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第7話 いっしょにいこうよ

目覚めて最初に視界に入ったのはヒューゴの首元だ。エアコンが効きすぎた部屋で温かいものに包まれての目覚め、やっぱり最高。 身じろぎすると、「起きた……?」とヒューゴの声がじんわり染み、その甘さに思わず目をギュッと閉じてしまった。 金色の獣はふっと笑っておれの耳を唇でくすぐる。ああ、もうそれだけで…… 「まだ残ってる……?」 「ちょっと怖い、自分が」 「でも、すごく気持ちよさそうだったよ」 「うん」おれが即答すると、「good boy」とヒューゴはおれのこめかみに軽く口付ける。 「じゃあ……まだ夕方までたっぷり時間はあるし」 ヒューゴはおれの胸に顔を埋め、初めて、手を下半身へ伸ばした。 乳首をゆっくり舌で弾かれながら、掴んだ手で上下に扱かれると、すぐにおれはよく知る感覚に襲われる。 ヒューゴは動きを止めて、ジッとおれを見ると、「どうする?」と低く囁く。 その声があまりに色っぽくて、おれは我慢できずに、はやく、とねだるしかなかった。 ヒューゴはおれの瞼にキスをして「きれいだよ、透」と言ってくれる。 身体がまた仰け反って、ビクビク跳ねる。あ、出る…… その瞬間、ヒューゴはおれのをギュッと掴んで射精を止めてしまう。でも、絶頂間はそのままで…… さらに乳首に歯を立てられ、また強烈な快感がやってくる。それでも手を離してくれず。 何度も追い詰めれて、その度にいかせてくれと懇願した。なのに、このもどかしくて気が狂いそうな感じもすごく良くて。 終わりたくない。 もっとおれを壊して欲しい。 ヒューゴはそんな状態をまるで百も承知かのように、懇願を聞き入れてくれず、吸って、擦って、止めて、口付けて……おれのアタマとカラダを強引にコントロールする。 おれは絶頂手前の永遠に続く快楽の中でヒューゴのそれに手を伸ばした。 「透、僕はいいから……」 「一緒に……もう一人にしないで」 ヒューゴはおれの手を退かし下着を脱がせ、自分のものでおれを擦りつけてくる。その熱さと湿度で眩暈がしそうなほど興奮した。 「透ので、僕を濡らして」 おれは全身どこも離れないようヒューゴに抱きついて強烈な絶頂を迎えた。 二人の呼吸が整い始め、ヒューゴはおれを開放すると、小さく唸り声を上げてどさりと勢いよくマットレスに仰向けになった。 「……素晴らしい体験だった……透がすごく、きれいで」 そんな率直な感想を聞かされ、おれは照れるしかなかった。 「シャワー先に使っていいよ」 「まさか」とヒューゴは一笑する。「髪、洗ってあげる」 おれたちは、昼間の明るい風呂で、のんびりとお互いの身体を鑑賞した。 ヒューゴは、細長い指で丁寧にシャンプーを施してくれながら、自分よりずっと貧相な——とはいえ元陸上選手だし年齢の割に悪くはないつもりだが——おれの身体を手放しで褒め称える。夜とは真逆の健康的な言葉を選び、文字通り頭の先から足の先までだ。 陽の光が当たったヒューゴの身体はまるでローマ彫刻のようで、美術鑑賞をしている気分にさせる。ベッドの上のひりつくようないやらしさを微塵も感じさせない。 下腹部の堂々としたモノは身体のどの部位よりも圧倒的に美しく、これを好きに触っていいんだと思うとそのスリルに胸が踊るのは確かだが…… おれはなぜだか、二人の間に起こっていること、これから起こること、全てが正しくて、とても自然なことのように思えるんだ。 湯船に向かい合って座り、入り切らないお互いの足は縁に乗せる。ヒューゴがふくらはぎを揉んでくれ、じんわり疲労が溶け出していく。どうやら昨夜のおれは四肢をかなりこわばらせていたらしい。 今夜はムービーナイトで、諒子さんと彼氏が夕方頃にやってくる。面白そうなホラー映画を2本用意してくれているそうだ。 「邦画のホラー映画なんて久しぶり」 「ムービーナイトと言えば、当然ピザだな。二人が来る前に買いに行こう」とヒューゴが言うもんだから、おれは急激に空腹を自覚してしまった。 