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01.そっち側へ
「何泣いてンの? こんなんおふざけだろ? なぁ?」
空色のブレザー姿の男子生徒が、同じ格好の一回り以上小さな男子生徒に迫っていく。小さなヤツは校舎の白い壁に追い詰められて、ぐっと身を縮めた。
「俺らトモダチだもん。なぁ、御手洗 ?」
男子生徒が御手洗の顔を覗き込む。御手洗は返事を拒むように目を逸らして。
「っ!」
「あっ……」
俺と目が合った。黒い大きな瞳が涙でいっぱいになっている。助けて。助けて。そんな声が聞こえてくるようで。
「~~っ」
俺は堪らず手にしていたゴミ箱を握り締めた。ダメだ。行け。ダメだ。心の中で2つの真逆な指示が飛ぶ。俺はどうしたら。
「……っ、……」
御手洗の口が動く。音は乗らなかった。恐怖と罪悪感のせいか。でも、次はどうなる? 御手洗が声に出して『助けて』って言ったら? 俺の名前を呼んだら? 次は俺の番だ。友達 も助けてはくれないだろう。
「……ごめん」
俺は逃げ出した。先生に助けを求めるでもなく、何もせずに学校の外へ。これでいい。御手洗はただのクラスメイトだ。話したのも2、3回程度。助ける義理なんて。
「…………」
思いかけて過る。御手洗との数少ない思い出が。
『仲里 君? どうしたの?』
『あっ……いや、その……消しゴム忘れちゃったみたいで』
高2になって初めての定期テスト。苦手な数学で少しでもいい点を取ろうと、家を出る直前まで問題を解きまくってた。そのせいか消しゴムを忘れてしまったみたいで。ああ、俺ってヤツは……!!!
こうなったら、シャーペンに付いてるちっこいヤツで何とかするしかないか。何て思ってたら。
『はい。これ使って』
御手洗が真新しい消しゴムを差し出してきた。反対の手には、半分に割れた消しゴムがある。まさか。
『割ってくれたのか? ごめん。それまだ新しかっただろ?』
『仲里君の頑張りに比べたら、こんなの全然』
『ガンバリ?』
『消しゴム、忘れちゃうぐらい必死になって勉強してきたんでしょ』
『えっ? ……ああ、まぁ……』
『だから、いいんだ。使って』
そう言って、御手洗は俺の机の上に消しゴムを置いた。俺の目にはこの時の御手洗が物凄くキラキラして見えた。正直に言えばちょっと眩し過ぎて、内心でみっともなく嫉妬した。
自分に酔い過ぎだろ。宗教でもやってんのか? この善意には裏がある。そんなふうに思い込むことで自衛しようとしたんだ。たぶん、アイツ等も……御手洗をイジメてた奴らもそう。御手洗は眩し過ぎたんだ。
「だから、これでいい。これでいいんだ。俺はアイツ等と同類なんだから」
お前にはお前の、俺には俺に合った環境がある。頼む、頼むから、抗わずに逃げてくれ。胸の中で願い続けた。毎日。毎日。
そうしたらアイツは学校に来なくなった。聞いた話によると転校したらしい。本当に良かった。新しい学校ではイジメられませんように。助けられなかった分、必死に願った。
――そうして1年後の今日。御手洗は女子と歩いてた。幸せそうに、照れ臭そうに笑って。あの子はたぶん彼女なんだろうと思う。良かった。お前は今幸せなんだな。
「……っ」
ほっとする一方で不安になる。このまま『めでたしめでたし』で終わっていいのか? 次にまた同じような場面に出くわしたら? 俺はまた逃げるのか? 巻き込まれたくないから、ハブられたくないから。
そうして保身に走った結果、俺が得てきたものは何だ? 上辺だけの仮初の関係だ。本音も言えない、心の底から笑うことも出来ない。こんな人生に何の意味がある?
「変わろう」
求められる『勇気』や『痛み』は相当なものになるだろう。だけど、やってやる。もうこれ以上こっち側にいたくないし、それに何より俺もあんなふうに笑ってみたいから。心の底から。幸せいっぱいに。
「いつか誰かと――」
何だ? 妙に眩しいな。もう夜の10時を過ぎているのに。
「えっ……?」
直後、俺は轢 ねられた。見上げるほど大きなトラックに。その後の記憶はない。たぶん即死だったんだろう。
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