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20.告白

「なりません! そのような強力な術を放たれては――」 「~~っ、ならばお前が何とかしろ!」 「はっ、……はっ! ただいま!」  細身の妖狐さんが前に出た。そして。 「『(ばく)』!」  妖狐さんの手から、半透明な網みたいなものが出てきた。その網は真っ直ぐに(からす)に向かって飛んでいく。 「カカァ♪」  烏はその網を軽やかに(かわ)した。かと思えば、網が急旋回して烏の後を追いかけて行く。 「つっ、追尾型!? すっ、すっげー!」 「ほほう? 野狐(やこ)のくせにやりやがるぜ」  白黒ハチワレモードの輪入道・大五郎さんも絶賛している。あの細身の妖狐さんは相当にポテンシャルが高いみたいだ。 「くわっ! く~!」  だけど、あの烏も負けていない。ひらりと網を躱して地面に向かって急降下。着地する気か? それとも超低空飛行で(かおる)さんに迫ろうと……えっ!? 「きっ、消えた……!?」  烏の姿が消えた。木陰と重なった瞬間、何の前触れもなく。 「さっ……樹月(きづき)!! 何をしている!! っ!? ぎゃあっ!!??」  突然薫さんの背後から(くだん)の烏が現れた。一体、何がどうなってるんだ??? 「止めろ! この無礼者!!」 「くぅ~ん♡ くぅ~ん♡♡♡」  烏は薫さんの肩に乗るなり、顔や羽を擦り付け始めた。薫さん、随分と懐かれてるんだな。 「大五郎さん、あの烏は一体……?」 「ヤツの名は『紅丸(べにまる)』、常盤(ときわ)……六花(りっか)様と薫様のお婆様であらせられる(みお)様専属の伝書烏だ」 「伝書烏……?」 「ああ、ヤツはあんなふうに影と影の間を自由に行き来出来るんでな、にはもってこいなのさ」 「影から影? ……なっ、なるほど! 木陰から潜って、薫さんの影から出てきたってことですね!?」 「そういうこった」 「ほえ~、やるにゃ~」 「(すこぶ)る優秀なヤツだが、まぁ……『』なのはいただけねえな」 「は?」 「みゃ?」 「あの通り、目を付けられたら最後、所構わず『ん~♡♡♡』ってな」 「ああ……はははっ、それで薫さん顔面をガードしてるんですね」 「~~っ、紅丸殿! 無礼が過ぎますぞ!」 「がっ!? 痛っ……」 「わっ、若!? もっ、申し訳ございません!!」  紅丸は薫さんの肩と着物にしっかりと爪を立てているみたいだ。あれだと樹月さんも手の出しようがない。 「……良かった」  唐突にリカさんが零した。マイペースというか何というか……。案の定、薫さんが激怒する。 「~~っ、お戯れを――」 「紅丸はね、こう見えて結構見る目があるんだよ」 「は……?」  リカさんの金色の瞳が、薄っすらとだけど滲んでいるような気がした。  色んな思いが入り混じってのことなんだろう。その中でもとりわけ強いのは……やっぱり後悔の色か。 「何をバカな……っ」 「くぅ~ん……」 「ぐっ……」 「おっ……」  紅君の甘えたな態度に絆されてしまったのか、薫さんの緊張が緩まっていく。  いい子だ。  言っちゃえばツンデレか。  ほんの少しだけど、俺でも仲良くなれそうな……そんな兆しを感じる。って、流石に楽観視し過ぎか。 「きゅ~……」 「(むぎ)!? ふにゃ~、アイツ勇気あるにゃ~」  家の中からポメラニアン似の妖・麦君が姿を現した。  あの子はあれで結構計算高い。大方俺と同じように『ツンデレの風』を感じ取ってのことだろう。 「麦、おいで」 「きゅっ!」  リカさんからの声掛けを受ける形で、麦君が駆け出す。そしてそのまま身を屈めたリカさんの胸の中へ。  リカさんは一頻(ひとしき)り麦君を愛でた後で、そっと地面に下ろした。 「麦、彼は私の弟の薫だ。おもてなしを頼めるかな」 「? 