「おれもうペコペコ」 「だろうね。カフェにでも寄ってから、だな」 出かける前に、ぽわりと火照る身体と乱れたベッドをリセットしなければ。 幸いまだ時間はある。 *** 「ヒッ」 小さな悲鳴が聞こえふと諒子さんに目をやると、ヒューゴの膝の上で後ろ抱きにされて、手で顔を覆っていた。 後ろにいる兄も、眉間を寄せて不快そうな表情だ。 「怖いね……」 そう言い合って大きな兄妹は幼い子のように抱き合って視聴している。 おれが昔カナダに留学していた時にもムービーナイトはしょっちゅうで、仲の良かった女の子がおれの膝に乗ってきたことがあるのを思い出した。きっと、この兄妹も小さい頃からこうやって映画を見ているんだろう。 映画を見始めた時には、当然のようにヒューゴが隣にいて腕を肩に回して来たが、おれは飲み物を取りに行くのを理由にして離れた位置に座り直した。 ヒューゴの傍にいるとどうにも身体がふわふわと浮き立ってしまい、人目も無視して、抱きついてしまいそうになる。 いくら妹とその彼氏という近しい間とはいえ、そんな姿はまだ見せられないから。 諒子さんの彼氏であるケイは大学院生だ。彼の采配で無事にゾンビ映画は免れたものの、その替わりに「ちょっと古いけど観たかったやつ」と持ってきたレンタルDVDは80年代の日本のホラー2本だった。 1本目は呪われた廃墟で起こる惨劇で、製作総指揮が超有名監督だけあって、とてもいいホラー映画として最後までテンポよく楽しめた。 問題は2本目だ。こちらは有名なカルト作品で、おれはタイトルだけ既知だった。どんどん人間性を失っていく主人公の様子にゾッとさせられたし、なによりビジュアルが気持ち悪い。納涼という本来の目的にピッタリではあるが。 「止める?」 苦悶の表情がアップになったところでケイは一時停止ボタンを押し、諒子さんに尋ねる。本気ではなさそうだが。 「観るに決まってる。こういうの嫌いじゃない」 そう宣言する諒子さんを、兄はギュッと抱きしめた。諒子さんは本当にB級好きだな。 「お兄さんの方が怖がってるんじゃない?」とピザを取りながらからかうと、ヒューゴは「日本のホラー映画は精神にくる」と苦い顔をした。 言いたいことは分からなくもない。 映画は救いようのない結末を迎え、不穏な音楽に乗せて、TV画面にスタッフロールが流れる。 「はー、面白かった」とめいめいで言い、一息つく。 定期的に、こういう集まりがあってもいいなと思う。みんな映画が好きだし、自分では選ばない作品に出会える。 ヒューゴはすっかり氷の溶けたグラスをトレイに回収しながら、「この後、気分転換にみんなでクリスのところへ行かないか?」と提案した。 確かに、後味のいい映画じゃなかったからな。 全員で賛成し、すぐにヒューゴは携帯からクリスにメッセージを送った。 「そう言えばさ、スウェーデンにも怪談話ってあるの?」 「まあ、ホーンテッドハウスとか、ありきたりなのは」と諒子さんが答えた。「日本の話は湿度が高いけれど、欧米はカラッとした怖さだね。ケイ、何か怖い話持ってる?」 「俺、一個ある。今まで封印していたけど」 思わぬ告白に、おれたち3人はソファから身を乗り出した。 「数年前の真冬の話なんだけど。当時、片思いしてた相手が家に遊びにきてくれることになって、鍋でもしようって話でさ。実は、その日に告白するつもりだった。でも、その前に会話がこじれちゃって、よりによって、一人で帰してしまったんだ。 もうかなり遅い時間でさ……。終電も終わってるし、外は真っ暗で。自分の情けなさに呆然となった。 急いで家を出て、近くのコンビニで彼女に追いついたんだ。でも、家まで送らせて欲しいと頼んでも、頑なに断るんだ。『迎えがきてくれるの』って。 夜中にすぐに迎えに来るのなんて彼氏か親くらいのもんじゃん?でもご両親とは離れていることを知ってたから、絶対彼氏じゃん?で、見てやろうと。それで諦めもつくかもしれないって思ってさ。 しばらくして、濃紺の車がスーッとコンビニの前に止まって……出てきたのが背が2mくらいある超絶美形の男よ。