢じゃないか。僕が黙り込んでいると、春は静かに話を続けた。 「雪には話したことなかったけど、俺の家ね、それなりに大きい家なんだよ。デカい会社をいくつもやってる……まあ、言っちゃえば、その、ボンボンなわけね……」  彼の言葉尻は小さくなり、少し震えているのが分かる。彼としては世紀の告白だったようだけど、僕からするとそうではなかった。 「あ~……。なんか納得」 「え、なんで?」 「だって僕の家に来た時、初めてポテチ食べたとか言ってたし。アレけっこうビックリした」 「そうなんだ……」 「お金持ちなの?って聞いたら明らかに動揺してたし。あとは、なんか品がある気がする。食べ方がすごくキレイだし、どんな時も必ずいただきます、ごちそうさまって忘れないし、友達同士でもありがとうってちゃんと言うし。育ちの良さってにじみ出るじゃない?」  僕はいたって真面目に答えたんだけど、春にとっては予想外だったのか、目をまん丸にして、少し口が開いていた。返答に困っているようだったので、僕は特に気になっていた疑問をぶつけることに。 「でも、なんでお坊ちゃんが一人暮らしなんてしてるの?親の仕事の都合って言うのも作り話だったりする……?」 「いやっ!それはあの、半分本当。俺ね、小さい頃から色々決まってたんだ。十個年の離れた兄さんがいて、会社は兄さんが継ぐんだけど、俺はまあその、顔が良いので。会社の広告タレントっつーか、モデルになるのが決まってるの。アパレルなんかもやってるから」 「すごい。初耳の情報しか出てこない」 「そりゃね、何も言わないようにしてましたのでね……」  春の様子から、嘘をついているようには見えない。それでもいくつかの疑問はわいてきた。 「でも将来就職先が決まってるなら、大学行く必要あるの?」 「ある。親は学歴重視してるから、進学する大学も決まってる」 「それ、よくうちの高校来られたね……?別に特別名門でもないし」 「本当は高校も決まってたんだけど、中学生の時にさ、さすがにこのまま全部親のレールでいいのか?と思って。最終学歴がちゃんとしてれば文句ないだろうから、大学はちゃんと決められた所に入るから、高校だけは自分の好きにさせて、一人暮らしもさせてって直談判したんだよ。そりゃもうガッチガチに厳しい条件付きだったけど」 「成績上位で無遅刻無欠席ってやつ?」 「そう。で、許可が出たのが中学二年の終わり」  僕とは文字通り住む世界の違う人の話に若干理解は追いついていないけれど、やっぱり嘘をついているようには見えないし、作り話とも思えない。世界の広さにただただ感心しきりだったけど、ここでさらに頭にハテナが浮かぶ。 「そんなお坊ちゃんが何で僕を好きになるのかさっぱり繋がらないんだけど……」 「んー……じゃあもう少し話を掘り下げると、中三の頃は物件探しとか色々忙しくしてたんだけどさ、その頃からなんか急に告白されること増えて」 「今までずっとモテモテだったんじゃないの?」 「俺の地元ではね、一条って言ったらすごい有名な苗字なの。地元で一番デカい家だし、どこの家の子どもかすぐ分かる。で、そんな家の坊ちゃんに告白したところで付き合えるとは思われないんだろうね。兄貴もそうだったよ。モテてる自覚はあったけど、地元を出るまで告白されることはなかったなって言ってた」 「たぶん僕の本棚の中に、そんな主人公がいたと思うわ……」 「俺にとっては日常なんだけど」 「ほんっとうるさいなぁ…」    僕が憎まれ口を叩けば、春はまた楽しそうに笑う。重たい空気がほんの少し軽くなったような気がして、呼吸がラクになってきた。それでも春は僕を抱きしめる腕の力を緩めることはない。決して逃がさないと言っているかのように。 「……俺が地元から出てる間はチャンスがあると思ったのかもね。でも全然、全然誰のことも好きとは思わなかった」 「ちっとも?」 「ちっとも。そもそも結婚相手だってどーせ親が決めるんだろうと思ってたし。この子と付き合ったから何になるんだろうと思ってた」  春と過ごして約一年半。春が女子に興味がないのも、どこか達観して見えたのも、そういう育ちが背景にあったことを知って妙に納得してしまった。春はきっと小さいころから、色々なことに期待せず生きてきたんだろう。それこそ十年先を生きているお兄さんを見て、より感じるものがあったのかもしれない。