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scene4-2
「竹内君顔怖くなったんじゃない?」
窓際で頬杖をついてぼんやりしていると村上に唐突に言われた。街中のファストフード店で、気づいたら沈黙の中だった。
予備校開始までの時間だけ会ってもらえないかとラインが来たのが昨日。突然の誘いだった。
「これがホントの俺だよ」
村上から声を掛けられるまで頭の中に浮かんでいたのは小川の事。いつからか覚えるようになった違和感。それを聡い村上に気づかれたのは何時からか。
「え、ちょっと待って混乱する」
「ずっとカッコつけてただけ」
インハイ後、花火大会の約束もちゃんとできないまま、夏の終わり、村上から受験に専念したいから私を振って欲しいと言われた。
竹内とつき合えるだけで嬉しいと言っていた村上に、それを言わせたのは自分なのだとわかっていた。竹内の変化を察し、それに意識を取られて受験を失敗したくない、村上のそんな意志が見えていた。
特進クラスの村上は進学先も期待されている優秀な生徒だ。将来を左右する目標の前に、自分を揺さぶるであろう竹内を切ってしまえる。勉強に全振りする村上はやっぱり強いなと思った。
「うっそ。いつもカッコいいよ?」
「はは、中身は最低のクソ野郎だよ、俺」
「クソ野郎な竹内君が見たかったなあ」
含んだ言い方をして村上は固くて吸うのに力がいるシェイクと格闘する。
「無理無理。俺、平気で人の気持ち踏みつぶすんだぜ?」
「そういうとこつき合ってる時に見たかったよ、カッコつけた竹内君じゃなくて」
拗ねた口ぶりに、竹内は身を乗り出すと村上に作り笑いを向けた。
「俺そんな怖い顔してる?」
「うん、作り笑いも怖い。ただでさえ無表情なのに時々凄い悪い顔してムスッとしてる」
「ははっ、なにそれ」
身に覚えがありすぎて否定はしないが、クラスも違う教室も遠い村上に、苛ついている姿を見られていたのかと思うと心は複雑だった。
「別れてから本性見せるのってずるくない?」
「男は好きな子の前ではカッコつける生き物なんで」
それはもう好きではないのだと暗に示されているのに村上は気づき、無言でシェイクを啜る。気まずい空気が流れ、真似して買ったチョコのシェイクを同じく啜った。
進路のことで悩んでいるという村上は、実家から通える私立の難関大一本に絞るか、地方の国立大を目指すかで悩んでいた。
私立大よりも学びたい学部がある国立に行きたい。けれど国立のが偏差値も高く倍率も高い。しかも地方に行けば家族や友達と離れ一人暮らしとなる。誰も知る人のいない土地で一人からのスタート。実家から離れる事への不安は、女の子には悩ましい選択のようだった。
「竹内君はもう大学決定? 指定校推薦だよね?」
沈黙を振り切って村上はシェイクを置くと正面の竹内を見た
「うん」
「そうやってすっぱり一つに決められるところ羨ましい」
「何で? 村上は本命国立だろ? 望みがあるなら狙うべきだ」
「簡単に言わないでよ、この前の模試で判定厳しいって言われてグラグラしてるんだから」
「でもずっと国立目指して頑張ってたじゃん」
「頑張ってるんだけど、こんなに伸び悩むなんて思わなかったから……」
不自然に目を逸らせて村上は目の前に置かれているドリンクのカップを見つめた。
何が言いたいか竹内はわかっていた。わかっているけれど口には出せなかった。
──国立に届かないのなら竹内と同じ大学を受けるかもしれない。
竹内とのつき合いに感情を揺さぶられ勉強を疎かにしたくない、だから受験に専念する為に別れを選び、友人としてつき合いを続ける事を村上は選んだのだ。だから竹内にできる事は、国立を目指す村上を応援するだけ。
「もし国立に受かって遠くに行ったら寂しいって思う?」
「寂しいよ」
「それだけ?」
「――?」
少しだけ笑いを含んだ声で村上は竹内を真っ直ぐ見た。少し潤んだ瞳。キッチリと短く切りそろえられた爪先で目元を擦った。
