6 / 9

第6話 Honey, Did You Go?

夢のような3連休だった。 透は明日から出社で、しかも長引いた出張のせいで業務が溜まっているらしい。 食事を用意しておくからと、どんなに遅くなっても店に寄るよう約束させ、僕はしぶしぶ透を家に送り届けた。 マンション前に車を停めて、少しだけキスを交わす。 今までで、一番帰したくない夜だった。 エントランスに消える透を見届け、その足でクリスの店へ向かった。 透と連絡がとれなくなってからの僕を親身になって心配してくれていたから、突然平日に店を訪れた僕を見るなり、クリスは不安気な顔を作った。 「ダイジョウブ?」 「ああ。心配かけた。透が、戻ってきたよ」 音信不通事件の理由を説明し終わると、クリスの顔に安堵が広がる。「怪我がなくて本当によかった」 僕も深く頷いた。 「それとは別に……とりあえず一番良いシャンパンを」 注文と僕の顔を見て、この古い友人はすぐに思い当たったようだ。今夜ばかりはポーカーフェイスではいられない。 「まさか!全部話せよ!」と僕につられたのか満面の笑みだ。 クリスは上機嫌になり、踊るような滑らかさでシャンパンをグラスに注ぎカウンターから出てくると隣に腰掛けた。今夜は友人として共に飲んでくれるのだろう。 僕はスツールの上で軽く居住まいを正した。クリスはだれよりも早く、僕と透のことを知る権利がある。 「合鍵を交換して……キスをした。信じられないだろ?透から告白してくれたんだ」 「おめでとう。心から」 クリスの祝辞に合わせて僕らはそれぞれのシャンパングラスを掲げた。 一口飲んで、それがありえないほど良いものだとわかった。尋ねても頑なにボトルを見せてくれないが。 「まさかヴィンテージか?」 「できたての恋人のために半分残しておきなよ」 「あまり驚かないんだな」 「トールがあんたに好意を寄せているのなんて、一目瞭然だったでしょ」 「そこまで自惚れちゃいねえよ」 「おでこにキスされただけで耳まで真っ赤にしてたのに気付かなかった?こっちは今か今かとジリジリ待ってた」 「起こり得ないと思ってたからな……再会できただけでも、まず奇跡だというのに」 「無神論者で奇跡なんて信じてないくせに」 「これを機会に信じてもいい。ああ、こんな……夢じゃないだろうな」 「つねって欲しい?」 「やめろ、痛くなかったらどうすんだよ」 「連れて来てよ、ヒューゴのあることないこと話したいから。どうせ自分の話はしてないんでしょ」 「お互い、性格以外はあまり知らない。でも、透が言ったんだ。『これから何十年もある』って。まるで当然のような口調で。分かるか?それを聞いた僕がどれだけ舞い上がったか。すぐに、僕の気持ちは真剣だと伝えたよ」 「北欧の憂鬱って呼ばれてるあんたがノロケるタイプだったなんて」 「そのニックネーム付けたのお前だろ」 「本当はうるさいくらい喋るんだけどね。なかなか本性を見せないから」 「意識して使い分けているわけじゃない」 「そっちの方がたちが悪いっつの。で、キスだけ?」 痛いところを点かれて、僕はしばし沈黙した。 透の気持ちを知った日の自分の衝動は後悔でしかなかった。なによりも大切にしたいのに。 「告白してくれた時に、少し怖がらせた、と思う」 クリスは小さくフンと鼻を鳴らすだけで詳しく聞いてこなかった。 「彼はなんて?」 「……嫌じゃなかった、とは。きっと僕を責めたくなくてそう言ったんだろう」 「本気?」クリスは眉を思いっきりひそめて語尾を高く上げて言った。「トールが言ったことは真実じゃないかな。コッチ側として言わせて貰えば……あんたが持ってる支配的な資質はね、神に与えられたものよ。ボクには一切効果がないけど」 「知ってる。でも分かるだろ?僕らより繊細に見えるし、しかも透は男とは未経験だ。どこで拒否されてもおかしくない……怖くないと言えば嘘になる」 「また10年掛ける気じゃないでしょうね」 再び何も言えなくなった僕に、ハァ、とクリスは大げさにため息をついてみせ、僕をフルネームで呼んだ。 僕の苗字を正しく発音することをとっくに諦めているクリスだが、それでもフルネームで呼ばれると背筋が伸びる。子供時分からの習慣だ。 「トールの望みをよく聞き出すべき。そして叶えてあげられるのは自分だけだと自覚しなさい。忘れないで。ボクらは、どんなに辛くても、好きな男を受け入れること自体に喜びを見出すことができる」 「……覚えておく」 「あの陸上ボーイがあんなジューシーな大人になってるなんてね。