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30.150年前(※六花視点)

「陛下、どうかわたくしに子種を!」  1人の女妖狐が父に(すが)りついている。寝着姿のその女性は酷くやつれた様子で、まるで生気を感じさせない。 「わたくしは常盤(ときわ)を産むことで『四尾の狐』となりました。故にこれは! 数多(あまた)の水子は、常盤をも凌ぐ神童を授かるための()わば(にえ)なのです」 「~~っ、お(らん)の方様! お止めください。これ以上は貴方様の身が――」 「黙れ! 女中の分際で意見するな!!」  神は時折、私達妖狐に力を与える。。誰一人として神と対話出来る者がいなかったからだ。  次第に妖狐達は好き勝手に『神の意思』を想像して、妄信するようになる。私達妖狐は『神の使者』。神は妖狐による治世を望んでおられるのだと。 「なぜじゃ? なぜ何も起こらぬ。この子は、(かおる)は貴方様がお望みになった子ではないのですか? 神よ! どうかお応えくださ、い……っ」  母は最期まで熱心な信徒だった。にもかかわらず、神は母を見放した。十中八九、利用価値がなくなったから。そう。信仰は無意味。私達は所詮『駒』でしかないんだ。 「バカだね。神が望んでいる世界が、必ずしもアタシ達にとって良いものとは限らないだろう。楽してないで、ちゃんと自分の頭で考えな」  私はお婆様のその一言に感銘を受けた。そうだ! 駒であり続けるのはもう止めだ。私達は意思する存在になる。自分の頭で考え、行動すべきなんだ!   でも、何から始めたらいいんだろう? 神の駒として(いたずら)に戦果を積む生き方しかしてこなかった私は、大いに戸惑った。  お婆様は戦場から退いて、『卑しき者達』……人間や低級妖怪達を支援して回っているらしい。私も同じ道を行けばいいのかな? いや、ただ真似するだけじゃダメだ。ちゃんと学んで、ちゃんと考えないと。 「……わ……常盤よ」 「っ! ……はっ」 「どうした? 今日のお前はいやに上の空だな」  中年の男妖狐がこっちを見ている。六本の尻尾をゆったりと揺らしながら。彼は私の父親だ。金色の長い髪は横結びに。糸のように細長い目は優し気で、お団子のように丸い鼻からは愛嬌を感じさせる。足りない威厳を補うためか、口元と顎からは立派な髭を生やしていた。  そう。私と父はあまり似ていない。私は自他共に認める母親似だ。母は……側室の中では最も低い身分の出ではあったけど、その反面最も美しく華があった。父はそんな母の美貌を大層気に入り寵愛。正妃や他の側室達は、母への憎悪を日増しに強めていった。  そんな背景もあって私の容姿を卑しむ者は多い。表では美しいだのなんだのと散々褒めちぎっておきながら、裏では売女顔(ばいたがお)呼ばわり。ほんと酷い話だよね。 「何か憂い事があるのなら遠慮なく相談するといい。お前の憂いは私の憂いだ」  父は優しかった。多忙の身でありながらこんなふうに対話の場を設けてくれたり、何かと気遣いを見せてくれて。  父上なら一緒に悩んでくれるのかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらも踏み出せずにいた。怖かったんだろう。この関係が壊れてしまうのが。 「ん? ははっ、その組紐、まだ使っておったのか」 「はい」  私は短く応えながら高く結った髪に。赤い組紐に触れた。密度感のあるしっかりとした造りをしている。けど、もうボロボロだ。800年近く使い続けたのもあって色は()せて、所々毛羽立ってしまっている。でも、変わらず使い続けるつもりだ。だってこれは、父上からいただいた大切なものだから。 「初陣の時だったな。それをお前に贈ったのは」 「ええ」 「合わせて贈った言葉を、今も変わらず覚えているか?」 「……『、天下を統一し妖狐による治世を成せ』」 「その通りだ。常盤よ。変わらず精進致せ。父は期待しておるぞ」 「……はっ」 「あにうえ! ちちうえーっ!」  パタパタと小さな足音を立てて少年妖狐が駆け寄って来る。紺色の作務衣姿の彼は、弾けるような笑顔を浮かべていた。 「ふふっ」  途端に心が軽くなる。ああ、今日もまた彼に……薫に救われた。薫は7人いる兄弟の末弟で、今はまだ50にも満たない(わらべ)。人間で言えば5歳ぐらいか。まさに可愛い盛りだ。容姿は私と瓜二つ。母・お蘭にとてもよく似ている。 「っ! これどうしたの?」  見れば薫の膝は赤く染まっていた。まさか誰かに。 「だいじありません! ボクはしょーらい、兄上のようないっきとーせんのよーことなり、神のししゃとしてりっぱにつとめをはたすのですから!」  その宣言には一縷(いちる)の迷いもなかった。父や母と同じ目だ。薫はまだ物心ついて間もない子供だというのに。 「……そう」  絶望感が押し寄せてくる。やっぱり無理なのかな? みんなを『神の呪縛』から脱却させるなんてこと。 「頼む! 殺さないでくれ」  (さむらい)が命乞いをしている。誇りもへったくれもない。だけど、そうまでして生き延びたい理由が。待っている人がいるのかな。 「なっ……」  爪を収めて侍に背を向ける。 「行け」  初めてのことだった。敵を見逃がすのも、敵の境遇に思いを馳せたのも。いずれも教えに反するからだ。そう。私はこの日初めて神の……雨司の教えに背いたんだ。 「……ふふっ」 「馬鹿め! 死ね!!!」 「っ!?」  斬り付けられた。脇腹から真っ赤な血が噴き出す。 「~~っ、この」 「ぎゃあああぁああああああ!!?」  男は死んだ。青い炎に包まれて。生きている人間は……もういないか。一安心。いや、ここは敵地だ。いつ援軍が駆けつけてくるとも限らない。  大五郎(だいごろう)達は……ダメだ。遠い。合流するのには半刻はかかるだろう。迷いを見透かされたら大変だ。そんな焦りからつい先行し過ぎてしまった。これは後で大目玉だな。 「くっ……」  おかしいな。血が止まらない。斬られた脇腹付近の鎧は割れて、その下の着物は真っ赤に染まっている。不味い。早く処置しないと。 「あ゛っ!」  突然激しい眩暈(めまい)が。息も苦しい。さっきの侍、刀に毒を仕込んでいたのか。 「ははっ……やっちゃった……な……」  べちゃっと音を立てて地面に倒れ込む。ああ、全身泥まみれだ。 「これは……天罰……なのかな?」 「うぉ~、くわばらくわばら……」  声がする。あれは……人間? 「っ! おとっつぁん! この方、まだ息があるみたいよ」 「おぉ!? こいつはァてーへんだ! 家に運ぶぞ」 「えっ……?」  なぜか私の体が持ち上がった。どうして? 私はどう見ても妖で。 「……っ、……」  ダメだ。心を探ろうにも思うように集中出来ない。意識も朦朧(もうろう)として……凄く寒い。このまま死んじゃうのかな? 「っ! ! しっかりして!!」  ゆっくりと落ちていく。暗い暗い深潭(しんたん)の中へと。

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