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第61話

 秀兎を見習って匂いを嗅いでみると、苦い中に奥深い香りが隠されているのがわかった。言われなければ気づけないくらいの違いだ。 「すごいなあ、秀兎はなんでも知っていて」 「なんでもは知りませんよ。そう人を羨むことはありません。福は(こと)少なきより?」 「……福なるはなく、(わざわい)は心多きより(まが)なるはなし、だっけ?」 「正解です。何事もなく過ごせていることを喜びましょう。心労の多いことほどの不幸せったらありませんよ」  秀兎は華族言葉を日常会話に組み込みながら教えてくれるので、白露もだいぶ意味がわかるようになってきた。彼なりに白露のことを励ましてくれていると感じて心が和む。くるくるとよく動く兎耳も見ていると癒された。  お茶を飲み終えた秀兎は、茶器を端に避けて授業を開始する。 「昨日は華族のオメガ子息の教養についてお話しましたね。内容を覚えていますか?」 「覚えてるよ。華族言葉を(みやび)やかに使いこなし、家の中のことを取り仕切り、楽器の演奏や書道などの芸事に秀でているのがよいオメガなんだよね」  華族の奥方が求められることを主に行うものなんだそうだ。白露の知っている里のおばさん達とは、ずいぶんやっていることが違うんだなあと感心してしまった。  皇帝の番としてのお仕事も基本的には似たようなものらしい。お客様をもてなすとか、旦那様の仕事を手伝うとかを想像していたから拍子抜けだった。  秀兎は白露の答えを聞いて、よくできましたとばかりににこやかに頷いた。 「そうですね。ただ、大事なことを一つお忘れです」 「うっ……そ、それも覚えてるよ。つまりその……子どもを産むんだよね?」  赤ちゃんはコウノトリが運んできてくれるものではないと、実地でも知識でも思い知らされた白露だけれど、未だにそれを口にするのは抵抗があった。  自分は男で、将来は里のみんなと同じようにお嫁さんをもらうと思っていたから尚更だ。  里の誰もオメガの知識を持っていないことが(あだ)となった。白露は自分がオメガだということはわかっていても、オメガがどういった存在なのか知らなかったのだからしょうがないと自分を慰める。  秀兎は密かに落ち込む白露を前にしても、全く顔色を変えることなく首肯した。 「ええ、そうです。特に皇帝の番となれば、周囲の期待も大きいでしょう」 「あうう……そうだよね」 「白露様。私はぜひ、貴方様の助けになりたいのです。正直に申し上げていただきたい、発情期の兆しはまだないのでしょうか?」  ずいっと小さな瞳を近づけられて、小柄な彼の真剣な眼差しを正面から受ける羽目になる。

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