しかし、より深く話を聞いても、僕が納得する答えは出てきていないように感じた。 「なんか、深掘りされても、なんで僕なのか全然分からないままなんだけど……」  その問いかけに、春は観念したかのような表情を浮かべ、僕に「とある日」の質問を投げかけた。 「雪、入学式が終わって初めてクラスメイトが全員教室に揃った時のこと覚えてる?」 「うん。そんなに細かく覚えてないけど」 「俺は地元から出てきたから知らない人ばっかりだったんだけど、たぶん中学校が一緒の女子だったんだろうね。結構大きい声で盛り上がってたんだけど、それがBLのドラマでさ」  全く思い出せない。というか、僕自身、僕が思う以上に他人に興味がないのかもしれない。春は僕に記憶がないことが分かっていたのか、遠い昔を思い返しながら話を続ける。 「その近くにいた男子が、ホモの話やめろ、きめーんだよって笑いながらからかいだして。女子は女子で、令和の時代にそういうこと言うのマジないわみたいな感じで騒いでたわけ」  簡単に脳内に再生される、クラスメイトたちのやり取り。でもそれくらい、特別ではなく、日常的な一コマのように感じた。 「想像は出来るけど……」 「でしょ。それで、その男子がさ、一条もそう思うよな?って声掛けて来たの。俺は、BLどころかそもそも恋愛ドラマ自体興味なかったから、適当に話し合わせてたわけ。そしたら今度はその男子が雪に話しかけたんだよ」 「えっ僕?」  予想外の流れに思わず声が出て、顔を上げる。ふっと春と視線が重なると、春の口元は弧を描き、ニヤリとした笑みを浮かべていた。 「雪、なんて返したと思う?俺一言一句覚えてるよ」 「えー、ダメだ。本当に思い出せない」  春の両腕の力が緩まり、ゆっくり向かい合う。涙を流して赤く色づいた春の目尻が、桜の花のように見えた。  そしてその桜の花が、脳内に吹雪いていく。あの日、彼と出会った日に連れて行くように。春はあの日の僕を思い返しながら、あの日の言葉を再生した。 「……『別にいいじゃん。誰が誰を好きでも。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。大事なのは他人の好きを否定しないことでしょ。多様性って言うなら、BL好きでも嫌いでも、へー、そうなんだ。って流したらいいんじゃないかな』ってさ」  ――桜が舞う窓際から、同級生たちが騒ぐ中心へと視線を移す。そして、なんてことのないように言ったのだろう。あまりの恥ずかしさに顔が高揚していき、不満を漏らす猫のような声を上げ、春はそれを楽しそうな声で打ち返した。 「……うー……」 「あはっ言いそうと思った?」 「今なんとなく思ってたことと同じだから、たぶん言ったんだと思う……」  何を格好つけたことを言ってしまったのかと、両手で顔を覆う。しかしすぐに春の手によって手を剥がされ、その瞳が僕から逸らされることは決してなかった。そして先ほどの柔らかい笑顔から、真剣な表情に変わっていた。 「その日からずっと、雪ばっかり目で追うようになってた。今までの人生で、何かを好きになろうと思ったことも、嫌いになろうと思ったこともない俺の中で、雪の言葉だけがずっと反芻して響いてた。どんな景色を見て育ったら、そんな言葉が出てくるようになるんだろうって本気で思ったよ」  すっかり日が落ちて暗くなった部屋を照らすのは、優しい月明かり。部屋に響くのは、夏の風が揺らす植物の音と、二つの心臓の音。そして丁寧に紡がれる、春の声。 「……雪はきっと、たくさん本を読んで、たくさんの世界から、たくさんの知識を吸い上げて、色んな人の気持ちの形が分かるようになったのかなって。だから俺、雪の部屋で一緒に本を読むのが好きだったよ。雪の欠片が自分の中に入ってくるみたいで」  そんなことを考えながら、僕の読書に付き合ってくれているとは思わなかった。でも、柔らかい表情で本を読む人だなと思ったことは覚えている。本の隙間から覗く春の表情を見るのが、僕はとても好きだったから。 「同じ美化委員になって一緒に過ごすようになって、雪を知れば知るほど、俺はもう自分の気持ちをごまかせなくなってた。でもこの気持ちを雪に伝える勇気はなかった。嫌われて一緒に過ごせなくなることの方が怖かった。