高二の春、背を伸ばして前を向き、的を鋭く見た立位、弓を引く村上の緊張感ある姿を好きだと思った。自分にはない、凛とした研ぎ澄まされた集中力に魅入られた。
進路先の大学について村上から相談された事は一度だってなかった。地方の大学を受けると村上から伝えられた時、心の底から応援すると答えた。
自分が好きだったのは、今目の前にいる村上なのか、それとも弓を弾くあの村上だったのか。
振って欲しいと頼まれてもアッサリと受け入れ、なぜこんなにも冷静なのか、竹内が抱えているこの違和感の答えはもう出ようとしていた。
「じゃあ今日からもっと本気出してガリ勉するかな」
「元々こっちの私立大に行く気なんかなかったんだろ?」
「あはっ、もう最初っから国立って決めてたんだけどね、背中押してもらいたかっただけ」
「大丈夫だよ、村上は真っ直ぐだし強いから受かるよ」
「本性隠したクソ野郎とつき合ってたくらいだからね、根性はあるよ」
そう笑って村上はやけにすっきりした顏で笑った。
秋晴れの十月二十日、球技大会当日。スポーツ推進校の為、それなりの盛り上がりをみせる校内行事の一つで、普段スーツを着ている歳の行った先生も不慣れなジャージを着てグラウンドで応援している。
竹内の参加しているソフトボールは順調に勝ち進み、あっさりと一回戦で負けてしまった女子ソフトやバレーの子らが熱心に応援してくれている。
次の試合までの間、同じく順調に勝ち進みグラウンドの隅に座って休憩している男子サッカーチームを見つけ、杉田の隣に座った。竹内を見てニカっと杉田は笑った。
「ソフトなんかすぐ負けんじゃね? って思ってたけど勝ってんだって?」
「まあね、偶然スコーンてヒット打ったりしてね。サッカーはどうせ部の奴らしかいねんだから勝って当然だろ?」
「そうでもねえよ。バスケとバレー行ってるヤツ多いし」
応援の観客率の高さは屋内競技のバスケかバレーのどちらかで、スポーツ万能の男子達はここ一番と張り切る。ソフトボールの竹内は既に負けてしまったクラスの女子たちが応援してくれる為、不人気な競技の割には声援が賑やかだった。
「お前の彼女なに出てんの? 見に行くかな」
杉田が揶揄い交じりに聞いてきて、スッと心がどこか冷静になる。
「ぜってーに教えねー」
「なんだよ、ケチくせーな」
「もう別れたし」
「うっそ、いつ」
ピーと子気味好く鳴る笛の音。パラパラと聞こえる拍手と応援の声。
杉田が絶句して竹内を凝視していた。
「九月」
もうずっと前から気づいている違和感。けれどまだハッキリと言葉に出して言えない。
小川と村上。秤に掛けるものじゃない。小川は特別だ、そして村上とも違う。それが何なのかわからない。
村上とつき合っていた時も目で追うのは小川だった。声を掛けたいのも笑顔を見たいのも小川だった。
友達を好きだと思う気持ちと、女の子を好きだと思う気持ちはどう違うのだろう。村上とは何の疑問もなく付き合った、好きだと思ったから。それが自然だったからだ。
竹内が今持つ小川を想う気持ちは一体何だと言うのだろう。小川が持つ想いとどこが違うのだろう。
こんなにも欲しているのに同じじゃないのだろうか。そうやって日々考えるのは小川の事ばかりだ
離れてから気づくたくさんの事が、竹内の頭を混乱させる。
けれどその一方で、気に入らない小さな棘が不快を呼び、意識をすり替えさせている。
「振ったんじゃねーよな?」
珍しく真剣な杉田の問いだった。
「振られたようなモン。受験に専念したいんだって」
「ふーん……」
それ以上は聞かず、杉田はサッカーコートで行われている二年男子の試合に目をやった。ゴール前には体格のいい男が守っている、茶髪で声がデカい──中津だった。
竹内は自分の目が瞬時に座るのが分かった。
「知ってる? 最近の小川が女子になんて言われてるか」
「なに」