暗闇でもわかるくらいサラサラの金髪のロングヘアをなびかせて、颯爽と。ゾッとしたよね、こいつに勝つのは無理だと思った」 まあ、恋敵だとしたら確かに絶望するよな。 「そしたらさ、その男がふとこっちに気がついて、目が合ったんだ。しまった!と思ったけどもう遅くて、大股でドカドカ俺の方に向かってくるから、俺マジで殴られるかと思って」 「2mも無い」ヒューゴが不満げに口を挟む。 「身構えていたら『ケイだろう!』ってものすごい勢いでハグされてさ、そのまま車に乗せられてガイジンばっかりのバーに連行された。日本の店より酒の配合が多いから、カクテル数杯で酔い潰れた俺は、こいつの肩に抱えられて、まるで荷物みたいに運ばれて帰りました。以上が俺の恐怖体験」 「に、見せかけた惚気だと思う」おれがそうツッコむとケイは声を上げて笑った。「ところで、透さんとヒューゴはどう?いつから付き合ってるの?」 「まだ付き合ってないんだよ。口説いてる最中」 ヒューゴはそう答えながらいきなりおれの肩に腕を回して抱き寄せ、軽く髪にキスをした。逃げられず、そんな軽いスキンシップだけでぞくりと背筋が震えた。 昨夜、身体でも口説かれたところだ。 「ああ、そういうこと」ケイはすぐに納得したようだ。「透さん、俺もね、付き合おうって言ったら、『知り合って間もないのに?』って返事が帰ってきて、振られたかと思ったよ」 「異文化交流を楽しもうかと思って。別に焦らしてるとかそういうのは一切無い」 後半はヒューゴに向けて言った。 「その方がオフィシャルな感じがすると俺は思ったよ」 「だよな。ま、色々いいタイミングで。まだ2週間しか経ってないからな、おれから告白して」 「えっ!?透さんからなの?」ケイは飲みかけのワインを零しそうなほど驚いた。 「そうだよ。おれ、堪え性がないから」 「先を越された」とヒューゴが反応する。「どう伝えようか、考えている間に」 「13年分だものね。……最初に透くんがお店に来た日の夜、ヒューがうちに突然寄ったの覚えてる?」 「言うなよ」 すぐさま制止する兄を完全に無視して妹は続けた。 「ドアを開けるなり飛び込んできて『信じられない、奇跡だ、どうしよう』って色んな国の言葉で捲し立てながら、最終的に私を抱きしめて『連絡先聞けなかった』って泣いたのよ」 たしか最初に店を訪れたときも、翌日も、一貫して冷静でクールだったのに、その実そんなことになっていたなんて。愛しくなってヒューゴの頭を撫でると、不満げだった顔を解いて満足そうに目を細める。 「ヒューゴって意外にかわいいところがある」 「でしょ」と諒子さんも優しく兄を見つめている。「それにしても、透くんが無事で本当に良かった。連絡が取れなかった間、本当にもうどうしようもないほど落ち込んでて」 「諒子さんにも迷惑かけた。バイトもあるのに連絡できなくて、本当に反省してる」 「ううん。元はといえばヒューゴのせい。友達なら、出張くらいで連絡しなくても当然だもの。それにインドでしょう?予定通りに行かないよ。でも透くんの性格を考えると、物理的に連絡できないんだろうと確信はしてた。入院とか、もっと最悪な事態まで考えたよ」 「それで俺が職場に連絡してみようかと相談してたんだ」とケイが言う。「諒子さんもヒューゴも、日本語はよくできるけど、何かイレギュラーな事態になった時に誤魔化しがきかないだろうと思って。俺なら何なりと対応しようがあるし」 「そんな話までしていたのか」とヒューゴが目を見開く。 「そうよ。日本に引っ越す前に、パパに言われたの。もし、ヒューが日本であの陸上の子と再会できたとしても辛い結果になるかもしれない。会わないままのほうがよかったと後悔するかもしれない。そうなったら支えてやってくれって。だから早く……」 それから諒子さんはスウェーデン語に切り替えた。おそらく無意識の行動だろう。その時の状況を思い出しながら話しているようだ。 おれは、久しぶりに自分たちの言葉で会話をしている兄妹を眺めていた。最近ではすっかりおれの前では日本語しか話さないから。 