恋人や夫婦に終わりはあるけど、親友なら終わりはないんじゃないかと思うようになったんだよ」 「春……」 「だから、雪の様子がおかしくなった時、Vロームかもしれないと思った時…俺ね、嬉しいと思ったんだ」 「う、嬉しい……?」  想像していたどの言葉にも当てはまらないものが出てきて、僕は想わず面食らってしまう。春はほんの少し眉間に皺を寄せながら言葉を続けた。 「雪に告白しなくても、雪を一生手放さなくていい理由が出来たって。恋人になれなくても、雪と一生離れずにそばにいられるんだって……最低だろ、俺」  春はキレイだ。顔も、声も、その瞳も。目の前に浮かんだ二つの宝石に張った膜は、今にも溢れそうなほど、ゆらゆら揺れて光を集めて輝いていた。瞬きをしたら、涙になって頬を伝うんだろう。でもどうか、泣かないで。 「泣かないで、春」 「最低だろ。雪が病気を受け入れられなくて痩せ細っていくのを見ながら、早くVロームって気付いて。俺以外から栄養を摂れなくなればいい、俺なしじゃ生きていけなくなれば良いって……っ」  彼の美しい横顔に、涙が伝う。彼の心の叫びが、彼の震える指先から、僕の身体に流れ込んでくるようで、胸が痛んだ。 「そんなこと、そんなことないよ。だって」 「そんなことあるよ。俺は結局雪が傷付いて一人で苦しんでる時に何も出来なくて、こんなの、本当、最低だよ、くそ……っ」  何も言わず、春の背中に手を回して抱きしめる。春は驚きのあまり小さく声をあげた。 「雪……っ?」 「僕ね、嬉しかったよ。僕がVロームになったって分かっても、春は変わらず接してくれたこと。栄養を与えて守ってくれようとしたこと。目に見えるように、愛してくれていること、ちゃんと分かってた。だけどね、春はいつか僕のそばから離れていく人だから。恋人が出来るとか、結婚するまでのことだからって、そう思うようにしていたんだ」  僕の頬に触れる春の両手に、自分の手を重ねる。溢れて止まらない彼の悲しみが止まりますように。 「でもね、春が僕に対して特別優しくしてくれてるのも気付いてたの。春が僕に、毎日毎日、栄養と一緒に、たくさんの愛情を注いでくれているって全身で分かってたよ」  春からの愛に気づいていたけれど、それを特別だと認められなかったのは僕の弱さで、僕のずるさだ。だから、春が謝ることなんて一つもない。それでも春は、僕の言葉がまだ信用出来ないらしい。表情は未だにこわばったままだった。 「……でもそれは、病気にならなかったら気付かなかったことだから……。雪は、栄養をくれる人と、好きな人を、その、ごっちゃにしてない?」 「そうだね。確かに僕は、男の人を好きになったことはないし、この病気にならなかったら、春に対して特別な気持ちを抱くことはなかったかもね」 「だったら……」 「でもね、それはもう今となってはどうでもいいことなんだ。だってもう僕はVロームになる前の自分とは別の人生を歩んでいるんだから」  ――ああ、そうか。たった一言、たった一言で良かったんだ。  君がくれたものと同じものを、僕も君に届けるから。  どうか、春の心臓の奥深くへ届きますように。どうか、神様。  そんな祈りを込めて、春への贈り物を紡いだ。 「好きだよ。春が好き。僕を見つけてくれて、愛してくれてありがとう。春は、僕を手放さなくていい理由が出来たと思ったって言ったよね。それなら、僕とずっと一緒にいるって約束して。離れないで、そばにいて」    言葉にしたとたん、涙が溢れる。どうか、伝わって欲しい。言葉は文章と違って、受け取る人ごとに、形を変えて伝わってしまうことが多いけれど、それでもどうか、伝わって。   祈るように目を瞑ると、頬に暖かい温度が伝う。それは、春が僕の涙を舐め取った舌先の温度だった。 「春……」 「……ねえ雪。一生手放してやれなそうなんだけど、良い?」 「なにそれ、プロポーズみたいじゃん」 「結婚出来るならしたいくらいだよ。お前目離したらフラフラどっか行きそうで怖い」  僕が思う以上に、春は僕を想ってくれていることが言葉の端々から溢れていて、それだけで僕の心臓はいっぱいになる。目が覚めたら夢だったなんてことになったら、僕はどうすればいいんだろう。そんな不安が表情に出たのか、春は両手で僕の頬に触れ、視線を重ねるように顔を持ち上げる。 「ねえ、顔色良くないよ。今日の分の栄養摂れてないんでしょ?」 