「中津と仲がよすぎてデキてんじゃねーのって。推せるって言われてんだぜ。ただでさえ引退してから小川落ち着いちまって雰囲気出たって言われてんのにさ」
「──…」
杉田は打たれたボールをがっちりと掴んでセーブする中津を見て、よし、と声を上げるとスポーツドリンクをゴクゴクと飲んだ。
ナイスセーブと声が上がり、中津が右手を上げる。
「笑えねーわ、でも小川が望んでんなら俺は見守るけど」
「は?」
ゴールポストに駆け寄ってきた小川が、セーブした中津にナイスと声を上げている。
小川が自分以外を好きになる──そんな現実に思考が受け入れられず、瞳を彷徨わせた。
今や竹内の中で中津という存在は地雷に近い。名前を聞くだけで訳のわからない不快感が込み上げるのだ。
中津の行先にはいつも小川がいる。小川の声が聞こえる時にはいつも中津がいる。竹内が失くしてしまった場所に後輩が納まっている、それがこんなにも竹内の気分を害す、酷く悔しい──
試合が終了すると、中津は真っ直ぐに小川の所に駆け寄ると何度もハイタッチして勝ちを一緒に喜んでいる。小川の嬉しそうな笑顏を見て、竹内から表情が一瞬にして消えた。
そんな二人を見せられて、頭がグラグラと揺れるほどの苛立ちを覚え血が沸騰するようだった。
「お前がそんな顏してるとすんげえ怖いんだけど」
「──」
杉田が空になったペットボトルの先で竹内の頬を突く。ハッとじゃれる二人から目を離し、鬱陶しいペットボトルを手で振り払った。杉田の手から離れたペットボトルは足元に落ち、乾いたグラウンドの上で転がった。
「無表情な分迫力だぜ?」
「どんな顔したっていいだろ」
「小川があんなじゃれついてると気に入らねえ?」
「うざ」
「嫉妬に狂った顔って言うんだぜ、それ。醜いわ」
「黙れ」
「お前と友達やめたくなってきたわ」
「は?」
「小川、卒業したら九州行くかもってさ」
「なにそれ。小川が言ったのか?」
思ってもいない言葉を聞いて竹内は弾かれたように聞き返す。
小川の父親が九州に転勤になるとの事。長期になるので母親も一緒について行くらしい。マンションは売ってしまうので、小川は一人暮らしになるがいっそここを離れて引越し先で進学するか考えていると杉田は説明した。
「いい歳こいてあいつが親についてくとか、あり得ねえだろ」
「付いて行きたい理由があんだろ」
「………」
グラウンドの中央で、女子のサッカーとソフトボールの試合が始まり、コートの周りを生徒たちが取り囲んでいる。
杉田は座り込んだままスパイクの先で乾いたグラウンドの砂をグリグリと弄る。竹内も座り込んだまま何とはなしにそれを見ていたが、杉田がどこか苛ついているのがわかった。
「竹内さ、何でインターハイ見に来たよ?」
「………」
「言えよ」
「小川」
どこか喧嘩腰に杉田に睨みつけられ、竹内は投げやりになる。ハッと杉田が呆れたように苦笑した。
「開き直んなよ。前言ったよな、なんで放っといてやらねんだよ。お前がそんなんじゃ小川はいつまでたってもお前無視するしかねーじゃんか」
「最後だから……見ときたかった。あいつがどんだけ頑張ってたかずっと見てたから。応援したかった」
「ざけんな、あいつ試合の後すげえおかしかったわ。負けて悔しくて泣くとかそんなんじゃねえよ、一言もしゃべんねえし誰とも会いたくねえって、あんな小川見たの初めてだったわ」
「………」
「小川が他の奴と一緒にいるとそうやって睨むだろ、なにそれ」
「睨んでねえよ」
「自覚もねえのかよ、重傷じゃん」
睨んでいる自覚などもちろん竹内にはなかった。誰かといる小川を見ると苛つく。誰かと楽しげに笑っている小川を見ると苛々する。村上が怖い顔と言っていたのは一体いつからだったのか。
「小川の気持ちとかマジで考えた事あんの?」
「……あいつ、俺の試合、観にきたし……」
「はぁ?! ウソだろ?!」
杉田がそれこそ信じられないと声を張り上げた。目を見開いたままじりじりと寄り、竹内は反射的に身体を引いた。