前に連れて来た時、何人か声掛けようとしてたでしょ」 「ああ、だからこの店からは遠ざけておくつもりだったんだ」 クリスはフッと短くタバコの煙を吐き出し、「”ヒューゴの"って書いた紙を彼の背中に貼っとけば」と笑った。 「言い方考えろよ。まあ、近々一緒に来る。じゃ、そろそろ」 席を立って財布を出そうとする僕をクリスが制止した。 「この日のために用意してたんだ。このボトルはお祝い。本当に嬉しいよ。あの時のヒューゴの……」クリスはそう言いながら、突然アンバー色の瞳を涙でいっぱいにした。「想いが実るなんて。クソ、絶対泣かないって決めてたのに」 高校で、透を眺めていた僕にクリスが声をかけてきた時のことを思い出す。『あの子が好きなの?』と柔らかい声で。 あの執着や憧れが恋だと分かっていたのに、そんな自分自信を認められずにいた僕は、クリスの問いに何も答えられず……ただ他人の目に、自分が------彼を見ていた自分がそう映ったことが衝撃だった。 でもその後クリスが『ポールを持ってるコでしょ。すごくきれいだね』と何でもないように続けて。 その率直さにフッと力が抜けて。僕は『そうだ』と、初めて言葉で自分を肯定することができた。 つられて目頭が熱くなってしまい、慌ててハグで隠す。 クリスは無自覚で人を温かく救うことができる素晴らしい友だ。 ***** 昨夜、焚き火の傍で、僕に指を舐められながら身体を小さく震わせていた透は…… 「抱いて欲しい」と小さく、でも明確に答えをくれた。 高校時代は遠くで見つめることしかできなかった、憧れのキミ。 再会して深く知り合った今、自分に正直でいようとする力を持っていて、大人になった僕を再び夢中にさせる。 濃茶色の瞳に焚き火の炎が赤く映り込み、瞬きするたびにチラチラと燃える様子は、まるで透の内にある欲望を表しているかのようで…… 昨夜、コクリコクリと僕の唾液を飲み込みながら、甘く喘ぐ透を見ているだけで僕は射精しそうだった。 それなのに透は少し唇が離れようものなら「もっと」と鼻にかかる甘い声でねだり、舌を差し込んでくる。 熱い下半身を隠そうともせず、ゆっくりと僕に擦り付けながら。 普段の、勝気に僕をからかったりする透も愛おしくて堪らないが、今みたくなりふり構わず甘えてくる姿は、頭が焼き切れそうなほど僕を欲情させる。 いますぐ奥までペニスを突き立てて縦横無尽に身体を揺さぶりたくなる。 でもそんなことを何も知らない身体にできるわけもなく。 また、透の意思とは別に、身体に本能的な拒絶反応が出たら……思わず払い除けられたりすれば、僕はもう二度と透にふれることさえできなくなるだろう。 透には、逃げ道を残しておいてあげようと考えていた。少しずつ少しずつ進んで、そこで引き返せば、友達関係に戻れる所。 下手に拗れて縁が切れるなんて悲劇を、絶対に起こさせないために。 ———しかしそんな考えは、透の反応に吹き飛ばされてしまった。 ゆっくり舌を吸いながら乳首を刺激し始めると、透は激しく息を吸い込んで、全身をバネのように伸ばしたかと思うとそのまま固まってしまった。 透に触れて夢現だった僕は、その突然の反応が拒絶ではないかと急激に不安になった。 でも、恐る恐る顔を覗き込むと……透は少し微笑んでいるような表情のまま小さい喘ぎを漏らし続けていて。 キスと乳首への刺激だけでとてもいい場所へ行ったようだ。こんなこと…… いや、こんな身体してたのかよ…… いつか、透の中も柔らかくほぐしてあげることを想像しながら、今は代わりに口内をゆっくり舐め、両胸を少し強めにつまむ。 透は身体をさらにのけぞらせて小さく呻き、熱い下半身をひくりとさせる。 肌から立ち上るりんごのような香りがどんどん強くなって、僕の自制心をクラクラと揺るがせる。 あまり体力に影響してはいけないから、少しずつ刺激を弱めて、透の呼吸が落ち着き始めるのを待った。 口移しで水を飲ませてあげたら「おいしい」と呟いて、小さくあくびをした。身体はもう限界に違いない。 もう真夜中をだいぶ過ぎていて、自分が何時間も透の身体に夢中になっていたと知った。透も、自分がどれだけ長く感じ続けていたか気付いていないだろう。 僕はベッドサイドの時計を伏せて透から時間を隠し、『好きなだけ寝て』と額におやすみのキスをした。途端に、透からすうすうと寝息が聞こえ始める。 なにが逃げ道を与えるだ。僕は自分の考えを真っ白に打ち消した。 抱いて欲しいと真正面から伝えてくれた透の覚悟を、まだ信用しきれていなかったなんて愚かすぎる。 結局は自分が傷つきたくないだけの口上でしかないじゃないか。 言葉だけでなく、透は身体でもって僕への気持ちを伝えてくれた。 どこまでも優しく勇ましい透。 愛さずにはいられないよ。

ともだちにシェアしよう!