「そ、そうだけど、でも……聞こえたらやだ……っ」 「そんな野暮なこと、あの人たちはしないよ」  そう言って春は、僕を白いシーツに沈める。深いキスを落としながら、丁寧に唾液を喉の奥へ流し込んだ。 「は……っうっんん……っ」 「血は今すぐあげられないから、今はこれで我慢してね」  彼は唇を離すと、耳元に顔を埋めて、小さな声で囁いた。 「今日の分も、ちゃんと飲んでくれるよね?」 「……うん。たくさん、たくさんちょうだい」  彼は僕の上半身を抱き上げ、もう一度唾液を送り込む。唇の間に輝く銀色の糸を舐め取りながら、僕の頭を優しく掴み、蜜のしたたるそれへと誘導した。 「たくさん飲むんだよ、雪」 「いただきます、春」  ――あれからどれくらい時間が経っただろう。お腹をいっぱいに満たされた僕は春に抱きかかえられ、まどろんでいた。しかし、床に転がるスマートフォンを見て、ふと現実に意識が戻る。 「……あ、そ、そういえば、しゅ、宿泊学習!どうしよう僕学校になにも連絡してない!」 「ん?大丈夫だよ。体調不良の雪を見つけたから二人で一緒に早退して、荷物は明日学校にバスが到着する時間に取りに行くって連絡してあるから」 「し、仕事が出来すぎる……」 「優秀な旦那様が出来てよかったな?」  春はからかうような笑みを浮かべ、もう一度僕の頬にキスを落とす。すると、部屋の隅でけたたましいアラーム音が響き渡った。 「え、な、何⁉」 「……時間だわ」 「え、へ……なに、どういうこと……?」 「雪は体調が悪いのに、時間無制限にしたらお前は絶対暴走するからアラーム掛けろって田崎さんが」 「ああ、うん……そうね、なんか一気に目覚めた」  思わず全身の力が抜けて、ふうとため息を吐く。すると俯く顔をぐっと引き上げられ、春の瞳がどんどんと近づいて来た。 「俺はこれから田崎さんたちにVロームのパートナーになるうえでの研修を受けるから、雪はもう休んで。明日一緒に帰ろう」 「……うん、分かった。おやすみ春」  春は触れるだけの優しいキスを落として、ゆっくり襖を開ける。そこには眉間に皺を寄せた尊人が仁王立ちで立っていた。 「出てくるのがあと一分遅かったら張り倒してるところだわ」 「すいません……」 「雪、ちゃんと寝るんだぞ」 「……尊人、ありがとうね」 「このボケナスが頼りなかったらすぐ俺に乗り換えろ、いいな」  尊人の言葉に顔をゆがめる春を見て、思わず笑ってしまう。二人が部屋から出て行くのを見届けたあと、布団へと倒れ込んだ。目が覚めて、夢だったらどうしよう。でも、早く目を瞑って眠りに落ちて、目を覚ましたい。    そうしたらまたすぐ、春に会えるのだから。 「おはようございます」    朝、アラーム音で目を覚ます。頭も気持ちも、昨日とはうってかわってスッキリしていた。襖を開けて部屋を出ると、廊下でラジオ体操をしている富実さんと遭遇する。そして僕に気が付いたのか、元気にこちらへ駆け寄ってきた。 「おはよ~雪ちゃん!こっちおいで、血液パック飲もう」 「え?でも血液パックは泊まりのバッグに入れてるから今手元には……」 「俺と春くんで献血したから!飲んで飲んで」 「……いつもごめんなさい」 「ダメダメ、こういう時はなんて言うの?」 「……ありがとうございます」 「ふふ、どういたしまして!」 「そういえば、春と尊人は?」 「こっちこっち」  富実さんに手招きされて着いていくと、二人が仲良く机に突っ伏して寝ている様子が飛び込んできた。 「一体どういう……」 「Vロームの勉強会が白熱しちゃったのよ。それだけ尊人が真剣に雪ちゃんを任せたいと思ってるんだろうね」  頭に心地の良い熱が乗る。富実さんの手の平はいつでも僕に安心を与えてくれた。 「富実さん、本当にありがとうね」 「ふふふ。これからもいつでも頼ってね!」  それから富実さんが大きな声でモーニングコールをすると、尊人と春が目を覚ます。春は僕と目が合うと、真っ先に駆け寄って顔色を確認してきた。 「うん、ちゃんと血飲んだね。良かった」 「……おはよう春。血、分けてくれてありがとうね」 「必要ならもっとあげるけどさ」 「ダメ。春は貧血になるまで血くれそうだから」  すると、後ろから眉間にしわを寄せながら不機嫌そうに尊人がこちらへ歩いてきた。 「吸い尽くしゃいいんだ、そんなやつは」 「も~。尊人と春くん、昨日はあんなに仲良しになったのに」 「仲良くなんざなってねえ!」 