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5.決意新たに
テネスとシーナが部屋を後にしてしばらくすると、宣言通り二人の騎士がテネスに伴われて部屋を訪ねて来た。
白銀の地金に金と緑がかった青の模様で装飾された鎧と、深い藍色の外套。腰に下げた少し刃渡りの短い剣の鞘にも鎧と似た装飾が施されている。年若いが間違いなく近衛騎士だ。
「本日よりこの二人がお部屋の見張りを努めます。若人だからと困らせる事のなきよう、くれぐれもお願いいたしますぞ」
仁王立ちで腕を組むテネスに、年若い騎士達はぎょっとした表情を浮かべた。当たり前の様に繰り広げられる光景で慣れてしまっていたけれど、そういえばテネスは使用人だった。王族に相対する態度ではない。
とはいえ、この二人が駆り出される原因は寝台の上で正座をしている王族である。扱いへの抗議をする余地など何処にもない。
しかし。
「分かっている。しつこいぞ」
目の前の教育係に負けず劣らずの姿勢の良さで腕を組んで睨み返すグラキエには、先程までの反省の色は見えない。その様子に疲れたようなため息をひとつ吐いた後、テネスは騎士達の方に向き直る。
「……逃亡を見かけたら迷わず捕縛するように。遠慮は無用であると国王陛下より仰せつかっておる」
「はっ」
びしっと姿勢を正して頷く姿は正に騎士のイメージそのものだ。その任務が単なるラズリウ達の見張りだというのが非常に申し訳なくなる程に。
「グラキエ殿下の捕縛は比較的容易であるが、ラズリウ殿下は正面突破される可能性があるゆえ、気をつけよ」
「承知いたし……えっ?」
順調に返事をしかけた近衛騎士の一人が頷きかけて、ラズリウを二度見した。
……観測ドームに閉じ込められていたグラキエが戻って来た時、会いたさのあまり無我夢中で入室の許可も取らずに寝室へ突撃してしまった事がある。その時に立ち塞がるテネスをまぐれですり抜けて以来、爪を隠す鷹のような扱いが続いているのだ。
それにしても、近衛騎士相手にハードルを上げすぎである。脱走するつもりはないけれども。
訪問者達が去った後、ラズリウは小さくため息をついてヘッドボードにもたれかかった。
本当に騎士が見張りのために召喚されてしまった。部屋から出る気は毛頭ないので、彼らはただただ外で立ち尽くす時間を過ごすのである。そんな暇があるなら訓練でもしたいだろうに。
「全く、テネスも大袈裟だな」
寝室を出ていたグラキエはぶつくさ言いながら戻ってきた。どかっと寝台に座るものだから、存在感のあまりなかったスプリングがぎしぎしと音を立てながら揺れる。
真っ直ぐ隣にやってきて拗ねた顔でラズリウの肩を抱き寄せ、頭を乗せてくる。普段はふてくされるとスルツ相手にやっている行動なのかもしれない。
子供みたいだなと思いつつ、肩に乗った頭を撫でると少しぱさついた銀の髪が指の間をすり抜けていった。
「仕方ないよ。シーナにきちんと話していなかったのは僕達なんだから」
「これ以上何処にも行かないと言っているのに」
「グラキエ王子は脱走の常習犯だったんでしょう?」
「う……それは、そう、なんだが……」
少し悪戯心が働いてしまった。からかう様に言うと、ふてくされていた顔は眉をハの字にした後、むすっとした表情で僅かに頬を膨らませる。
ぼふんとまた肩に頭が戻ってきて、ぐりぐりと圧がかかる。しばらくそのまま頭を撫でていると、ポツリと「すまない」と呟く声が聞こえた。
「……リィウにまで説教を受けさせてしまったな。 まさか日頃の行いがここで出てくるとは」
金色の瞳が申し訳なさそうにラズリウを映す。ふてくされていた顔から一変して、どこか気まずそうな表情をしていた。
素直な人だ。良くも悪くも。
そこがどうにも可愛くて、ぎゅうっと目の前の頭を抱きしめずにはいられなかった。
「僕は全然。それよりもキーエのそばに居られるのが嬉しい」
そう言い終わるや否や、グラキエの腕はラズリウをその中に閉じ込める。力が強くて少し苦しい。背中を手の平が撫でて、唇が髪に触れて。
