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25.天昇とヤキモチと

「っ!? この無礼者がっ!!!!!」 「ふぉっ!? すすすっすみません!!!」  なっ、何ってこった!! もふもふの正体は(かおる)さんの尻尾だったのか!? 「この……っ」  薫さんが睨みつけてくる。リカさんと瓜二つの綺麗な顔を歪ませて。凄まじい剣幕。まさに激おこだ。  抱き込むようにして抱えられた尻尾は銀色がかった白で、ふわふわで、さらさらで、温かくもあって。くっ! どうせならもっと……いっそ大胆に味わっておけば良かっ――ん?  握り締めた拳から力が抜けていく。違和感を覚えたからだ。言わずもがな薫さんから。何かが変わった気がする。何だ? 「優太(ゆうた)殿! 此度(こたび)の非礼は、いくら常盤(ときわ)様の奥方様と言えど看過出来ませぬ。よりにもよって若様の尻尾に触れるなど――」 「あーーー!!!!」 「「「っ!!?」」」  そうだ! 尻尾だ!! もふもふの面積が増えたんだ!!! 俺は軽く両手を叩きつつ、薫さんの尻尾の数を数えていく。 「ひー、ふー、みー…………なー…………やー、こー……こー!? 9本!? 薫さんの尻尾って7本でしたよね!?」 「『天昇』したんだね。2つも飛び級しちゃうなんて凄いなー」  めっちゃ棒読みだ。どうしてだ? リカさんにとっても嬉しいことのはずなのに。 「はははっ! 神もまた粋なことをなさる」 「穂高(ほだか)さん、それってどういう意味ですか?」 「おや、お忘れですか? 薫様は貴方様を常盤様の妻とお認めになられた直後に、このように天昇なさったのですよ」 「あっ……」  言われてみれば確かに。 「『兄上の手綱をしっかりと握っておけ。これもまた』……と、言っていたね」  リカさんからのダメ押しを受けて、薫さんは罰が悪そうに目を逸らした。間違いないみたいだ。そうか。俺、認めてもらえたのか。 「やったにゃーー!! 優太!!」 「いや~、ありゃ物の弾みなんじゃないかの~?」 「いーんだよ! 水差すんじゃないよ、このバカ!」  里のみんなも喜んでくれてる。控えめに言って大盛り上がりだ。  仮に唐笠(からかさ)小僧の吉兵衛さんの言う通り、物の弾みだったとしてもこの空気じゃもう取り消しは出来ない、よな? 「笑うな」 「すみません。でも、やっぱ嬉しくって」 「阿呆が」  薫さんは言いながら深い溜息をついた。どうしよう。胸の奥が物凄く(くすぐ)ったい。 「常盤様、治療が完了致しました」 「ああ、ありがとう」  リカさんはハグを解くなり、自分の体の具合を確かめ始めた。  もうすっかりいいみたいだ。顔色も良くなってるし、体もしっかりと動かせてる。流石は定道(さだみち)さん。元将軍秘書は伊達じゃない。 「ねえ、薫」 「何ですか」 「改めてその……よろしくね」  薫さんが小さく息を呑んだ。多分、これが正式な回答になるから。  迷いはないんだろうけど、緊張は伴うんだろうと思う。それだけの覚悟と責任が問われる答えでもあるから。 「おんぶに抱っこでは困りますよ」 「勿論だよ。お互いに足りない部分は補い合っていこう」 「調子のいいことを」  よし。これは薫さん語で『よろしくお願いします』だな。交渉成立だ。これからは忙しくなるぞ~。リカさんも実家と里を行き来したりして――ん? んん? 「復帰するってことはつまり……リカさんが将――当主になるってことですか?」 「ふざけるな」  即座に罵声が飛んできた。俺がきゅっと目を閉じている間に、薫さんが続ける。 「こんな短慮な力だけの妖狐に、雨司の当主が務まるわけがないだろう」 「しっ、辛辣!」 「はははっ! 構わないよ。事実だからね」 「なるほど。自覚はありましたか」 「うん。薫とだよ。私では雨司の当主は務まらない」  ノーダメか。むしろほっとしてるまである。