「はーい。おじゃましますよ~っと」  尊人の大声を遮って入ってきたのは、背が高くて日焼けした健康そうな男の人。見知らぬ男性の登場に目をぱちくりさせると、その人は僕の方へ手を差し出した。 「初めまして。ここの旅館を経営している朝倉海晴(あさくらかいせい)です」 「あ、あ、ああ、あ!あの!お世話になりました。僕、あの、えっと、浦井白雪です!」 「尊人たちから話は聞いてるよ。元気になってよかった」  差し出された手をおずおずと握り返す。にかっと笑うその人は、まさに健康そのもの。尊人がここの支配人さんはVロームだと言っていたけれど、とてもそうは見えなくて驚いた。僕のリアクションから聞きたいことを察してくれたのか、欲しい言葉を投げかけられる。 「白雪くんも時間を掛ければ、みんなと代らないように過ごせるよ。安心してね」 「……はい、ありがとうございます」 「あ!それよりも。朝食お持ちしましたよ~っと」 「わーい!海晴が作るご飯めっちゃ美味しいのよ!」  軽やかに踊っている富実さんと、その横で相変わらず不機嫌そうにしている尊人。春の裾を引っ張り、朝食の席へ誘導した。 「食え。そして雪のためにしこたま血ぃ作れ」  美味しそうな朝食が二人前並べられると、春は少し顔をゆがめた。 「…俺らだけ食べて、雪たちは嫌な気になりませんか?」  その言葉に、少し胸が痛む。僕は屋敷先生のカウンセリングで「時々吐くことがある」と言っていたけど、本当は嘘だ。母親と食事が終わったら二階にあがり、二階のトイレで全部吐いている。それも毎回、毎回。どうしても身体が受け付けないのだ。自分が欲しい栄養はこれではないと。嘔吐をくり返す度に死にたい気持ちが強まった。だからVロームにとって食事の話はタブーなんだろうかと尊人の顔をのぞき込む。しかし尊人はケロッとした顔で言葉を返した。 「まあ俺らは食っても栄養にならねーしな。食おうと思えば食えるけど、Vロームが普通の飯食えるようになるなんて年単位で時間掛かると思うぜ。なあ海晴」 「俺は五年くらい掛かったかなぁ。おかげで料理もそれなりに評判良いものが作れてると思うよ」 「だから富実と春は健康のためにしこたまくえ。そしてしこたま献血しろ。雪も、食べられないことを気まずく思わなくていいからな」  ガシガシと頭を揺すられ、流れ出そうになる涙をぐっと飲みこみ、顔を上げた。 「……僕も、尊人や海晴さんみたいになれるように頑張るね」  静かに春の手を握る。何も言葉は交わさなかったけれど、春ならきっと伝わるだろう。同じ力で、僕の手の平を握り返してくれたから。  ――四人で囲う幸せな朝食を終え、宿を出発。集合時間の少し前に学校の駐車場に到着した。尊人たちはそのまま帰って行き、バスを出迎える。先生には謝り倒され、クラスメイトにもずいぶん心配された。バスから僕の荷物を回収した春が、空いた左手でするりと前髪を撫でる。 「帰ろうか、雪」 「……あ、えっと……はい」  その様子を見て、周りはたぶんギョッとしていたと思うし、女子からは聞こえない悲鳴が聞こえた気がしたけれど、ごめんね。たぶん春は……いや、僕たちはだいぶ浮かれているので、どうか勘弁して欲しい。 「おばさんに雪を家まで送るって伝えてあるから。帰りはタクシー使おう」 「でもお金……」 「いいよ、それくらいは持ってるから」  少し大通りに出てタクシーを拾い、自宅までの道を窓越しに眺める。春はずっと、僕の手を握ったまま離すことはなかった。そうして自宅前に到着して支払いを済ませ、荷物を玄関扉の前へとおろし、こちらへ振り返る。 「今日は部屋、入ってもいい?」 「ど、どうぞ……」  ここまで来て、家に入れないなんてことはないけれど、今までと変わらないはずなのに、気持ちを伝えあった今では何もかもが違うように感じて、春と二人でいる自分の部屋なのに、居心地が悪くてソワソワしてしまう。でも、そういう僕の些細な不安を、春は決して見逃したりはしなかった。 「雪」 「え、あ、はいっ」 「緊張しすぎたよ。何もしないから」 「何もしないって……?」 「田崎さんとも話したけど、愛沢さんとも話したんだよ」 「富実さんと?」 「そう。Vロームのパートナーになるなら、知っておいてほしいことがあるからって」  春は多くを語らなかったけれど、富実さんと尊人の関係については察しがついているんだろう。