とくとくと、心臓がまた少し大きく脈を打ち始めた。
何度も唇を重ねる内に息が上がって思考が少しずつ痺れていく。縋るようにグラキエの首に腕を回すと、そのまま体が傾いでシーツの上に倒れ込んでいった。
じ、と金色の瞳がラズリウを映す。じわじわと腹の底に欲が滲み出てくるのを自覚しながら見つめ返すと、ゆるりと金色が細められて。
「せっかく参考資料もあることだし、勉強でもするか?」
「へっ?」
言葉を咀嚼しきれずに瞳を瞬かせると、悪戯っ子のような顔がにんまりと笑った。
ようやくからかわれたのだと理解して、完全にその気になって番を見つめていたラズリウの頬は沸騰するように熱くなっていく。
「……この状況でそんな冗談をご令嬢に言ったら、きっと張り手だよ」
悔し紛れにじとりとグラキエを睨むと、その顔は楽しそうに笑う。こうなると完全に悪戯が成功した子供である。
「冗談を言う相手は選んでるつもりだぞ。そもそも、こんな状況にはリィウとしかならない」
「んっ……いじわるだ……」
覆い被さる体はラズリウのあちこちに口付けて跡を残していく。勉強させる気なんて欠片も感じない。それどころか煽るように触れられてどんどん身体がその気になっていく。
いっそ勉強するとでも答えてやろうかと思ったけれど、すっかり興奮状態になってしまった今ではそれも厳しい。元々ヒート期間は発情しやすいのだ。番の匂いに包まれた部屋で肌の柔い部分をを撫でられては、一度湧いた衝動を抑え込むのも容易ではない。
「……キーエ……もっと」
「ん……」
案の定欲に負けて意地が溶け落ちたラズリウは、ゆっくりと番へと手を伸ばす。その手を取ったグラキエは指先に軽く口付けた。
その仕草をぽやりとした頭で見つめていると身に付けていた衣服の布地が取り払われていく。気付けば向こうも、白い肌を覆っていたはずの服が何処にも見当たらなくなっていた。
首輪も留まったままだというのにグラキエと肌を合わせて、抱き合って。前回よりも番の感触と匂いを存分に堪能して期間が明けた。
「おや、貸出延長ですか?」
ラズリウを見る司書の男性は、元々丸い目を更に丸くする。
――身動きが取れなくなるヒート期間の間に読もうと借りた教本だったけれど、結局読みきる事は出来ずに貸出期限が来てしまっていた。外出可能になったラズリウは貸出期間の延長手続きをするべく、研究所の二階にある書籍の保管フロアへ赴いている。
「ラズリウ殿下はいつも早い内に読みきってしまわれるのに、珍しいですね」
カウンターの向こうで教本を受け取った司書が浮かべるのは、心底不思議そうな顔。
有人観測の調査員選定に間に合わせようと必死なラズリウは、借りた本もすぐに読みきってしまう。そのため延長を申し出た事は一度もなかったのだ。
「ええまあ、その……集中がなかなか出来なくて……」
視線を泳がせるラズリウに司書は首をかしげつつ、その手はテキパキと手続きを進めていく。
「ラズリウ殿下でも集中が続かなくなるとは、Ωのヒートはよほど大変なものなのですね。あまりご無理はなさいませんように」
「ありがとうございます……」
事情を知らない相手からの気遣いの言葉が耳にぐさぐさと突き刺さる。まさか期間中は昼夜問わずにグラキエと抱き合う方に集中していたなんて、ありのままの事実を言えるはずもなく。
曖昧に愛想笑いを浮かべたラズリウは、そそくさと逃げるように二階を後にしたのだった。
一階にある魔法技術の研究フロアに降りると、研究員達とああでもないこうでもないと議論を交わすグラキエの姿があった。その姿を遠目に見ながら、少し離れた場所に置かれたソファへ腰掛ける。
すぐ隣ではないけれど、二人同じ空間で過ごす穏やかな時間が今日も流れていく。
離れたくない。失いたくない。
亡くすかもしれない恐怖は、一度きりでたくさんだ。
何が何でも次の有人観測に着いていくのだと気合を入れ直し、ラズリウは教本の続きを開いたのだった。
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