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第2話 あーん
キミカゲはバレないように息を吐き、小さな身体を抱き上げる。
「よしよし。それじゃあ、ご飯にしよう。食べた後でいいんだけど、話していたら食べたくなってきたから、カステラ買いに行ってくれないかい? みっつ……リーン君が来るかもしれないから、よっつかな?」
「フリーは甘いもの好みませんから、みっつで良いですよ」
「そうだった。お米を使ったおやつを発明しないといけないね」
おやつの時間。フリーだけお茶ばっかり飲んでいるのが気になるようだ。フリーは気にしていないのだが、仲間外れにしているみたいで心が痛むと、キミカゲは嘆いている。
近くなった横顔に、ニケは苦笑を滲ませる。
「そんな気になさらずとも……」
「いやいや。ポン菓子やせんべいを与えても「これが、米?」みたいな顔をしていたじゃないか。もっと米米しいおやつでないと!」
「こ、米米しい……?」
聞き慣れない言葉に口を引きつらせながらも、翁作のお粥をよそっていく。
「……そろそろ、下ろしてください」
「あ、ごめん。あったかくて、つい」
この暑いのに? と信じられない思いで振り返る。キミカゲは汗ひとつかいていない。
「そんなまじまじ見ないで? 歳を取ると、暑さを感じにくくなるんだよ」
照れたように頬を掻くおじいちゃんを見ながらも、身体はせっせとお椀を並べていく。
では、この暑いのに彼が着込んでいるのはそのせいだというのか。
「翁……。夏の間くらいは白衣を着なくてもいいんじゃないですか?」
「んー? それはできないなぁ。私の戦闘服だからね」
「じゃあ。全裸に白衣で良いのでは?」
「それ私、変態だよねぇっ?」
飯を食うので割烹着を脱いでいく。キミカゲの脱いだものはすぐにニケが畳んで籠に仕舞う。一人前の小間使いのような働きに、キミカゲは感激して両手を合わせる。
「あああ。ニケ君、ずっとここにいてほしいよ」
「翁。ありがたいお言葉ですが、出した物はすぐに片す習慣をつけられたほうがいいですよ?」
「……」
「目を逸らさないでください!」
かつての汚部屋の惨状を思い浮かべれば分かるが、彼は出した物を元の場所に戻すのがえらく苦痛なようだ。さっき書物を仕舞えたのは奇跡かもしれない。こんなどうでもいいところで、奇跡を使わないでほしい。もっと必要な時のために溜めといてほしい。
「さ、ご飯食べちゃおうか~。朝一で診察があるし」
キミカゲは誤魔化すように白衣に袖を通す。ニケがきっちり洗って干しているので、シワひとつない白衣は着ていて気持ちがいい。
ニケはじとっと見つめたまま、座布団に腰を下ろした。
入院が必要な患者さんを寝かせておく部屋だったが、ニケたちが住み着いたことで調度品などが増え、すっかり生活感のある空間へと変貌を遂げた。
そんな部屋に、ニケはお粥をいれたお椀を持って入る。
「フリー。入るぞ」
返事を待たずに戸を開ければ、驚いたような金緑の瞳が向けられる。
「ニケ……。今日キミカゲさん、自力で起きてったよ」
「ああ、知ってる。さっきびっくりした」
ふたりは至極真面目な顔で、ごくりと唾を飲む。
「これは患者さんには教えない方がいいね」
同意を示すように頷くニケ。
「天変地異の前触れかと騒ぎになるかもしれない。そうなると神使殿に迷惑がかかる。この街の人はなにかあれば神使殿に頼ってしまうきらいがあるし、これは二人だけの内緒にすべきだ」
戸が開いているせいで全部聞こえているキミカゲが、羞恥心から炎樹(えんじゅ)の机に突っ伏している。