そして春から伝えられることは、僕達の今後にとって、とても大切な内容だということも理解出来た。 「まずパートナーの栄養供給において、血液は多用しないこと。俺側の貧血を起こしかねないし、予想以上に深く切って大けがになりかねないからって。だから基本は精液の補給が望ましいんだってさ」 「そっか……じゃあ、いつもとあんまり変わらない?」 「……供給方法が二つあるって言ったら、雪にも伝わる?」  春の真剣なまなざしに、僕ははっとした。二つというのは、口からと、もうひとつ。そして、屋敷先生の言葉がよぎる。きちんと考えるように。その言葉の重みは、今も全身にずしりとのしかかり、決して軽く考えたことはなかった。だからこそ、春がきちんと確認してくれたことが嬉しかった。 「……春、ちゃんと考えてくれてありがとう。それから、僕に確認してくれてありがとう」 「当たり前だろ。あとは、その……どう捉えられるかなって気になってさ」 「どうって?」 「雪にとっては栄養補給の意味合いが強いと思うよ。でもその、ちゃんと好き同士になった上でするそれは、俺にとっては栄養補給以上の意味が出てきちゃうというか……」  心臓が強く跳ねる。春は俯いたまま言葉を続けなかったので、今度は僕から言葉を伝える番だった。 「……キスで唾液を飲むことも、精液を飲むことも、栄養補給であって、セックスじゃないって言ってたもんね?」 「だってそう言わないと、雪が納得してくれないと思ったから……」 「そうだね、僕たちにとっては必要な予防線だったと思う。今でもああ言ってくれたこと、感謝してるよ。でも、もう大丈夫だから」  夏の日差しがカーテン越しに降り注ぎ、僕たちの横顔をキラキラ照らす。目の前に浮かぶ二つの宝石が、じっとこちらを見つめた。 「……すぐに出来る自信はないけど、いつかちゃんと、春としたいよ。僕、春に愛してほしいから」  ゆっくりと、唇を重ねる。その日重ねた口づけは、初めて交わしたあの日を思い起こさせるような、夢のように甘い味がした。 「ありがとう雪、生きる選択をしてくれて、俺の手を取ってくれて。俺、雪がⅤロームでもⅤロームでなくても、ずっと好きだから」 「うん、ありがとう」 「セックスはしなくても、俺から飲んでくれるよね?」  耳元でささやかれる、甘い誘惑。視線を重ねながら、緩やかに彼の背中へ手を回す。 「うん、食べたいよ。春」  恋人になって気が付いたことがある。それは、やっぱり春が僕に注いでくれるなにもかもは、僕がこれから先の人生で得るなによりも、甘くて幸福の味がするということだった。  ――宿泊学習を終えて、今は夏休み。春は親から指定された大学に合格するべく、夏期講習と塾通いがスタートして、かなり忙しい毎日を送っている。朝の八時から夜の十時くらいまでスケジュールが組まれているらしく、これが国立大の受験生なんだと、圧倒されるばかりだった。カバンを片手に、半袖シャツの夏服を身に纏い、小走りに歩いている春を見た。そしてその両隣には、同じ塾に通って居るであろう同い年の受験生。 「……頑張れ、春」 春にとって、人生で一番大切な時。だからこそ、僕は春の邪魔にならないよう、足を引っ張らないように過ごそうと心に決めていた。それなのに目の前にあるのは、今までにないくらい怒りを顕わにしている春の顔だった。 「マジで、お前何考えてんの」 「そぉれは…あの…」  春があまりに忙しく過ごしていたため、僕は春から栄養補給を受ける回数を減らし、代わりに屋敷診療所で過ごす時間を増やしていた。でもそれが春には不満だったらしい。夏休みが始まって一週間ほど経った頃、春が僕の家の前で待ち伏せしており、無言で春の家まで連れてこられて現在に至る。 「ラインも電話もしてたじゃない?」 「そうじゃねーよ、なんで俺からの栄養補給を断るんだって聞いてんだわ。俺が忙しそうとかそういう理由ならマジでキレる」 「……忙しそうと思ったのは本当。春にとって必要なことだって分かってるのも本当」 「それと俺を避けることがイコールにならねえだろ」  そう。一日にほんの少し時間をもらうくらい、春にとってそこまで負担にならないことは分かっていた。これ以上言い訳をしても春を怒らせるだけだと分かりきっていた僕は、観念して小さな本音を漏らしていく。 「……ちょっと、いいなと、思った」 「は?」 