時折相槌をはさみながら、諒子さんの話をじっと聞いている様子は、まるで姉と弟かのようだった。 おれにも姉はいるから、こんなふうにこんこんと説いている姿に覚えがある。もっともこちらは恋愛相談などする間柄ではないから、もっと帰省しろとか、そういうありきたりなことで。 ヒューゴと諒子さんは血の繋がりなど関係なくれっきとした兄妹だが、そのいい距離感はなんでも相談できる親友に近いのかもしれない。それに、恋愛事はたいてい女性の方がアドバイス上手だ。 「来年の夏?俺も行っていい?」 突然ケイがおれに問いかけてきた。2人の会話を聞き取ったらしい。 「透は10日間くらいしか休めないから、諒子たちはもっとゆっくりすればいい。ケイはどうせ夏休みだろ。うん。みんなで行こう」ヒューゴが代わりに答えてくれる。キャンプの帰りに話した、スウェーデンへの旅行の話だとすぐにわかった。 「そろそろタクシーを呼ぼうか。混み始める前に行きたい」 「……透さんの前だとヒューゴが大人しくてびっくりしてる」ケイが、アプリでタクシーを呼んでいるヒューゴを横目に言う。 「えっそうなの?」 「私もびっくりした。家族や友達といるヒューゴしか知らなかったんだなって」と諒子さんも便乗する。 「もういいだろ。これからクリスにも色々言われると思うと行く気が失せてくる」 ヒューゴは眉間に指を当てて苦悩の表情をしてみせた。 「間違いなく相当飲まされるから、透さん、覚悟しておいて」ケイが同情した目を向けてくる。 「ああ、そうだ。透の背中に貼る紙を用意しないと……」いきなりヒューゴが奇妙なことを言い出し、諒子さんが吹き出した。 「それが原因で振られるぞ」とケイがヒューゴを指差して大笑いしている。 一体、なんの話ですか…… 「タクシーが到着した。降りるぞ」 ヒューゴの掛け声でおれたちはぞろぞろとマンションを出る。 大きい男は助手席に座らせたからいいとしても、一番細身の諒子さんを真ん中に、大人3人は後部座席をぎゅうぎゅうにしながら駅前に向かった。 店内に入ると、クリスがカウンターから大声でなにか叫びながら飛び出してきて、おれをギュッと抱きしめた。 「絶対にまた会えると思ってた!」 ハグを返しながら、おれは3週間の音信不通事件についてここでも謝った。行きのタクシーの中でケイから聞いた話では、クリスも頻繁にヒューゴの様子を見に来ていたらしい。 「その必要はないわ。いい薬になったから。あれがなければ未だ『友達のままでいい』なんて言ってんでしょーよ」 クリスはヒューゴを一瞥し、声真似をして見せる。普段のハスキーヴォイスとは異なりなかなか低い声が出せるようだ。 「そういえば誕生日だったらしいね。透だけ今日はボクの奢り!じゃんじゃん飲んで」 「ありがとう。じゃ、桃のカクテルを」おれが遠慮なく頼むと、「特別にダブルにしてあげる」とクリスはウォッカのボトルを掴んだ。 「それ俺が潰れたやつ。透さん、気をつけて」とケイが忠告してくれる。 「桃をダブルにするってことよ!監視が付いてるから下手なことできないわ。ヒューゴからプレゼントは貰った?」 「うん」 ヒューゴは銅製のモスコミュールカップを贈ってくれた。店でおれ専用とするために、手作りのオーダーメイド品をわざわざ用意してくれて。 それと、お揃いのフレグランスも。『いつも僕を想って』とヒューゴが囁きながら付け方を実践してくれた。ほんの少しだけ、お腹につけるんだ。 「にやけてる」とクリスはおれにからかうような視線を投げ、「もう付き合い始めたの?」と続けた。 「いや」と即座にヒューゴが否定する。本日2回目の質問だ。「口説いてもいいという許可を貰っただけだ」 ハッ!とクリスは笑い飛ばし、「You idiot!いいわ、トールと話したいから、ちょっと変わって」 「なにかあったらすぐに呼べよ」 ヒューゴはそう言うとおれの頭をひと撫でしてから、入れ替わりにカウンターへ入る。カウンターに居る数人の客たちは常連らしく、『おまえの酒が飲みたかった』ようなことを言いながら歓声を上げていた。 