2 / 57

第2話 あーん

 キミカゲはバレないように息を吐き、小さな身体を抱き上げる。 「よしよし。それじゃあ、ご飯にしよう。食べた後でいいんだけど、話していたら食べたくなってきたから、カステラ買いに行ってくれないかい? みっつ……リーン君が来るかもしれないから、よっつかな?」 「フリーは甘いもの好みませんから、みっつで良いですよ」 「そうだった。お米を使ったおやつを発明しないといけないね」  おやつの時間。フリーだけお茶ばっかり飲んでいるのが気になるようだ。フリーは気にしていないのだが、仲間外れにしているみたいで心が痛むと、キミカゲは嘆いている。  近くなった横顔に、ニケは苦笑を滲ませる。 「そんな気になさらずとも……」 「いやいや。ポン菓子やせんべいを与えても「これが、米?」みたいな顔をしていたじゃないか。もっと米米しいおやつでないと!」 「こ、米米しい……?」  聞き慣れない言葉に口を引きつらせながらも、翁作のお粥をよそっていく。 「……そろそろ、下ろしてください」 「あ、ごめん。あったかくて、つい」  この暑いのに? と信じられない思いで振り返る。キミカゲは汗ひとつかいていない。 「そんなまじまじ見ないで? 歳を取ると、暑さを感じにくくなるんだよ」  照れたように頬を掻くおじいちゃんを見ながらも、身体はせっせとお椀を並べていく。  では、この暑いのに彼が着込んでいるのはそのせいだというのか。 「翁……。夏の間くらいは白衣を着なくてもいいんじゃないですか?」 「んー? それはできないなぁ。私の戦闘服だからね」 「じゃあ。全裸に白衣で良いのでは?」 「それ私、変態だよねぇっ?」  飯を食うので割烹着を脱いでいく。キミカゲの脱いだものはすぐにニケが畳んで籠に仕舞う。一人前の小間使いのような働きに、キミカゲは感激して両手を合わせる。 「あああ。ニケ君、ずっとここにいてほしいよ」 「翁。ありがたいお言葉ですが、出した物はすぐに片す習慣をつけられたほうがいいですよ?」 「……」 「目を逸らさないでください!」  かつての汚部屋の惨状を思い浮かべれば分かるが、彼は出した物を元の場所に戻すのがえらく苦痛なようだ。さっき書物を仕舞えたのは奇跡かもしれない。こんなどうでもいいところで、奇跡を使わないでほしい。もっと必要な時のために溜めといてほしい。 「さ、ご飯食べちゃおうか~。朝一で診察があるし」  キミカゲは誤魔化すように白衣に袖を通す。ニケがきっちり洗って干しているので、シワひとつない白衣は着ていて気持ちがいい。  ニケはじとっと見つめたまま、座布団に腰を下ろした。  入院が必要な患者さんを寝かせておく部屋だったが、ニケたちが住み着いたことで調度品などが増え、すっかり生活感のある空間へと変貌を遂げた。  そんな部屋に、ニケはお粥をいれたお椀を持って入る。 「フリー。入るぞ」  返事を待たずに戸を開ければ、驚いたような金緑の瞳が向けられる。 「ニケ……。今日キミカゲさん、自力で起きてったよ」 「ああ、知ってる。さっきびっくりした」  ふたりは至極真面目な顔で、ごくりと唾を飲む。 「これは患者さんには教えない方がいいね」  同意を示すように頷くニケ。 「天変地異の前触れかと騒ぎになるかもしれない。そうなると神使殿に迷惑がかかる。この街の人はなにかあれば神使殿に頼ってしまうきらいがあるし、これは二人だけの内緒にすべきだ」  戸が開いているせいで全部聞こえているキミカゲが、羞恥心から炎樹(えんじゅ)の机に突っ伏している。  ニケたちの私物も増えてきたせいで、三人寝るときに机があると狭い。なので、診察室の方に移動させたのだ。