「僕はたぶん、進学しない。春がいない環境で普通に生活する自信がないから。特別やりたいことがあるわけじゃないけど、僕は将来、学校を卒業したらどうすればいいんだろうって」 「雪……?」  不安そうに首をかしげる春に、僕は逃げずに本音を並べて行く。もしこれで嫌われてしまったらと思うと、声が震えていくのが自分でも分かった。でも言わなくちゃならない。僕達は、パートナーになるんだから。 「……まぶしかったんだ。将来に向かって、一生懸命勉強してる春が。春にとっては両親に決められたレールの上を走っている感覚で、息苦しさを感じてるかもしれない。それは分かってる。こんなことを思うのはすごく、失礼だって分かってる……だけど……っ」 頭の片隅に、彼と並んで受験勉強している自分の姿が浮かんでしまうのがたまらなかった。進学しないなら、雪は就職するの?って、そういう普通の話がしたかった。でも僕にとって、高校を卒業した先の未来はあまりに不確かで、その先の未来をぎゅっと詰め込んだような彼を見ないようにしていた。それに気が付いた時、今、春に会ってはいけないと、足が遠のいていた。最低でみっともない、こんな本音、出来れば聞かせたくなかったな。 「……ごめ……はっ……ん、んっ⁉」  謝ろうと彼の方を見上げた瞬間、唇が重ねられる。身体を引き寄せられ、腰に手を回し、逃げられないよう固定されているのが分かった。顎を下げられ、開いた口の中に春の舌が侵入する。丁寧に歯列を舐められたあと、送り込まれる、甘い甘い、唾液の味。それだけで脳みそが溶けていくように、全身の力が抜けていった。 「は……な、なに……僕、真剣に……っ」 「何にも言わないで一人で拗ねるのはナシにして。言ってくれないと、俺は分かんないから」 「……でも、面倒、でしょ」 「雪のことで、面倒に思うことなんて一個もないよ。雪はさ、分かってないよな」  するりと、頬を撫ぜる彼の指。指先に血はにじんでいないはずなのに、全身の体温が上がっていくような感覚に陥った。 「俺、雪が尊人さんのことを好きになったらどうしようって、毎日めちゃくちゃ怖い」 「……はあ?」  まったく想定外の名前の登場に、思わず変な声が出た。しかし春は大真面目なのか、眉間に皺を寄せて話を続けた。 「Vローム同士じゃないと分からないこともいっぱいあるだろ。それに、二人は幼なじみじゃん。雪が最初に助けてもらったのも、宿泊学習の時も尊人さんだった」 「それは……」 「一回目はしょうがないにしてもさ、二回目は、俺に電話して欲しかったよ。一番に連絡して欲しかった。いつだって俺が助けてやりたいと思ってたのに、雪が一番に頼るのは尊人さんなんだって、あの人には勝てないんだって、あの日ちょっとショックだったんだよ」  初めて知る、あの日の春の気持ち。僕が尊人に頼ることで春が傷付くことがあるなんて、少しも考えたことがなかった。 「俺を避けてる間も、屋敷診療所にいたんだろ?」 「う、うん。輸血してもらって、あとは、Vロームの患者さんとお話ししたりしてた。僕はカウンセリング出来ないけど、年の近い子なんかは、特に安心するみたい。自分だけじゃないんだなって」 「俺はどうしてもその輪に入っていけないから、すごい不安になるよ。いつ雪が俺の手を離してそっちに行っちゃうんだろうって」  春の横顔に伝う雫。それは夏の暑さから流れた汗ではなくて、彼の宝石から流れた、彼の感情。春は滅多に泣く人ではないけれど、あの旅館で思いを伝え合った日から、ほんの少しだけ涙腺が弱くなったのかなとふと思う。指先で彼の流した雫をすくい取り、口の中へと含んだ。 「……ごめんね。春がそんな風に不安に思うなんて、考えなかった。だって、離れていくならそれは僕じゃなくて春だと思ってたから」 「なんでだよ」 「だって、僕は春がいないと生きていけないけど、春は違うもん。僕がいなくても一人でどこにだって行けるから」 「どこにも行けないよ。俺もう、お前がいないとどこにも……どこにも行けないよ。この前も言ったじゃん。最初に好きになったのは俺の方なんだよ」  僕の気持ちの始まりは、Vロームがキッカケだった。でも春は違う。最初からずっと、僕のことが好きだと言ってくれていたのに、それを信じられなかったのは僕の方だった。 「……好きだよ、春」 「ほんとかよ」 「ウソだと思う?」 「ウソだったら死にたくなる」 「富実さんが言ってたよ。