クリスは隅にある2人がけのバーテーブルにおれをいざない、カウンターに背を向けるように座った。「OK、これで何でも話せる」といたずらっぽくニヤリとする。 「前に、ヒューゴと友達やめたらおいでって言ってたよね。あの時は意味が分からなかったけど、こういうことだったんだ」 「Yep」 「クリスも留学生だったんだね」 「これでも昔は選抜される程度には優秀だったのよ」 「今もでしょ?酒も商売も上手いってヒューゴが褒めてた」 「信じられない!あいつが褒めるなんて!!」 本当に仲がいいな、と微笑ましくなる。 「大会の映像を残してくれてありがとう」 「見たのね」 「うん。クリスが撮ったヒューゴ、表情も雰囲気も鮮烈だった。怖いくらいの美少年」 「あなたを見ているヒューゴがそういう顔をしてただけよ」 クリスは少し照れたように笑って謙遜する。 ヒューゴの髪を切った時にも思ったように、クリスは外見上の良さを引き出すテクニックを持っているに違いない。ロンドンでも人気の美容師だったんだろうな。 「それにしても引退してたなんて……。もう平気なの?」 「うん。ヒューゴがおれの傷を触って、どうして傍にいられなかったんだろうって辛そうに言うんだ。おれすげぇ泣いて。初めて自分で、挫折を受け入れられたと思う」 そう、とクリスは安心したようにため息をついた。「報われたのね」 「おれ、本当に学内のことに疎かったんだなあ。ヒューゴ、目立ってたでしょ」 「うん。ボクらヨーロッパ組の間ですらね。いつも少し暗い顔で、何も興味なさそうで。でも人当たりは悪くないの。それが余計に壁を作ってたわ。”北欧の憂鬱”ってニックネーム付いてたくらいよ」 良いこと聞いたな。今度呼んでやろう。 「どうやって友達になったの?」 「放課後の日本語クラス。ヒューゴはいつもグランドに釘付けで、ぜんっぜん授業聞いてないの。日本語ネイティブだってこっちは知らないから、よくいる ”顔だけ良いバカ” なんだろうと思ってたわ」 クリスは両手の人差し指と中指を曲げてダブルクォーテーションマークを作った。 「でも毎日授業が終わってからも、教室に残って外を見てるのよ。だから、よほど面白いものがあるのかと気になって覗き込んだら……陸上の練習しか見えなくて。あ、もしかしてって。ピンときたのよね。 たしか……『好きなの?』ってトールを指さしてボクが声を掛けたのがきっかけ。ヒューゴ、ものすごい驚いてたわ」 「声かけてくれればよかったのに」 今さらながら、言わずにはいられなかった。 「うーん。当時のヒューゴは自分の感情を上手に理解したり認識できてなかったんだと思う。ただの憧れじゃないって気付いていたんでしょ。そんな自分が、健全で、ピカピカに輝いているような人に声をかけていいとは思えなかったんじゃないかしらね」 「おれ、この街に戻ってきてよかった。運命とか信じてないけど、奇跡はあるのかもしれない」 「同じようなことを言うのね。……あいつのこと、好き?」 「うん、すごく」 「ありがと、トール。初恋を実らせるなんて、誠実なあいつらしいわ」 「やっぱりそうなんだ」 「性格だろうけど、潔癖症なくらい相手を選ぶね。それに、ヒューゴはお母さんの実家でお店やってるでしょ?ボクたちガイジンは日本人よりも素行を良くしていないと目立つの。万が一揉めて近所の噂になったら、困るのは諒子とヒューゴのママよ」 「店でもよく連絡先貰ってるけど、すぐ捨てるんだよな」 「ここでも似たようなもの。まあモテるというより……一方的に惑わされる人がいる。あいつ、北欧の騎士みたいな完璧な容姿と体型してるくせに、謙虚で、少し粗野で、バーテンダーなのに遊びもしない。魔物よアレは」 なるほど、北欧の騎士に魔物か。敵味方の両方になりえるんだな。 「で……」とクリスの目がキラリと鋭く光る。「ゲイじゃないトールがどう受け止めているか興味があるわ。ああ、もちろん話さなくてもいいよ」 「それなんだけど。おれさ、」グラスに残ったカクテルを飲み干し、おれは喉を潤した。完璧なオネエ口調の効果なのか、クリスには、なんでも聞いて貰えそうで。 