何か芸でも仕込んで――」 「えいっ♡」  あ~、やっぱりやった。  リカさんは以前俺にしたように、勢いよく薫さんの着物の裾を捲り上げた。 「なっ……なっ!? 何をなさるのですか! 兄上!」 「まぁ、いいからいいから」 「なにも良くな――っう゛!? くっ………ははははっ!!!」  麦君のおもてなしが始まった。スリスリスリスリと力任せに擦ったかと思えば、つーっと焦らすように擽っ……擦ったりして、中々のテクニシャンだ。 「やっ、止めろ! このっ――」 「おおっと。お支えしますよ、薫様♡」 「ほだっ!? けっ、(けい)! お前まで……っ」  ガチムキの坊主頭の妖狐さんこと桂さんが、薫さんの体をガッチリホールドしにかかった。  薫さんの細い両脇から、丸太みたいに太い腕が。あれじゃ逃げられないな。 「くひゅ~♡♡♡」 「この! 離せ、桂!」  薫さんの顔面ガードが……解けた。勿論、そんな隙を紅君が逃すはずもなく。 「んぅ!?」 「かぁ♡♡♡」  難なく薫さんの唇を奪ってみせた。よくよく見てみると、(くちばし)の先じゃなくて側面を押し当ててる。一応、相手が怪我しないように配慮はしてるみたいだ。 「やりやがったにゃ!」 「しっ、幸せそ~」  紅君は目をじんわりと細めてご満悦顔だ。一方の、薫さんの表情はみるみる内に青くなって。 「この無礼者が!!」 「カァ~♡♡♡、カァ~♡♡♡」  紅君は薫さんのパンチを軽やかに躱すと、ご機嫌に飛び回り――リカさんの肩の上へ。そしてあろうことか。 「んっ、……ふふっ、この浮気者め♡」  ……あろうことか、今度はリカさんの唇にキスをした。 「ひゅ~♪ やるにゃ~」 「見る目があるっていうか……単に面食いなだけなんじゃ?」 「まぁ、……ははっ、そうとも言うかもな? ああ、念のため言っとくとヤツはオスだ」 「さっ、左様で」  リカさんからもキスしてる。酷く様子だ。 「ん~~……」  俺としては萌えるべきなのか、それとも妬くべきなのか……。うむ。どっち付かずだ。 「麦、もういいよ。ありがとう」 「ゲホッ……はぁ……ハァ……」  薫さんはガチムキな妖狐・桂さんに拘束されたまま乱れた息を整えに掛かった。  暴れたせいかきちっと着付けられてた着物が大きく乱れている。真っ黒な着物から覗く白い鎖骨とお胸が何とも悩ましい限りで。 「……たまんねえな……」  桂さんが思わずといった具合に舌なめずりをした。 「っ!」  背筋がぞわぞわする。何と言うか凶悪で。  『いいヤツ感の滲み出る体の大きな妖狐さん』……という俺の中での桂さんのイメージが大きく揺らぎ出す。単に助平なだけだよな? 「離せ!」 「わっ!? っと~……乱暴だな、は」  樹月さんが桂さんに代わって薫さんを支え始めた。俺と同じように桂さんの危険性というか、薫さんの身の危険を察知したのかもしれない。  樹月さんは良心確定か? さっきも里のことを気遣ってくれてたし。 「若、どうぞこちらを」  樹月さんが竹筒を差し出す。あれは……水筒みたいだ。  薫さんは余程喉が渇いていたのか、樹月さんに身を預けたまま水を飲み始めた。薫さんの形のいい細い顎から水が滴り落ちていく。 「ごめんね、薫。ちょっと悪ふざけが過ぎたかな?」 「……いえ」  息を整え終えたらしい薫さんは一息ついてから、樹月さんの胸を押した。  一人で立つに至った薫さんは、乱れた着物を整えて、改めて里を見回す。  いつの間にか皆は(こうべ)を垂れるのを止めて、じーっと薫さんのことを見ていた。まさに興味津々といった具合だ。 「……っく、何なんだ、まったく」  そんな視線に対して、薫さんは居心地悪そうに目を逸らした。その表情はどこか不貞腐れた子供を彷彿とさせる。  身分の高いお坊ちゃまなんだ、言わずもがなこういう扱いには慣れてないんだろうな。  薫さん自身今の一連のやり取りをどう処理していいか分からない。