Vロームのパートナーは、Vロームより先に死んじゃダメだって」 「じゃあもし俺が死にそうになったら、雪は一緒に死んでくれる?」  真っ直ぐに、よどみなく。春は時々ふざけた冗談を言うけれど、今の言葉はきっと、そうじゃないね。 「春って、嫉妬とか束縛とかしない人だと思ってた」 「イヤんなったかよ」 「んは、まさか」  彼の背中に腕を回し、心臓に耳を寄せる。この人の心臓の音を聞いているこの時間が、酷く好きだと思った。 「……春が大学生になった時、隣に居られないのが寂しい。自立して母さんにラクさせてあげたかったけど、それが出来なさそうなのが辛い。こうやってぐじぐじ悩んでるところを知られて、春に嫌われたら、もう死にたい」 「うん」 「全部どうにも出来ないことなのに、ごめんね」 「……ねえ雪、尊人さんに聞いてみたことある?」  これまた想定外の話の流れに、胸元に寄せていた顔を上げ、春に問いかける。 「え、なにを?」 「Vロームの進路相談的なこと。俺、尊人さんになんでもかんでも頼られるのはイヤだって言ったけど、でも、これはあの人の専門分野じゃん」 「……そっか、尊人も働いてるんだ。なんで気付かなかったんだろう……」 「eat loveはVロームの支援団体だろ? きっとそういう将来自立して働くためのサポートだってあるはずだろ。ほら、この前お世話になった旅館もVロームの人が働いてたしさ」  春の言葉で、頭の中に掛かっていたもやが、少しずつ晴れていくのが分かった。なんだ、そっか。そうだったんだ。 「僕って、思い込み激しい方なのかもね」 「どした急に」 「ちょっと考えれば分かることだったのにね。Vロームだからって、色んなこと諦めようとしてるの、僕の方だったんだ」 「そりゃ、制限が出てくるのはしょうがないけどさ。でも雪、覚えておいて」 「ん?」 「俺はずっと雪と一緒にいるよ。大学卒業して、うちの会社で働くようになって、自立して一人暮らし出来るようになったら、ちゃんと雪を迎えに行くから」  左の手を取り、中指にキスを落とされる。その指だけが、キラキラ光って見えるんだから、本当にどうしようもない。自嘲気味の笑みを浮かべると、耳元で春の声が響いた。 「で、散々避けられてきた分を今日回収させてもらえるんだろうな」 「……母さんに、泊まるって連絡するよ。だから今日は、朝まで一緒ね」  母さんに短いラインを入れ、尊人の方へ歩みを進める。右腕を掴まれ抱き寄せられ、そのまま柔らかいベッドへとなだれ込んでいった。そして、覆い被さる彼の目を真っ直ぐ見つめる。 「好きだよ、春。俺のこと、諦めないでくれてありがとう」 「さっきも言ったけど、俺嫉妬深いし執念深いから、お前が泣いて喚いてイヤだって逃げ出しても、絶対見つけて捕まえるからな」 「そのくらいしてくれた方が安心って言ったら、春、どうする?」  僕の頬に両手を添え、肩と耳の隙間に顔を埋めて、ふわりと囁いた。 「そうだね、今すぐ雪を抱き潰したいくらいには、嬉しい」 「こっ、高校卒業するまでしないって言ったじゃん! 尊人に殺されてもしらないよっ」 「あーあー、俺より尊人さんの方がいいんだ?」 「ばかっ」 「……じゃあ雪からキスしてよ。それで我慢するんだから、俺偉いと思うけどね」  春のこと、知っているようで知らないことがたくさんある。でも、知れば知るほど、僕はきっと、春をもっと好きになるから。 「……ん」  鼻先にキスをして、頬にキスをして、最後にゆっくり、唇を重ねる。顔を離そうとした瞬間、春の手が僕の頭を固定して、再度顔を引き寄せられ、噛みつくようなキスを落とされた。 「ん……ぁっは……っ」 「精液だけじゃもったいないだろ、ほら。口開けて」  春に促され、ゆっくり口を開ければ、ぐじゅりと音を立てて侵入してくる舌と唾液。舌を舐め取られ、歯列を丁寧になめ回し、呼吸する隙を与えない。 「ん……はっも、だ、えき……くれるんじゃ、なかったの……っ」 「あげるよ。雪をたくさん充電したあとにね。ほら、もう一回」 「も~絶対春のこと避けない……っ」 「分かればいいよ」  悪い笑顔を浮かべながら、春はもう一度、僕の顔を引き寄せて、そのままシーツへと押し倒した。

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