ニケたちの私物も増えてきたせいで、三人寝るときに机があると狭い。なので、診察室の方に移動させたのだ。炎樹製は信じられないくらい高価な品なのだが、キミカゲにとってはちょっと使いづらい形をしたただの机。薬研(やげん)や薬草類でさっそく散らかしている。
布団の上であぐらをかくフリーは、横になりやすい寝間着姿だ。
鬼を退けるのに無茶をした彼は、何日も眠り続けた。昏睡状態だった。
覚醒させた魔九来来(まくらら)を使った時の記憶はないようだが、その代償は凄まじいものだった。
フリーが意識を取り戻し、喜んだのも束の間。
上下左右が分からなくなるほどの目まいと頭痛、吐き気に悩まされ、彼は目が覚めてから数日ろくに飯も食えなかった。
こうして会話できるようになったのは、炎天の月に差し掛かろうという時だ。どれだけ僕に心配かけるんだと、ニケにどつかれていた。
ニケは匙でお粥を掬うと、息を吹きかけて冷ましてやる。それをフリーの口元へ運ぶ。
「ほれ。あーん」
「あ、あーん」
口を開けると、やわらかい米が押し込まれる。
飯が食えるようになると、ニケが率先してご飯を食べさせてくれた。彼はこの「あーん」とやらにハマったらしい。楽しそうに毎回してくれる。随分なサービスだ。純粋に嬉しい。嬉しいのだが少し恥ずかしい。自分で食べるよと言ったら「は?」と感情のこもらない瞳で見つめ返されたので、心を無にしている。
むちゃむちゃと米を咀嚼する。
「美味しいよ。キミカゲさんのお粥」
「お前さんには梅干しをつけてくれたぞ。喜んで食うがいい」
「う、うん……」
なんだろう。梅干しを見るニケの目が怖い。
甲斐甲斐しく世話を焼きながら、ニケは彼を盗み見る。
全快していないうえに二週間以上陽の光を浴びていないフリーは、顔色が悪い。
(なにか気晴らしになるものはないだろうか?)
この数日。仕事にも行けない彼は、貪る勢いでキミカゲの書物を読み漁っている。前回のときも「退屈で死ぬ」と言っていたし。こやつは暇な時間が嫌いなようだ。労働意欲があるのはいいことだが、今はおとなしくしていてほしい。しかし書物を読み切ってしまえば、うろうろとさ迷いだすかもしれなかった。
「ごちそうさま」
手を合わせる青年の横で、空になったお椀を見つめる。
(暇つぶしになるようなものか……。絵本で喜ぶ歳でもないだろうし)
と思ったが、案外喜ぶかもしれない。フリーの精神年齢は低めだし、軟禁状態だったらしい彼は知らないことだらけだ。幼児が面白がるようなものでも、十分楽しめるかもしれない。
(それなら人族が出てこないお話にしないとな)
自分の種族が悪し様に書かれている内容など、読んでも不快なだけだろう。
なにがいいかと悩んでいると、急に頬を押された。見ると、真剣な顔のフリーが拳で突いている。拳と言っても振れる程度の力なので、ふよふよという音しかしない。
「……」
「あ、ごめん! 触りたくなっちゃって」
「それはいいが、なんで拳?」
「うう。だって爪、伸びちゃってるし」
二週間も放置されていた彼の爪は、確かに伸びている。だからといってそれで突かれても怪我などしないが、フリー的には許せないのだろう。
ぽよぽよと、なんだか力の抜ける音が響く。
「ああ~。やわらかああああい。幸せやあ……はあはあ」
天に召されそうな表情。野郎ひとりだけ幸せそうな顔をしているのに腹が立ち、ニケは彼の膝にどすんと腰掛けた。
「ニケ?」
「抱っこ」
拗ねた顔で注文すると、背後から伸びてきた腕が優しく抱きしめてくれる。
「かんわいい……」
「ふんっ」
ぱたぱたと犬尾が揺れる。ご満悦な表情で白い腕に頬ずりしていると、フリーが空気読めない話題を振ってきた。
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