「嘘じゃねーよ、俺だってびっくりしたわ……まさか小川が来るとは思わねえし」
「なんだよそれ……俺マジでお前ぶん殴りてえ」
咄嗟、杉田に眼光鋭く凄まれて、らしくない杉田の怒りに竹内は息を飲む。
「おい、やめろ」
「小川はお前の試合を観に行った、それが答えだろ。九州行くっつってんのもマジだ。お前のせいだからな?」
「俺──、」
「小川はお前忘れようと必死になってんだろがよ、ここ離れてお前のいないとこ行って!!」
掴みかかる勢いで杉田が怒鳴るのを、竹内は呆然と見ていた。
ここを離れる。小川がここを離れて行ってしまう。
離れてしまったら、小川との繋がりは消えてしまう。きっと小川は連絡先など教えてはくれない。二度とここには帰っては来ない。
竹内を完全に忘れるまで、小川は竹内と関わりのある全てを断ち切ってしまうだろう。楽しかった日々は風化され、何もなかったかのように記憶から失せるのだ。
小川との日々が――
「……小川が──いなくなる……」
目の前にザーっと砂が落ちるような絶望感が襲う。訳も分からず竹内は頭を振って拒絶する。
「勝手言ってなこのクソ馬鹿野郎!! 何で振ったクセして試合のこのこ観に来んだよ!? 応えられねえクセにあいつ苦しめて面白いんか、あ?!」
呆然とする竹内と怒鳴る杉田の剣幕に、周りにいた女子達が悲鳴を上げ「竹内君に杉田が喧嘩売ってる!」「うっそ、やだ、杉田ざけんな、コロス」「さすが竹内君、手ぇ出さないのカッコいい♡」と好奇にも似た声を上げている。
「先輩! 喧嘩はダメっスよ!」
少し離れた向こうから、元サッカー部先輩の喧嘩を仲裁しようと中津が驚きにも似た声をあげて駆けてくる。
「琥太郎は来んな!!」
間髪入れて怒鳴った杉田にピタリと中津の足が止まる。それを貼り付いたかのように竹内は見た。中津の向こうに小川が立っていた。中津の背中越しに小川がこっちを見て立っている。中津の後ろで――
竹内は全身の血が沸騰したかのようにカッと激昂し、自分に迫っていた杉田と空手の形で間合いを取る。体勢を崩した杉田が崩れた瞬間、竹内は中津を睨みつけ立ち上がった。
「うわっ、先輩こわいっス!!」
咄嗟に中津が声を上げた。竹内の剣幕とは反対に、どこか真剣みの欠ける中津の物言いが竹内の怒りを静かに燃え広がせた。
「竹内!! やめろっ!!」
後ろから杉田が竹内の体操着を掴んで引き止めた。別に殴りかかりに行きたいわけじゃなかった。
中津の大きな体の後ろで見た小川の顏が、あんなにも楽しげだったのに、今はどこか目が虚ろになっていて、哀しくなった。小川を苦しめたいわけじゃない、あの楽しかった二人だけの数か月を取り戻したいだけなのに。
自分を見て笑う事などもうないのか、竹内は小川と必死に視線を合わせようとする。
小川は瞳を揺らがせた瞬間、まるで視線を断ち切るかのようにギュッと目を閉ざした。そのまま静かに背を向けると、中津を制しグラウンドを出て昇降口に入って行く。
おかしい──こんなのおかしいだろ。
竹内は何かが歪み崩れて行くのを感じた。この竹内と杉田と中津と小川の四つの点に立ち、呆然と華奢な背中を見ている事しかできない。
忘れて欲しくない──友達だった自分達を無かった事にしないで欲しい。
小川など竹内の嫌いなタイプだったのに、ギブアップするまで毎日毎日付きまとい、心の中に強引に踏み込んで来たのだ。竹内の高校生活を変えた小川は、竹内の事を忘れてはいけない、絶対に。
勝手に入り込んで来て勝手に出て行くなんて――
「竹内!」
駈け出そうとした竹内の腕を杉田が掴む。
「追いかけてどうすんだよ!」
「──ッ」
怒鳴る杉田の手を振り切って、竹内は花壇を飛び越えて駈け出す。
小川を捕まえなくては、竹内の頭の中はそれだけに支配されていた。
杉田が大声で怒鳴っているのが背後で聞こえたが、走り出した足は止まらなかった。
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