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第3話 居心地の悪い街
「そういえばさぁ。あの鬼の綺羅(きら)さん。見つかってないんだっけ?」
ムスッと半眼になる。
僕といるときに違うヒトの名前を出すなんて、と言いたいが、これは必要なことなので我慢してやる。それと綺羅を名前みたく言うな。
「まあ……な。見つかって、ない」
リーンがくすりばこで一泊したあとだ。朝を待ち、治安維持隊とアキチカが探し回ってくれた。維持隊は初め「本当に鬼を倒したのですか?」と疑っており――気持ちは分かる――まともに調査しようとしなかったが、遅れてやってきた神使の顔を見るなり別人のように働いてくれた。
それでも、鬼の死体は見つからなかった。
血は雨で流れてしまい、血痕からの追跡は不可能。破壊の跡だけが残され、土台だけ残して家がなくなった老夫婦には、「なんで僕が」とぼやきながらアキチカが修繕費を払っていた。
フリーはがっくしと肩を落とす。結んでいない髪が一房、ニケの鼻先に垂れ下がる。
「はあぁ……。殺してないって聞いてホッとしたけどさ。行方不明ってのが怖いよね」
「しっかり仕留めておけやと言いたいが、鬼を相手にして五体満足だっただけでも快挙だ。その点は褒めてやろう」
フリーの髪を掴み、くす玉の紐のように引っ張って遊ぶ。
慰めるような口調だったが、フリーは素直に喜べずそわそわと身体を揺する。ヒスイの他に警戒する相手が増えてしまった。何とも落ち着かない。
「あ、ありがとう……」
「お前さんがあんなになるなんて、やはり鬼は手ごわかったか?」
うーんと唸りながら、ニケの頬を摘まんだり離したりを繰り返す。
「そりゃあね。後半記憶ないけど、ニケと先輩を逃がした後、ぼっこぼこに殴られたし。勝てないかもと思っちゃったね」
正直、あんまり思い出したくない。死の一歩手前まで行ったのだ。やはり自分は弱いと、力不足を痛感してしまう。
「先輩を最初に攫おうとした、蛇っぽい人たちも、見つかってないの?」
「蛇乳(じゃにゅう)族な。見つかってないし、多分もうこの街にいない気がする」
「なんで?」
「あの手の輩は一か所に留まらないことが多い。留まっていたとしても、この街は居心地悪いだろう」
この街が居心地悪いとはどういうことだろうか、と首を傾けようとしたが、髪を掴まれているので傾けられなかった。
「いででっ……。そうなの? この街、いい街じゃないの?」
「僕らからすれば、な。でも、犯罪者や心になにかを抱えている者たちは別だ。神使のいる街など、魔物の住処以上に息をひそめて身を隠さねばならん。とっとと撤退した方が、気が楽だろう」
髪を放してほしくてニケの手にそっと触れるも、払いのけられてしまう。
しくしく泣くフリーにぷいっと顔を背け、この髪は自分のものだと言わんばかりに抱きしめる。
「アキチカさんって、そんなにすごい人なの?」
「すごいっていうか……まあ、すごいんだろうな」
紫枝鹿(しえだしか)族はたくさんいるが、神使には誰でもなれるわけではない。自称できる薬師や他の職業と違って――神使を「職業」で括っていいのかは謎だが――神使を名乗るには神に選ばれる必要がある。
「ほうほう?」
「なんせ僕らと神を繋ぐ、糸電話のような役割を担うんだ。神に選ばれるのは……五十年、百年か? まあ、それぐらいに一人、いるかいないかだ」
「へえ。紫枝鹿族だからって、絶対神使になれるわけではないってこと?」
当然だろう、とニケは頷く。
「過去には紫枝鹿族以外の神使もいたし。神使に選ばれるのが、紫枝鹿族が多いって話だ。ま、神から見れば、紫枝鹿族も他の種族も大差ないのだろうよ」
フリーはニケの黒髪をしゃらしゃらと弄ぶ。
「でもさ、それって。自称かどうか見分けられなくない?」
「……」
ニケは目だけを動かし、周囲を確認する。
「怖い話だからあんまり言いたくはないが……」
「?」
ぎゅっとフリーの着物を掴む。
「神使を自称した者は、三日以内に溶けて消える、んだと」
「溶けるの⁉」
吹き出すフリーに、真面目に聞けと手の甲で白い腕を叩く。
「事実だ。神の地雷らしい。自称した者は着物だけ残してどろどろの液状になった。翁に聞いても露骨に話を逸らされるから、溶けた者の詳細は知らん」
「へえ?」
ニケはこの「溶けた話」を聞いた時は震え上がったものだが、鈍いのか肝が据わっているのか、フリーの反応はあっさりしたものだった。
「ま、紫枝鹿族から神使が出れば一族総出で大喜びされるし、手元に置いておきたいと、各地の領主からも引っ張り蛸になる。いいことなんじゃないのか?」
神が見ている歩く監視カメラ(神使)がいれば、悪事を働きにくい。
むしろあえてこの街で人攫いをしようとした、その勇気は称えていいかもしれない。
(それだけ危険を冒しても、星影は金のなる木ってことなんだろうな……)
がらら……
と、そこで玄関の戸が開く音がした。ハッとしたニケが膝から下りる。
「無駄話が過ぎたな。あとで絵本を読んでやるから、お前さんはもうちょい休め」
カッコつけているが、喋りたかったのはニケの方だったりする。フリーの容態が落ち着くまでろくな会話もできなかったことで、甘えたい欲と鬱憤と話したいことが溜まっていたのだ。
フリーは寂しそうに口を尖らし、指を二本立てる。
「二冊は読んでくれる?」
「……」
幼児に絵本をねだる青年の図。
しかしニケは気を良くしたように頷く。
「二冊でも三冊でも」
読んでやろうと続けようとしたが、ここで言葉を遮るように玄関から元気な声がした。
「あっざーっす」
「ニケさーん? おられますか?」
がやがやと玄関の方が賑やかになっていく音がする。フリーと顔を見合わせて、仕方なさそうに前髪をかき上げる。
「……あー。絵本読んでやるから、大人しくしておくんだぞ?」
「はい」
フリーは小さく苦笑した。
ニケは弟にするように白い頭をぽんと叩くと、玄関の方へ歩いていく。
お椀を持って診察室に出ると、男性二名がキミカゲに叱られていた。
「くすりばこでは、静かにって、何度も言ったよね?」
「はい……」
「申し訳ないです」
美少女おじいちゃんに叱られて小さくなっているふたり。頼りない光景だがこのふたりこそ、キミカゲが治安維持隊に掛け合って用意してくれた護衛――ではなかった。護衛であることには違いないのだが、治安維持隊からの派遣ではない。
では、なんなのかというと。
ニケは数日前のことを思い出す。
フリーがようやく昏睡状態から覚めた頃だ。
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