家出したぐらいだし、まぁ当然の反応なのかな。 「……兄上」 「ん?」 「お婆様からは何処で? 雨司にいた頃に指摘を受けたのですか? それとも文で?」  何でそんなところに拘るんだろう? 俺が一人疑問に思っていると、リカさんがすーっと目を逸らした。途端に薫さんの眉間に皺が寄る。 「見たのですね? 僕の記憶を」 「……(ふんどし)」 「~~っ!!! 兄上!!!」 「褌? えっ!? 一体何があったんですか――」 「兄上、他言なされるようなことがあれば協定は即刻破棄しますからね」 「任せて。秘密は絶対に守るよ」  あっ、これ後で教えてくれるやつだ。知りたいけど知りたくないな。記憶を覗かれたら一発アウトなわけだし。 「若様、そろそろお暇を」 「……そうだな」 「泊っていけばいいのに」 「世迷言を。課題は山積、寝る間すら惜しいというのに」 「ありがたいけど、あんまり根を詰め過ぎても――」 「まずは現当主である父上や、家臣共を取り込む算段を打ちます。貴方にもいずれは同席いただきますからね」 「………………やっぱり?」 「当然でしょう」  リカさんの耳がぱたりと下向く。お父さんや家臣の人達が苦手なんだな。どんな人達なんだろう? 俺もいずれは顔を合わせないといけないんだよな。 「……頑張ろ」 「かっ、薫様!」 「大五郎さん?」  らしくもなく、かなり緊張してる。どうしたんだろう? 「何だ? 僕に取り入るつもりか」 「いえ、そうではなくて」  薫さんの口角が(わず)かに持ち上がる。俺は勿論、他のみんなもピンときていないみたいだ。  2人の間だけで通じる会話ってやつか。やっぱり特別な関係だったんだな。元従者、元護衛あたりが濃厚か。 「申し訳ございませんでした」  出てきたのは謝罪の言葉だった。重苦しい緊張を纏ったまま大五郎さんは続ける。 「あの日、私は武人として使いものにならなくなってしまい……貴方様に合わせる顔がなく――」 「大五郎」 「はっ――っ!?」  大五郎さんのつるっ禿(ぱげ)な頭に何かがぶつかった。軽い。ひらひらと舞い落ちていく。白い花びらだ。あれは。 「相も変わらず桜の似合わぬ男よ」  大五郎さんが固く目を閉じた。顎が震えてる。堪えてるんだ。涙を。 「……(かたじけの)うございまする」 「ふっ」  薫さんが――笑った。満足げに、得意気に。  つまりは、不問ってことか? 何にせよ(わだかま)りは解けたみたいだ。良かった、良かった。 「おやおや、これは勝ち目がなさそうですね?」  穂高さんが定道さんに話しかけた。何だか挑発してるみたいだ。案の定、定道さんはむっとして。 「大五郎殿は、常盤様の側近だ」 「どうだかな?」 「ああ、あんな奴はもういらん」  薫さんがさらりと言い放った。すると、定道さんの表情がみるみる内に華やいで――五本の尻尾がぴんっと立ち上がる。 「きっ、聞いたか穂高!」 「っは! お~お~、嬉しそうにしちゃってまぁ~」 「っ! うっ、うるさい!」  大五郎さんも苦笑を浮かべている。異論はないみたいだ。ちょっと寂しそうではあるけれど。 「まったく……」  一方の薫さんは呆れ顔だ。それでもどこか嬉しそうでもあった。何とも微笑ましい限りだ。 「兄上、帰ります」 「ふふふっ、いいのかな?」 「さっさとしてください」 「分かったよ。じゃあ、名残惜しいけど……またね」  リカさんは返事をするなりくるりと指を回した。 「わっ!?」  一瞬だ。瞬きする間に、薫さん、穂高さん、定道さんの姿が見えなくなった。文字通りぱっと消えたような感じで。 「すっ、すげぇ――」 「「ぎにゃ~~~!!!」」 「うおぉおお!!? 何しやがる!!!!」 「っ!? なっ、何!?」  何事かと思えば――大五郎さんが猫又達に襲われていた。  両サイドから車輪を引っ掻かれてる。犯人は黒猫又の椿ちゃんと、白猫又の菊ちゃんだ。  2匹とも怒り狂ってる。やり場のない感情をぶつけてるような感じで。 