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第1話

 『お腹壊しちゃうかもしれないので、食べたら胃薬を飲んでください』  小花の散ったいかにも女子を強調した手紙を読んで、俺は迷わず握り潰した。一緒に手渡された小包が綺麗にラッピングされていようが、チョコのいい香りがしていようが関係なくゴミ箱に捨てた。  それが男子高校生の間で羨望の眼差しを受けるものだと分かっていても、だから何? と思った。  顔もわからない女のために、胃を壊すいわれなどない。だったらそんな危ないものを最初から作ってくるな、と文句を言いたいぐらいだ。  俺がゴミ箱に投げるのを目撃した友人たちから、「可哀想だ」と非難を浴びせられ、じゃあこの手紙は何だ、と突きつけた。  それはその子なりの照れ隠しに決まってるだろ、とさらに言葉を重ねられ、俺は何も言い返せなかった。  どうして照れ隠しだとわかるんだ。もしかしたら下剤が入っているかもしれないという可能性はなぜ否定できる。こいつらはエスパーか、と心底驚いたものだった。  そんな過去の残像が頭の隅で蘇る。意識が半分飛んでいるのは酒のせいか、それとも隣にいる女の香水のせいか、あるいはそのどちらもか。  どうして今頃、高校生の頃なんて思い出したりするんだよ、と心中で笑った。  「でね、この前私、すごいことに気付いちゃったんですよー」  鼻にかかる女の声が、壊れたスピーカーのように流れ続ける。  俺が適当に相槌を打っていることが嬉しいのか、女は訊いてもいな いことをペラペラと喋っている。   周りの男たちはこの女の容姿が気になるのか、ちらちらとこちらに視線を投げかけて鼻の下を伸ばしていた。  できることなら隣を譲ってやりたいが、女は俺の腕をがっしりと掴んで身動き一つとれない。  結婚式の二次会だというのに、女は真っ赤なワンピースドレスを着ていた。二次会は披露宴よりフォーマルな装いで来るのが常識のはずだが、どうやらこの女には通じないらしい。  いかに自分が目立とうとしているのか見え見えだ。下着が見えそうな短い丈や、胸の谷間を強調したのもそのためだろう。  花嫁より目立とうとして何がしたいんだ よ。  こいつは綾の友人として招待されたはずだが、人選ミスもいいところだ。  グラスを両手で包み込むように持っている指先は、凶器のように尖った爪が光っていた。ライトストーンできらきらと装飾が施されているが、先端は刃物のように鋭い。  この手で扱かれることを想像し、爪が食い込み痛さで転げまわっている図が浮かび、ひゅっと下半身が萎えた。  立食形式のせいか、パーティー会場の両脇に椅子とテーブルが並んでいるだけで自由に場所を移動できる。料理や飲み物はカウンターにあり、好きな時に好きなものを取りに行ける。  だがそうは言っても、新郎新婦のプロフィールビデオやらゲーム大会やらが始まって中々タイミングが掴めない。ようやっとトイレ休憩の時間ができたというのに、女は俺の腕を掴んで上目遣いで見上げてくるのに忙しい。  こんな状態で、酒の追加もできやしない。  参加費分の酒は飲みたかったが、この女を突き飛ばしていくほどの熱意もない。弄んでいた空のグラスをテーブルに置いて、背もたれに身体を預けた。  俺の容姿は異性を惹きつけるものだと思う。化粧で誤魔化している女より肌は透き通っているし、切れ長な瞳は理知的な印象を与える。  背も平均より上回り、黒い髪も水を含んでいるように触り心地がいい。  全部、関係を持った女たちから並べ立てられたものだが、あながち間違っていないだろう。  だからこの女も、俺を落とすにはどうしたらいいか計算しているはずだ。話題をあれこれと変え、俺の反応を窺っている。  よく回る舌だと関心したが、女の話は右から左に流れ、俺の中に留まるものは何一つない。甘ったるい香水が自分のスーツに移らないか、それだけが気になった。  ひじきのような睫毛がばさばさと音をたて、不自然な瞬きを繰り返している。どこぞの本に書いてあるモテテクとやらを実践しているのだろうか。  努力は認めるが、俺の琴線に触れない。こんなぎらぎらした女と関係持つわけないだろ、と心の中で舌を出した。  確かに下半身が緩いことは認めるが、それでもポリシーがあった。  化粧が濃くて自己中心的な女とは絶対に関係をもたない、という信念の元セックスに興じる。  大抵そういう女は一度でも関係をもてば、彼女面して干渉してくる。  