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第4話 竜族

♦ 「来たぞ。伯父貴ィ!」  窓にガラスが嵌めてあれば全部割れていそうな大声を放ち、ひとりの男がくすりばこへ現れた。  (見た目)年齢は四十後半だろうか。きれいに切りそろえられた角刈りに、もみあげと合流するほどに蓄えられたおひげ。暑いのか上半身は裸で、汗だくの肉体を惜しげもなく披露している。  筋肉自慢はよく見かけるが、その男の肉体はただ大きいだけの彼らとはまるで違う。  まるで鍛えられた刀のよう。美しいまでに割れている。極限まで研ぎ澄まされた肉体には、雄々しさと美しさがあった。  ――まあ、この場にいたのは幼子とおじいちゃんだけなので、むさ苦しさに顔色を悪くしただけだったが。  首から手ぬぐいをかけた男は、キミカゲを見つけると白い歯を見せてニッと笑う。 「どうした? 顔色が悪いぞ! 死ぬにはまだ早いんじゃないのか! 派手な葬式にしてやるからな伯父貴ィ!」 「うぅっ」  いちいち叫ぶので、ニケは頭がキンキンした。耳を押さえてもなおうるさい。  おじいちゃんは薬の入った三段箱を持ち上げると、容赦なく男の頭に振り下ろした。  ごんっ! 「病院で大声出すやつは殺しても良いっていう法律を作るよう、アキチカに言っておかないといけないね」 「踏んでる! 伯父貴、踏んでるゥ!」  殴られて倒れた挙句頭を踏まれ、男はようやく声量を下げた。  家に上げてもらえず、男はたたき(靴を脱ぐ場所)で正座させられる。キミカゲは三段箱を置くと、ニケに向き直った。 「ごめんね。ニケ君。喧しくて」 「い、いえ。そちらの方は?」  キミカゲは馬鹿になった耳を叩きながら言う。 「この子はオキン。私の可愛い甥っ子でね。薄羽竜(うすばりゅう)族。本名はオンオーシャンマキスデン。羽の生えたトカゲだよ」 「ワシは傷ついたぞ伯父貴ィ!」  涙ぐむ甥っ子をなだめる。 「ちょっと口がスキーしただけだよ。トカゲだなんて思ってないって。どう見てもトカゲだなぁとは思ってるけど」 「伯父貴っ?」  どういうこと? と目を剥く甥に、悪戯っぽく笑う。 「くすくす。相変わらず可愛いねぇ、お前は」 「……はあ。勘弁してくれ。相変わらず愛情表現が意味不明だぜ。この妖怪ジジイ」  がしがしと頭を掻く甥に座布団を差し出すと、自分も胡坐をかいて座る。  ニケは目を見開いたまま、男と翁を交互に見た。 「え? 翁って竜族の方だったんですか?」  キミカゲの頭上に一瞬「?」が浮かぶも、すぐに「ああ」と言って手を叩く。 「ごめんごめん。ややこしいよね。ほら、オキン。ご挨拶なさい」  促され、オンオーシャンマキスデン――オキンは刀のように美しくも恐ろしい銀の瞳をニケに向けると、ぺこりと低頭した。竜に頭を下げられたニケは驚きで飛び上がる。 「挨拶が遅れたな。ワシのことはオキンと呼ぶがいい。気に入っているわけではないが、そのあだ名やめてと言っても耄碌ジジイの耳には届かなかったようでなァ!」 「ん?」 「ワシはキミカゲ殿の妹の子だが、血は繋がっていない。養子ゆえにな」  ニケも慌てては礼を返す。 「僕は赤犬族のニケ、じゃなくてニドルケと申します。は、はじめまして」  頭を下げたままニケはスンスンと小さな鼻を動かす。なにやら、竜以外のにおいもする。家の外からだ。  腕を組んだオキンが「うん!」と頷く。 「はははっ。愛らしいな。一体どこで誘拐してきたんだ伯父貴?」  オキンの少し尖った耳を引っ張る。 「アビーのお孫さんだよ。ヒトを誘拐常習犯みたいに言わない」 「はっはっは! すまんすまん。ワシの母はよく子どもを拾ってきたでな! 