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32.弟頼りな小さな一歩(※六花視点)

「止しなさい」  脛擦(すねこす)りに向かって飛んできた石を(ちり)に変えた。使ったのは念力だ。脛擦りの前に立って、少年達と対峙する。 「よっ、妖狐だ!」 「逃げろ! 食われるぞ!!」  子供達が逃げていく。食われるぞ、か。内心で苦笑しつつ背後に立つ仔犬(こいぬ)のような彼に目を向ける。 「きゅきゅっ!」 「おぉっ、と……」  脛擦りの方から近付いてきた。かと思えば、脛を(くすぐ)っ……いや、擦り始めた。お礼なんだろうな。きっと。 「ふふっ、ありがとう」 「きゅきゅ!」 「1つ聞いてもいい?」 「きゅっ!」 「どうして反撃しなかったの? 君にも同じことが出来たよね?」 「きゅ……っ」 「ごめん。ちょっと気になって」 「…………」  脛擦りはぐっと黙り込んでしまった。もしかして君も? 「ごめんね」と一言謝って、彼の……(むぎ)の記憶を覗き見る。  麦には人間の老婆と生活を共にした過去があった。彼女を看取った後、里に戻って同胞達と暮らし始めたけど……人間への敵意を失ってしまった麦は、彼らとは相容れなくなってしまって。終いには迫害されて独りになった。 「そう。やっぱり君も『はみ出し者』なんだね」 「きゅ……」 「辛いね。苦しいね。私達が安らげる場所は、もう……何処にもないのかな」 「きゅっ!」  無垢な青い瞳。その瞳はキラキラと輝いていて。……そう。君はまだ諦めていないんだね。生きることを。幸せになることを。 「じゃあ、創っちゃおっか? 安住の地」 「きゅっ?!」 「出来ると思う。実際創ったことはないけど、やり方の目星は――あっ! ふふっ、擽ったい」  麦は余程嬉しかったのか、私の顔をペロペロと舐め始めた。私は愛おしさのなすままに、小さくてふわふわとしたその体をぎゅっと抱き締める。 「えっ? 名前?」 「きゅきゅっ!」  常盤(ときわ)、と名乗りかけて口を噤んだ。その名はもう捨てたも同然だ。私はもう父上の子でもなければ、王太子でもないのだから。何か別の名を――。 「っ! 雪……?」  曇天の空から舞い下りた『六つの花』は、(はかな)くも清らかで。自然と恩人であるご主人とおふくちゃんの姿を思い起こさせた。そうだ。彼らのことを決して忘れることのないように、しっかりとこの名に刻んでおこう。 「六花(りっか)。私の名は六花だよ」  ――それから150年もの間、私は『はみ出し者』達の保護と里の発展に努めてきた。  罪滅ぼしのつもりだった。救えなかった分、せめてもと。けど、それは逃げでしかなかった。大五郎(だいごろう)が言った通りだ。雨司の皆の意識を変えない限り、根本的な解決には至らない。『正しくも儚き者達』は雨司を始めとした『力ある者達』に蹂躙され、搾取され続ける。  分かっている。分かっていながら、ぬるま湯に浸かり続けてしまったんだ。150年もの間ずっと。 「ご無沙汰しております」  青年妖狐が声を掛けてきた。身に着けているのは無地の黒い着物に、観世水文(かんぜみずもん)が映える真っ白な五つ紋羽織。銀色の長い髪は、横に結わえてさらりと流していた。そんな彼の顔は、若い頃の私にそっくりで。ああ、薫だ。この子は本当に薫なんだな。  薫は200歳になっていた。見た目だけで言えば、優太(ゆうた)と同じぐらいの年頃に見える。ただその目は冷たく鋭利で……修羅を知る者の目になってしまっていた。子供の頃はあんなに無邪気だったのに。  何と言葉をかけたらいいのだろう。考えあぐねいている間に、薫が移住予定の妖狐達を紹介し始めた。  1人目は樹月(きづき)。細身。薄茶色の髪を一つ結びにしている。吊り上がった糸目の妖狐らしい風貌の青年だ。  2人目は(けい)。屈強で私よりも背が高い。銀色の坊主頭で一見すると僧兵のよう。目は体に反してつぶらで愛嬌があった。 「「よろしくお願い致します!!!」」 「ふふっ、よろしくね」  どっちも紺色の作務衣姿。尻尾は2本。妖力はまだまだだけど向上心に溢れている。実力は後からついてくるだろう。 「紹介してくれてありがとう。色々と大変だったでしょ?」 「いえ。僕はただ、お婆様の通りに動いただけなので」 「……遺言?」 「亡くなられたのですよ。半月ほど前に。(たぬき)達に売られ、退治屋に呪い殺されました」  お婆様は戦火に巻き込まれた『化け狸』達を支援していた。彼らとの関係は良好で、お婆様自身も復興にやりがいを見出されているようだったけど。 「憎いですか?」 「……いや」 「では、赦しますか?」  無表情のままじっと見つめてくる。正直、まだ混乱してる。だけど、答えはもう出てて。 「引き続き支援を行いつつ自活を促すべきだと思う。少しずつでも余裕が出てくれば、自ずと精神も育っていくと思うから」 「なるほど。高潔なる精神は育むことが出来ると。そうお考えなのですね」  体が震えた。大広間での一件が頭を過る。私の声は誰にも届かなくて。 「それを聞いて安堵致しました」 「…………えっ?」  今、何て? 戸惑う私を他所に、薫は淡々と続ける。 「当代の雨司の中枢は腐敗しきっています。貴方方の言う『正しくも儚き者達』を巻き込みながら、互いに食い合いそして潰し合っている」  昔からそうだった。城の中では絶えず嫉妬と欲望が渦巻いていて。もしかしたら、私がいた頃よりも酷いことになっているのかもしれない。 「今の雨司に未来はありません。滅亡を阻止するためには、政策の工夫は勿論のこと、精神も叩き直す必要があると考えています」 「そう……だね」 「貴方の里には『正しくも儚き者達』がいるのですよね?」 「うん。沢山いるよ」 「協力の礼に、1つ見せてはいただけませんか。雨司の精神改革の手本としたく」 「……改革をした後は?」 「兄上のご助言に従い、他の『正しくも儚き者達』への自活を前提とした支援を行ってまいります」 「……そう。……そっか……」 「? 兄上?」  信じられない。まさか薫が、お婆様や私の考えに賛同してくれるなんて。 『恐れながら、薫様は貴方様と同じお考えなのではありませんか? 当代……いえ、これまでの雨司の在り方に否定的な考えをお持ちになっている。それ故に孤高のお立場を取っておいでなのでは?』  大五郎。君の言う通りだったよ。 「……っ」 「泣いている暇があったら、さっさと――っ!」  気付けば私は、薫のことを抱き締めていた。胸の中にすっぽりと収まってる。背の高さは優太と同じぐらい。いや、優太よりも小さいかも。  目の前にあるやわらかな髪に顔を埋める。甘い。桜餅みたいな香りがする。これは……藤袴(ふじばかま)か。香を付けるなんて。大人になったね、薫。 「何の真似ですか?」 「ごめん。どうにも嬉しくって」 「僕は不愉快です」 「ははっ、酷いなぁ~」  心は……覗かなかった。信じているから。疑う余地なんて微塵もない。薫は私の同志だ。 「さて。それじゃあ、行こうか」 「さっさとしてください」 「ふふふっ、はいはい。開界!」  白い光に包まれていく。  ――優太。私もほんの少しではあるけれど、前進することが出来そうだよ。これで少しは君にふさわしい男になれるかな。

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