「大五郎のくせに!! 大五郎のくせに!!」 「つるっ禿親父には来て、にゃんで菊にはいつまで経っても……っ、うぅ゛!! 納得がいかにゃいにゃーーーー!!!!」 「はぁ!? 何が来たって!?」 「ふふふっ、薫がモテてる♪ 嬉しいなぁ~」  あ! なるほど。『そこ代われ状態』ってことか。  超絶イケメンから桜の花&麗しスマイルを贈られる。  まぁ、確かに夢はあるか? 何かちょっと乱暴だった気がしないでもないけど。 「ほっほっほ、若いの~」  猫魈(ねこしょう)の梅さんは笑顔を浮かべるばかり。仲裁をする気はないようだ。俺が止めるべきか? 「それはそうと……ねえ、優太?」  また抱き締められた。今度は後ろから包み込むように。嬉しい。本音を言えば俺も抱き返したいけど。 「ダメですよ。みんな見てますから――」 「薫の尻尾、いいなって思ったでしょ?」 「っ!?」 「もっと触りたいって思ったでしょ?」  有無を言わさず問いかけてくる。リカさんは変わらず穏やかだけど、それに反して圧が半端なくって。俺の背からはだらだらと嫌な汗が伝っていく。 「優太?」 「はっ、ははははっ、やっ、ヤダな~! 確かにまぁ綺麗な尻尾だな~とは思いましたよ? 思いましたけど――」 「私のよりも?」 「そっ、そんなわけ――ごひゅっ!?」  視界を、全身を、リカさんの4本の尻尾が覆い隠していく。  温かくて、ふわふわで、もふもふで。おまけにヤキモチのスパイス付きだ。  堪らん。俺の鼻孔は大きく広がり、両手もぷるぷると震えながら持ち上がっていく。 「もひゅ……もひゅ……」 「ねえ、私の方がいいでしょう?」 「ひゃい♡」  俺は本能の赴くまま、顔を覆う尻尾を鷲掴みにした。  すんっと鼻を鳴らせば、干したての布団みたいな匂いが。まさに至福。おぉ、神よ……。 「ふふふっ、素直でよろし――っ!」 「っ!? なっ、何――」  眩しい。視界を覆われているはずなのに。この光はリカさんから放たれてるのか? 「あっ、あれ?」  光が薄れかけてきたところで、俺はとてつもない違和感を覚えた。  さっきまでと何かが違う。何だ? 温もりが減った。……減った? 「リカさん!? まさか」  振り返ると案の定、リカさんの尻尾が減っていた。4本から2本へ。言わずもがな天昇したんだ。 「すごい! おめでとうございま――」  ちっ、と鋭い音が飛んできた。今のは舌打ちか? 誰が? えっ? まさかリカさんが? あの穏やかなリカさんが舌打ちを……? 「……神め」  笑顔のままブチギレてる。怒りの矛先は間違いなく神様に向いている。100パー俺じゃない。分かってる。分かってるのに、どうにも汗が止まらなくて。 「しょっ、昇格したんですよ!? 素直に喜びましょうよ!」 「どうして今なんだろうね? 絶対だよね?」 「わわっ! リカさん、落ち着いて!!」 「うひょい!? いつの間にやら、六花(りっか)様が二尾の天狐様になられておるぞい!!」 「常盤様!! あぁ!! 何とめでたい!!!!」 「宴じゃ! 宴じゃ!!」 「悪いけど、今はそういう気分じゃ――」 「「「宴にゃーーー!!!」」」 「はぁ~……ふふふっ、もう! 分かったよ」  こうしてまた賑やかな日々が戻って来た。一度失いかけただけに喜びも一入だ。  それだけに、これが仮初のものにはならないように。俺達だけの限定的な幸せにならないように頑張らないと。  そのために、俺は妖狐になるんだ。我ながらとんでもない決断をしたものだなと思う。けど、後悔はしてない。むしろ、誇らしいとさえ思えるほどだ。 「俺、ちょっとは変われたかな?」  最初の内は御手洗(みたらい)になりきって。だけど今は。今やっと自分の足で立てたような気がする。  そう思ってもいいですよね? 神様。

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