こっちが冷たくあしらえば、被害者のように泣いて喚いて離して貰えなくなるのは、過去に何度も経験してきていた。  だから俺はフラットな関係を持てそうな奴を選んできている。お互い執拗以上に干渉せず、その場で終わるような手頃な女がいい。もちろんこいつは除外だ。  女の話にも聞き飽きて、俺は会場内を見渡した。披露宴から来ている人も多いだけあって、誰も彼も普段とは違う装いをしている。  髪をアップで纏め、ワンピースドレスで肩を出している人も多い。余所行きの化粧もすましていて悪くない。  上座で座っている新郎新婦の周りに集まって、写真撮影をしている集団が目に入った。職場のメンバーでないから学生時代の友人なのだろう。目に涙を溜め「おめでとう」「お幸せにね」と繰り返していた。  男女合わせて五十人はいそうなのに、ざっとみて好みの女はいなそうだ。せっかく二次会にまで出席したというのに、不発で終わりそうだ。  ふと正面に向き直ると、一人の男と視線がぶつかった。  大きな身体を丸くし、顔の前で指を組んでいる。じっと突き刺さるような視線は俺を見つめたまま微動だにしない。  俺と目が合っているというのに、男は外す素振りもない。ただ一心に俺の奥まで探ろうとしているように感じた。何をそんなに必死になっているか興味が湧いた。  尚もマシンガンのように話し続ける女から離れ、男の傍に寄った。  俺が近付くと、今頃気付いたのか驚いたように目線が外された。  近くでみると、この男も容姿も人目を引いた。色素の薄い髪が短く切り揃えられ、その下にある双眸は鋭く研ぎ澄まされている。  スーツの上からでもわかる筋肉のつきかたと、日に焼けた肌が男らしく俺とは正反対だ。ひょろりと細長い俺に対し、男は巨木のような頑丈さを感じた。  「ここ座ってもいいか?」  「……どうぞ」  「よっこいしょ。はあ疲れた」  女から解放され、やっとまともな空気が吸える。腕が不自然に固められていたせいで肩も凝っていた。  軽く解し、深呼吸をすると僅かにスーツから女の香水が匂った。くそ、と思わず声が漏れた。帰ったらすぐにクリーニングに出そう。  俺が離れたことがよっぽどショックだったのか、女はこちらを見たまま固まってしまった。  笑顔で手を振ってやると、女は目くじらをたてて出口へと向かった。そんな簡単に俺は落とせないっつーの。  「彼女、いいんですか?」  「名前も知らない女だし、どうでもいい」  「はあ」  吐き捨てるような言葉に男は曖昧な返事をした。騒がしい会場の中で蚊を放ったようなか細い声だが、芯のあるはっきりとした音だった。  男は大きな体躯をますます小さく纏め、グラスを何度も持ち直していた。見た目に反して気が小さい男なのかもしれない。  だったらあの食い入るような眼差しは何だったのだろう。  「なんで俺のこと見てたんだ?」  びくり、と男の肩が大袈裟に跳ねた。俺が近付いた理由もわかっていそうなものだが、その様子から想像すらしていなかったらしい。  「えっと、その」  「怒らないから言ってみ?」  男は俺の方を見向きもせず、足元に視線を落とした。彫りの深い横顔を眺めていると、意を決したように口を開いた。  「綺麗だなと思って」  「俺が?」  「はい」  もじもじと身体を揺らし始めたが、男の声ははっきりとしている。  「あなたの顔は完璧な黄金比でできています。今までそんな人に会ったことがなかったので、つい見惚れてしまいました」  「……それはどうも」  同性に褒められて嬉しくもないが、男は言い切ったことに満足したのか薄らと顔を綻ばせた。そこ笑うとこ違うだろ、と内心で突っ込んでおく。  変な奴だとは思うが、不思議と嫌悪感はない。パーティー会場という非現実の空間マジックとでもいうか、この男に興味が湧いた。  これが平時だったら見向きもしないタイプだということは、気付かないふりをする。  「なあ、外で飲み直さないか?」  男は目を白黒とさせ、俺の顔をじっと見つめた。このまま視線を逸らしたら負けるような気がして、至近距離で見返す。男の奥二重の目蓋に陰影が濃く映っていた。  「……いいんですか?」  「このままいてもつまんねえし。いい加減、この空気にもうんざりしてきた」  「俺も苦手です」  「決まり。じゃあ行こうぜ」  顎で促すと、男は神妙に頷いてから立ち上がった。  途中退出することを司会に伝え、俺たちは会場を後にした。

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