伯父貴にも似たような性格だからな」  頭痛を覚えたように額を押さえる。 「あの子(妹)は孤児(みなしご)を助ける自分に酔っているだけさ。だからすぐに異種族の大家族を作ってしまう」 「ああ。ワシには血の繋がらない兄弟姉妹がたくさんいるぞ」  いかにもそれが自慢と言うように、オキンは踏ん反り返る。  ふたりの会話についてけず、ニケは白衣の裾をきゅっと掴む。 「あ、ごめんね? いきなりこんなおっさんが入ってきたら驚くよね」 「呼ばれたから来たのに? ワシが悪いんか?」  悲し気に呟くオキンを無視して、よしよしと頭を撫でる。 「で? この子の護衛を頼んでおいたと思うんだけれど?」  オキンはやっとその話題になったかと、ニヤリと笑う。 「いくら伯父貴の頼みであっても、治安維持隊から人員は出せんとよ! 薄情なやつらよ。ま、予想通りでは、あるがな。主力を引き抜かれたばかりのこの街の維持隊に、そんな余裕があるわけない」  いったん言葉を区切り、キミカゲの反応を窺う。  おじいちゃんは落ち込むでもなく、話の続きを促す。 「ふむふむ。それで? ノコノコ手ぶらで来たってわけじゃ、ないんだろう?」  オキンは自身の膝を豪快に叩く。  風船が割れたような音がした。うるさそうに、ニケはぎゅっと耳を押さえる。 「その通りよ! どのみち今の維持隊は頼りない。だからワシの子分共を貸してやろう。最近入ったばかりでかなり若いが、なにかと使い勝手のいい奴らよ。魔物はちときついにしても、魔獣相手なら子ども一人抱えて逃げ切るだけの力はある!」  腕を組んで「どうだ。すごいだろう」と我が事のようにドヤっている。その憎たらしい笑顔が昔のまんまで、キミカゲは思わず笑みを滲ませる。 「そうかい、そうかい」  そこでオキンはすっと笑みを消すと、座布団から尻を離しキミカゲに詰め寄った。 「だがな? 他ならぬ伯父貴の頼みだ。なるべく聞いてはやる。が、タダというわけにはいかん? わかるだろう?」  互いの鼻がつきそうな距離で、獰猛な笑みを浮かべる。  ピラミッド(生態系)の頂点でヘソ天して寝ていられるほどの、最強種。薄羽竜は竜の中では比較的温厚な部類とはいえ、成竜ともなれば神に匹敵する力を持つ。あらゆる生命が恐れ、畏怖し、頭を垂れて付き従う種族の王。竜が欲した時点で、すべての生き物は命を差し出さねばならない。  ここにキミカゲがいなかったら、ニケは平静さを保ってはいられなかっただろう。口数が極端に少ないのも怯えているからだった。  ……と、このように、たいていのヒトはこれだけすごみを利かせると、怯んでくれるのだが―― 「もちろんだとも。良い子にはお小遣いをあげようね」  のほほんと頭部を撫でられてしまう。 「……子ども扱いはやめよ」  だはぁとため息をついて、その手をそっとどける。  取引時独特の緊迫した空気にしたいのだが、どうにもうまくいかない。この男の笑みが、母のそれと重なるからだろう。  親を失い、蹲ることしかできなかった惨めな幼竜(オキン)に、情けをかけてくれたあの女神。  オキンはもう成竜だ。小国くらいなら一日で滅ぼせるほどの立派な竜だ。竜に育てられたわけではないが、母の加護を受けその身体は大きく育ち、いまや薄羽竜トップのオスと頂点の座をかけて争えるまでに力をつけている。  そんなワシの頭を撫でるとは。綿毛のようなジジイ風情が、なんたる傲慢! なんたる不敬! 死を持って償わせる罪である!  ――と、声を大にして言えたら最高だ。 「子ども扱いなんてしてないよ?」 「ほう? ではこの手は何だ?」  なでなで。

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