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第10話 黄金屋ハチベエ

「あ、ニケさん。ちーっす」 「どもども。今日もやって参りましたー」  ニケに気づいたホクトとミナミの声に、ニケは回想から戻ってくる。 「おはようございます。ホクトさん。ミナミお、お兄ちゃん。朝ごはんは食べてきましたか?」  まだならお粥と梅干しでもてなそう。あ、もしかしてホクトも梅干し駄目なのだろうか。  キミカゲの横に移動し正座すると、ミナミはグッと親指を立てる。 「ばっちり食べてきましたよ。やっぱ朝は味噌汁がうまいですねぇ」 「お前の、氷が浮いている味噌汁を見るとゾッとするわ。まあ、この季節だけはうまそうに見えなくもないけど。……あ。これどうぞっす」  ホクトは小金魚と出目金が泳ぐ、涼しげな風呂敷に包まれた箱を差し出す。 「今日は『黄金屋(おうごんや)ハチベエ』の葛きりを持ってきたっす。またお昼にでも食べてくださいっす」  ニケとキミカゲは同時に笑みを引きつらせた。 「い、いつもありがとう。ホクト君。でもね? 毎日手土産を持ってこなくていいんだよ? 金額も馬鹿にならないでしょう? これ、高価な和菓子だし」  震える手で一応受け取った箱を、指先でつつく。  黄金屋ハチベエ。庶民が値札を見れば険しい顔になるほどの高級店である。  彼らの気持ちは嬉しいがたまにならともかく、こう連続して持ってこられると、贅沢に慣れていないキミカゲは心が苦しい。あと、これが一番困っているのだが……舌が、若干肥えてきたように思う。  贅沢な悩みだが、生活水準を上げるつもりはないのだ。そりゃ、ニケたちには美味しいものを食べさせてあげたいがキミカゲは、贅沢は敵だと思っている。  知ってか知らずか、ミナミは実にしれっと言う。 「気にしないでくださいよ。六代目ハチベエさん。リラ姉に入れ込んでいまして。毎日これでもかと貢ぎ物……じゃなくて、和菓子が届くんです」  呆れたようにホクトは首の後ろを掻く。 「いらないもの押し付けているようで心が痛むっすけど、減らすの手伝ってほしいっす。和菓子って足が早いじゃないっすか。リラ姉さん、甘いものを病的に愛していますが小食っすから、余ったものはあっしらに回ってくるんすよ」  げんなりした声だった。  それはそれとして聞き捨てならない台詞に、キミカゲの笑みにビキィと青筋が浮かぶ。  ――あの娘。お椀に白米ではなく砂糖を山盛り入れて食べる、糖分中毒者だったね。  糖分摂取禁止を言い渡すと泡拭いて倒れていたが、もしかして聞こえていなかったのだろうか。 「「「……」」」  キミカゲから立ち上る不穏なオーラに、ニケとミナミは狼の背に隠れる。 (なになに? キミカゲ様怖いんだけど。ただのおじいちゃんじゃないの?) (ボスの身内になんという事を……。口を慎めタコ!) (貝だけど質問ある?) (翁は治そうと努力しない患者に厳しいですから)  ひそひそと呟き合う三人。  護衛対象であるニケは良いのだが、同僚の盾にされるのは納得いかない。それと無意識かもしれないが、幼子の手が狼の尾をしっかりと握り締めているのなんとかしてほしい。 (うぐぐ……)  尾の根元を触られると、悪寒が走るというか、くすぐったいというか、とにかく背中がぞわぞわするのだ。  ホクトが「助けて」と言いたげに視線を向けてきたけど、きれいに無視した。 (ニケさん。だいぶ狼野郎に慣れてきたやねー)  結局、せっかく来ていただいたので、という理由で護衛はホクトとミナミに決定した。それ以来、毎日くすりばこに訪れ、顔を合わせているのだから当然と言えば当然か。  