「普通に女性とはできてたよ。でも積極的だったかというと疑問で……昔からアダルト系のモノも興味無いし、なんていうか、ずっと、何かに違和感があった気がする」 「例えば女性の裸を見ても?」 「なんとも思わない。でも、それは男でも同じ」 クリスの無言の相槌に促され、おれは続けた。 「でも……ヒューゴは別なんだよ。性別なんて本当に頭からすっぽり抜け落ちてて、ただ、手だけでも触れられるとおれの身体が反応するんだ。次第に、もっと触れ合いたいと思うようになって。で、もうこれは友達としては見られないなと察して告白した。こういうの初めてでさ、戸惑いはあるかな」 おれがそう言った瞬間に、クリスは、ずいっとスツールから身を乗り出してきた。 「触れ合いたいって……具体的に知ってる?」 「おれ、自分が何を求めているのか答えが知りたくてさ、色々調べたんだ。一番感情移入したのが……抱いて欲しいと思った。それで、誘い方とか分かんねーし、そのまま伝えたんだけど、いまいちヒューゴが消極的というか……いや、同意はしてくれたけど。知り合ってもう1年半だよ?しかもあいつからすれば10年以上だろ。もし、望まれてなかったらどうしよう」 「それは無い。ただ、これはボクの想像でしかないけど、仮定よ?もし途中で、やっぱり男は無理ってトールが拒絶したら、あいつ、どうなると思う?」 「それこそ無いよ」おれはハッキリと言い切った。 「そうね……、」とクリス仕切り直すように息をつくと、器用にタバコを巻きながらゆっくりと話しはじめた。「ある考古学者が、発掘調査のために行った遠い遠い国で、とてもキレイな宝物を見つけた」 「なんの話?」 「いいから聞いて。彼はその輝きに完全に魅入られてしまって……でも宝物はその国のもので、考古学者は触れることさえできずに自分の国へ帰る日が来た。 それでも忘れられなくて、何度か渡航して、でもあるはずの場所に宝物は無かった。誰に聞いても見つからなくて。 ……それから時が過ぎるうちに……時間は平等だけど残酷でしょ?考古学者の思い出は昇華されていった。執着は次第に薄れ、宝物に出会えたこと自体が人生の宝物なんだと思えるようになったの。 ところが、何年か一生懸命働いて真面目に暮らしていたある日、突然、考古学者の元にその宝物が送られてきたのよ。 魔法のような力が働いたとしか思えない彼は、その幸運を全宇宙に感謝したわ。 しかも宝物は記憶よりもっと輝いていて、彼は再び夢中になった。虜のように。 それからの考古学者は、毎日毎日宝物を胸に抱いて、どうか私の元から離れないでくれって祈る日々よ。 ……そんなに大切な宝物によ、自分のを突っ込んで精液出せる?」 「いきなり現実的になるのやめて」 「そういうことよ」 「でもさ、クリス聞いて」 なあに?と巻き終えたタバコに火を付けながらクリスが眉を上げる。 「宝物には少しひび割れがあって、それを埋められるのはその考古学者だけなんだ。直してもらって初めて、宝物は完全になれるんだよ。……とても自然なことなんだ。だから、その考古学者の元に届けられたに違いないよ」 おれが例え話に乗っかった上に力説したことが面白かったのか、クリスはプラチナに染めた短髪の頭を何度もなでながら爆笑している。「サイコー」とか言いながら。 「ひび割れだって?」 「そうじゃん」 「トールができることは、したいこと、してほしいこと、そのまま全部具体的に伝えてあげて。言葉で態度で、しつこいくらいに。あいつの頭が爆発しちゃうと思うけど」 「わかった」 「ま、意外にすぐだと思うわ。そんなに我慢できるほど聖人君主じゃないでしょ。時間の問題。でも、こっち側としては早くしてほしいわよね。慣れるのに何年かかると思ってんのかしら」 「何年!?」 「人によるけど。カラダのことで心配があれば何でも相談して?口は堅いわ」 長期プロジェクトか……なおさら早く開始して貰わないと……

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