たぶん、まぁそんなところなんだろうと思う。 「……人間はどちらに?」 「っ!!?」  まさかこのタイミングで俺の話題が出るとは。心臓がバクバクする。リカさんは何って答えるつもりなんだ……?  触れて欲しい。いや、触れて欲しくない。相反する思いを抱えたままリカさんの返答を待つ。 「ニオイも致しませんし……何処かに隠して――」 「私の妻なんだ」  リカさんは静かに、だけどハッキリとした口調で告げた。  肯定してくる。そんな確信を持って明かしたというよりは、不安を抱えながらも明かしたって感じで。  ――受け入れてほしい。  そんな願いを乗せて薫さんに訴えかけているような。俺にはそんなふうに見て取れた。 「はっ……?」 「ひゃ~、マジっすか」 「にっ、人間を(めと)られたというのですか? 天狐である貴方様が……?」  三者三様。だけど、いずれも否定的だった。やっぱり妖狐の常識からみるとあり得ないことなんだな。 「優太(ゆうた)……」  俺の頭の上にぽふっとやわらかい手が乗った。椿ちゃんだ。励まそうとしてくれてるんだろう。椿ちゃんの優しさが身に沁みる。 「ごめんね。その……驚かせてしまって」 「これは呆れているのですよ。まったく……貴方という人は」  薫さんの口から零れたのは――嘲笑(ちょうしょう)だった。  桂さんは薫さんにつられるようにして(わら)い、樹月さんはぎこちなく同調する。 「そう……だよね。……ははっ……」  リカさんの耳が、目が、声が、重たく沈んでいく。さっきまであった希望はもう何処にもない。 「みた……らい……?」 「あ? 誰だ? そりゃ」  重なり合っていく。リカさんの姿がまるで似てもいない御手洗(みたらい)と。俺が見捨てた元クラスメイトと。  ――俺はアイツがイジメられているのを知って見て見ぬフリをした。愛用している消しゴムを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく割って貸してくれた。そんないいヤツだったのに。 「……っ、リカさん……」  変わってここ数か月の記憶が、リカさんとの思い出がフラッシュバックする。  穏やかで、お茶目で、純粋で、それでいて繊細な――俺の大切な人。 「……っ、……」  ダメだ。黙って見ていることなんて出来ない。リカさんがあんなふうに嗤われて、傷つけられて。 「お前、さっきからどうし――っ!? みゃみゃっ!?」 「っ!? バカ! 何やってんだ!!」  椿ちゃんと大五郎さんの制止を振り切って駆け出していく。向かう先は言わずもがなリカさんのところだ。 「優太!?」  そうして俺はリカさんと妖狐さん達の間に立った。後ろ足で立って、力任せに両手を広げる。 「あ? 何だ? この(うさぎ)は……」 「リカさん……勝手な真似をしてすみません」  リカさんは苦笑した。怒るどころか文句の一つも口にしようとしない。  事と次第によってはすべてを台無しにしかねない。里の存亡すら危ぶまれるというのに。 「君らしいね」  否定するどころか、肯定までし出した。  出会った当初は、その度量の深さに感銘を受けていた。けれど今は、物凄く危ういと感じる。  リカさんは優しい。優しいけど、……いや、優しすぎるが故に甘すぎるんだ。 「出過ぎた真似を」 「あっ……」  俺の勢いは途端に萎んだ。薫さんに睨まれたことであっさりと。 「……っ、………」  嫌悪と侮蔑の感情がひしひしと伝わってくる。  ――俺はこの目を恐れていた。  怖くて、怖くて仕方がなくて……それで逃げていたんだ。物心付いた頃からずっと。リカさんと出会うその日まで。  ――、引けない。前に進まないと。  俺はカラカラになった喉に唾液を流し込んで、ぐっと腹に力を込めた。

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