炎樹製は信じられないくらい高価な品なのだが、キミカゲにとってはちょっと使いづらい形をしたただの机。薬研(やげん)や薬草類でさっそく散らかしている。  布団の上であぐらをかくフリーは、横になりやすい寝間着姿だ。  鬼を退けるのに無茶をした彼は、何日も眠り続けた。昏睡状態だった。  覚醒させた魔九来来(まくらら)を使った時の記憶はないようだが、その代償は凄まじいものだった。  フリーが意識を取り戻し、喜んだのも束の間。  上下左右が分からなくなるほどの目まいと頭痛、吐き気に悩まされ、彼は目が覚めてから数日ろくに飯も食えなかった。  こうして会話できるようになったのは、炎天の月に差し掛かろうという時だ。どれだけ僕に心配かけるんだと、ニケにどつかれていた。  ニケは匙でお粥を掬うと、息を吹きかけて冷ましてやる。それをフリーの口元へ運ぶ。 「ほれ。あーん」 「あ、あーん」  口を開けると、やわらかい米が押し込まれる。  飯が食えるようになると、ニケが率先してご飯を食べさせてくれた。彼はこの「あーん」とやらにハマったらしい。楽しそうに毎回してくれる。随分なサービスだ。純粋に嬉しい。嬉しいのだが少し恥ずかしい。自分で食べるよと言ったら「は?」と感情のこもらない瞳で見つめ返されたので、心を無にしている。  むちゃむちゃと米を咀嚼する。 「美味しいよ。キミカゲさんのお粥」 「お前さんには梅干しをつけてくれたぞ。喜んで食うがいい」 「う、うん……」  なんだろう。梅干しを見るニケの目が怖い。  甲斐甲斐しく世話を焼きながら、ニケは彼を盗み見る。  全快していないうえに二週間以上陽の光を浴びていないフリーは、顔色が悪い。 (なにか気晴らしになるものはないだろうか?)  この数日。仕事にも行けない彼は、貪る勢いでキミカゲの書物を読み漁っている。前回のときも「退屈で死ぬ」と言っていたし。こやつは暇な時間が嫌いなようだ。労働意欲があるのはいいことだが、今はおとなしくしていてほしい。しかし書物を読み切ってしまえば、うろうろとさ迷いだすかもしれなかった。 「ごちそうさま」  手を合わせる青年の横で、空になったお椀を見つめる。 (暇つぶしになるようなものか……。絵本で喜ぶ歳でもないだろうし)  と思ったが、案外喜ぶかもしれない。フリーの精神年齢は低めだし、軟禁状態だったらしい彼は知らないことだらけだ。幼児が面白がるようなものでも、十分楽しめるかもしれない。 (それなら人族が出てこないお話にしないとな)  自分の種族が悪し様に書かれている内容など、読んでも不快なだけだろう。  なにがいいかと悩んでいると、急に頬を押された。見ると、真剣な顔のフリーが拳で突いている。拳と言っても振れる程度の力なので、ふよふよという音しかしない。 「……」 「あ、ごめん! 触りたくなっちゃって」 「それはいいが、なんで拳?」 「うう。だって爪、伸びちゃってるし」  二週間も放置されていた彼の爪は、確かに伸びている。だからといってそれで突かれても怪我などしないが、フリー的には許せないのだろう。  ぽよぽよと、なんだか力の抜ける音が響く。 「ああ~。やわらかああああい。幸せやあ……はあはあ」  天に召されそうな表情。野郎ひとりだけ幸せそうな顔をしているのに腹が立ち、ニケは彼の膝にどすんと腰掛けた。 「ニケ?」 「抱っこ」  拗ねた顔で注文すると、背後から伸びてきた腕が優しく抱きしめてくれる。 「かんわいい……」 「ふんっ」  ぱたぱたと犬尾が揺れる。ご満悦な表情で白い腕に頬ずりしていると、フリーが空気読めない話題を振ってきた。

ともだちにシェアしよう!