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第60話 新しい教師
何事だろうと前に視線を向けると、知らない華族が目の前にいると気づく。
「おや、もしやそこにおられるのは白露様では? 息子がお世話になっております」
話しかけてきた壮年の男性は、小さく白い獣耳と銀の髪をしていた。
「えっ、貴方は……」
「立ち止まる必要はありません、行きましょう」
魅音は彼を無視して歩きはじめてしまう。仕方なく白露も追いかけた。部屋に戻ってから、魅音に問いかける。
「もしかして、さっきの人は宇天のお父様? 挨拶した方がよかったんじゃないかな」
「いいえ。正式な紹介をしていないのに声をかけてくる者を、白露様が相手にする必要はございませんわ」
「そうなんだ……」
魅音がそういうのなら正しいのだろうと、がんばって先ほどの出来事を意識の外に追いやろうとする。
あの日から宇天に会っていない。もしもお父様から宇天についてなにかお願いされても、まだ会う勇気は持てそうになかった。
「それにしても、葉家が直接接触してくるなんて」
「どうしたの、魅音」
「いえ……確証はなにもありませんが」
言い淀む魅音の背後の扉から、涼やかな声がかけられた。
「白露様、参りました。秀兎 です」
「どうぞ入って」
秀兎は一礼してから白露の部屋に入室した。淡い茶色の髪に飴色の瞳の彼は白露よりも小柄で、庇護欲をそそる容姿をしている。つぶらな瞳を隠すように銀縁の眼鏡をかけていて、彼に知的な印象を与えていた。
兎耳をピンと立てた秀兎は、白露に控えめな笑みを見せる。隣に立つ魅音の強張った顔を見て、秀兎は小首を傾げた。
「おや、お取り込み中でしたか?」
「いいえ。ただいまお茶を用意します」
秀兎はオメガやアルファのこと、宮廷での振る舞い方に加えて、文学や算学、歴史など多岐に渡って教えてくれる信頼できる教師だ。白露は言われるままに文机の上を片付けて、魅音に緑茶を淹れてもらった。
「ふむ、いい香りですね。これは稜蓮 産の茶葉でしょうか」
「その通りでございます」
給餌をした魅音が恭しく返答した。白露にはよくわからないが、お茶の産地によって風味が違うらしい。
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