ホクトはニケを追いかけ回すような真似はしないし、変に距離を詰めようともしない。手土産(余った和菓子)も欠かさないうえ、キミカゲの手伝いも積極的に行った。  フリーが夜中呻き声ひとつでもあげれば飛び起き、ニケと一緒に寝ずの看病までしている。給金以上の働きをしないと落ちつかない病でも患っているのだろうか。ミナミは横で爆睡していたが。大したものだ。  と、どうでもいいことを思い出し、大あくびを漏らす。 「ふあーあ」 「ミナミさ、お、お兄ちゃん。眠いんですか?」 「フリー君の部屋で寝てくるかい?」 「なんでお前が寝不足なんだよ!」  三者三様の言葉が飛んできたが、ミナミはお構いなくーと、手をぱたぱたと振った。 「そうだ。翁。絵本を二冊ほど借りてもよいでしょうか?」 「あっちに子ども用の絵本があるけど、どうしたんだい? あ、読んであげようか?」  読み聞かせしたいと顔に書いてあるキミカゲに、無情にも首を振る。 「いえ。フリーのやつに絵本を読んでやる約束をしたんです。そのあとにカステラを買ってきますね」  「ニケ君が甘えてくれない」とぼやきながら肩を落とすキミカゲの背を、ホクトが慰めるように摩る。  ミナミは茶を飲みながら首を傾げる。器用なことに。 「ん? え? あの兄さんが、じゃなくて? ニケさんが読み聞かせする側、なんですー?」  違う意味に捉えたニケが、ムッと頬を膨らます。 「字くらい読めますよ!」 「あ、そうじゃなくて……うん。なんでもないです。続けてください」 「買い物に行くなら、付き合うっすよ」  散歩に行きたそうに尾を振るホクトの背を、まだ微妙に復活していないキミカゲが軽く叩く。 「待って待って。君たちにもらった葛きりがあるから、カステラはまた今度にしよう」 「そういえば、そうでしたね」  ニケは小金魚の泳ぐ風呂敷に目をやる。 「葛きりがあったんですよね。それにしてもきれいな風呂敷っすよね。……あ」  キミカゲ、ホクト、ミナミの目が点になった。  ホクトの口調が移ってしまったようだ。咄嗟に手で口を押えるも、キミカゲ達はばっちり聞いていたらしい。聞かなかったフリをするのが間に合わなかった。  二人が内心おろおろする横で、気を遣わない系男子(ミナミ)は盛大に吹き出した。 「ぶっふ! ちょ、反則……っ。んぐふふふふ……!」 「っ……!」  怒りを堪えるような表情がみるみる赤く染まっていく。ニケの目に涙が浮かび、ぷるぷると身体を震わせる。  キミカゲはお菓子の箱から風呂敷を剥ぎ取ると一秒で畳み、それを両手で差し出す。 「あ、ニケ君。気に入ったのなら、これ、あげるよ。ううん。貰ってくれると嬉しいな」 「むぐう……」  羞恥で動けないニケの頭に風呂敷を乗せ、あぁよしよしと抱きしめる。背後ではホクトがミナミの頭をすっ叩いていた。 「お前ってやつは」  ここは気づかないふりをすべきだろう。 「んぐぐぐぐぐ……んふふふふふっ。ホホホホホホ!」  笑いを堪え切れなくなってきているようだ。  ホクトはミナミの首根っこを掴んで持ち上げる。 「すいません。こいつ川に捨ててくるっすね」 「やめて! 海水に捨ててあははははは!」 「いつまで笑ってんだ!」  余談その2。  キミカゲとオキン。 『そういえばオキン。いつも来る時いつも不自然にテンション高いの、あれ、なんで?』 『伯父貴に会いたくなさ過ぎて無理にでもテンションを上げないと、足が帰ろうとするのだ』 『……』 『「照れちゃってー」みたいな顔で、頬を引っ張るのはやめよ』

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