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31.出奔(※六花視点)
目を覚ますと見知らぬ天井が広がっていた。ここは……?
「あっ! 起きた!」
「っ!」
人間だ。瞬時に飛び起きて小屋の隅へ。爪を伸ばして威嚇する。ここにいるのは少女と中年の男だけか。どっちも黒髪で、目尻が垂れ下がった大きな目をしている。においも似てる。親子か。
「何の真似だ。私は妖狐だぞ」
「ええ! アタシ達の大切な恩人です」
「……は?」
「以前、山賊に襲われていたところを助けられてな」
妖狐が人間を? あり得ない。いや、まさか。
「その妖狐の名は?」
「澪 様です。若い女性で、金色の髪をした……そう! 貴方様と同じ4本の尻尾を持つ、とっても美しい妖狐様でした!」
やっぱりだ。まさかこんなところでお婆様の善行に救われることになるとは。やれやれと首を左右に振って、親子に頭を下げる。
「申し訳ない。助けていただいたのに、とんだ無礼を働いてしまって」
「はっはっは! 誤解が解けたようで何よりだ」
「さっ、こちらへ。包帯を変えさせてくださいな!」
「…………ええ」
私は少女と男性に身を委ねた。その仕上がりはお世辞にも上等とは言えなかったけど、善意は十二分に伝わってきて凄く……嬉しかった。
「ありがとう」
「いっ、いえ! そんな……っ」
「おぉ? 何でぇおふく。顔があけーぞ?」
「ばっ、バカ! そっ、そんなんじゃないってば!」
あたたかい人達。その優しさと義理堅さは例えようもなく尊い。だけど、それと同等……いや、それ以上に危うくて。
「お言葉ですが、1つ忠告をさせてください。私や澪を除いた他の妖狐達は、貴方方人間に対して強い敵意を持っています。今後は構わず捨て置くのがよろしいかと」
「っ、てもなぁ~」
「うん。見捨てることなんて出来ないと思います」
親子は顔を見合わせてへらっと笑った。どうして? 意味が分からない。
「俺もおふくも一度死にかけてるからな。死に物狂いで生きようとしているヤツの気持ちは、いて~ぐらいに分かっちまうのさ」
「っ、殺されてしまっては元も子もないでしょう」
「はっはっは! まぁ、そん時はそん時さ」
私達はとんでもない勘違いをしていたようだ。彼らは卑しくなんてない。むしろその逆。とても高潔だ。脆 く儚 い存在でありながら、死の恐怖に屈することなく自分達の信念を貫いている。
護らないと。この『正しくも儚い者達』を。私も行こう。お婆様と同じ道を。
「ねっ、ねえ、妖狐様! お名前は? お名前は何と仰ら――れ」
何かが吹き出すような音がした。私の髪が、着物が濡れていく。これは……血?
「っ! おふく――」
重たい何かが壁にぶつかった。あれは……首だ。床にこの家の主人の首が転がっている。
「何……で……?」
「若!? ご無事ですか!?」
甲冑姿の妖狐達が駆け寄って来る。ご主人やおふくちゃんには目もくれずに。ああ、そうか。お前達がやったのか。
「常盤 様――」
「無事? 無事に決まってるだろ。~~っ、彼らは私の恩人――っ!!」
不意に意識が遠のく。力が入らない。
「殿下、どうかご無礼をお許しください」
臣下の胸に顔が埋まる。護れなかった。大切な恩人を。私のせいで死なせてしまった。
「ごめん……なさい……っ」
血に染まった親子に向かって手を伸ばす。けど、その手が彼らに届くことは……なかった。
「常盤様! なりません! まだ、安静にしていなくては」
目を覚ますなり私室を飛び出した。白い寝着のまま。着替えることもなく。向かう先は大広間。そこでは今式典が。論功行賞 が行われている。
「っ! 常盤様!? 何を――」
「退け!!」
奥へ奥へと進んでいく。大広間には薫を除いた私の弟妹達、親戚筋、それから数多 の臣下達の姿があった。いずれも束帯 姿だ。
「目覚めたか」
皆が戸惑う中、父がそっと語りかけてきた。父がいるのは上段之間。君主のみが座せる場所だ。当たり前だけど父もまた礼服姿だ。それに対して私は寝着姿で。とんでもなく無礼で非常識だ。けど、今は。
「……っ」
意を決して中段之間へ。父上が鎮座する上段之間の前に座り、頭 を垂れる。
「一体何があったというのだ?」
今だ。今こそこの思いを伝える時。私が変えるんだ。この歪み切った国を。震える拳に力を込めて父に向き直る。
「恐れながら申し上げます。神が創造しようとなされている世界は、必ずしも我らにとって良いものとは限りません。今こそ神から脱却し、自らの意思で考え、行動すべきです」
「何か考えでもあるのか?」
「侵略ではなく対話を」
「なるほど。そして……弱く儚い者達に支援をと言うのだな。あの天狐 ・澪のように」
「……はっ」
落ち着け。父上はまだ肯定も否定もされていない。それに、仮に否定されたとしても臆することはない。父上ならきっと耳を傾けてくれるはずだ。
「素晴らしい」
「っ! 恐れ入ります――」
「ここにきて挫折をお与えになるとは」
「……は?」
「いいぞ、常盤よ。今は大いに悩み、苦しみなさい。これもまた神の思し召しなのだから」
何を……言ってるの?
「おそらくは、これが最後の試練。その痛みと苦しみを乗り越えた時、お前はきっとなれるはずだ。伝説の、最上位格の『空狐 』にな」
「「「「おぉーーーーーーーー!!!!」」」」
臣下達が一斉に沸き出した。その姿は宛 ら馳走 を前にした獣だ。欲深く、浅ましい。護り育む意思なんて微塵も感じさせなくて。
弟達は……ダメだ。憎悪に満ち満ちた目を向けてきている。相も変わらず自分のことしか考えていない。
「……っ、父上――」
「神よ。貴方様の『愛おし子』をこのわたくしめにお授けくださいましたこと、心より感謝申し上げます」
最早私は貴方様の子ですらないのですか。
「……はっ、……はは」
私は何なんだ。どうしてここに? 何のために生まれてきた?
「常盤様」
ガラガラと控えめな音を立てて近付いてくる。鉄が焦げたような匂い。大五郎 だ。
「お体に障 ります。共に参りますので、どうかお部屋に――」
「……ごめん。今はひとりにして」
「はっ……」
大五郎に背を向けて広間を後にする。
……それからのことはよく覚えていない。気付けば見知らぬ土地にいた。服装は寝着のまま。太い枝に腰掛けて、ぼんやりと重たい雲を見上げている。
「ん?」
風が吹いて視界に何かが入り込んだ。組紐だ。色は赤。横に結わいた髪をしっかりと束ねている。これは父上から頂いた大切なもの……いや、大切だったものだ。
「……っ」
解いて燃やした。紐は一瞬にして塵 に。パラパラと音を立てて消えていく。
「私も……このまま――」
「きゅいー!」
悲鳴が聞こえる。あれは……仔犬 ? いや、脛擦 りか。人間の子供達に追われている。先頭を走っていた子供が、脛擦りに向かって石を投げた。
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