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第16話 許可

 二分後。  隣に座っているニケの頬を手の甲で摩りながら眉を下げた。 「はあーあ。先輩と海開きに行きたかったのにぃ」 「海開きに行くってなんだ。海に行くと言え」 「う、海に行きたかったのにぃ」  口元を隠しながら、キミカゲは困ったようにくすっと笑う。 「海ねぇ」  キミカゲはホクトとミナミを順に見る。 「君たち。泳げるかい?」  ミナミが死んだ目で親指を立てる。抱きつかれた際、散々フリーにもみくちゃにされた羽織はすっかりよれていた。 「どうも。海の民です」 「あっしも泳げますよ。つーかボスの下にいるやつは全員泳げるっす。必須科目なんで」  それを聞いたキミカゲは満足そうに頷く。 「うんうん。それなら、当日までに体調を整えて、ニケ君の言うことをきちんと聞いて、彼らの側から離れないって約束できるなら、一日だけ許可を出そう」  暇人の目がきらんと輝く。 「つまりニケとホクトさんたちにへばりつける大義名分を得たってことですよね? えへへ。じゅるり……」  泣きそうな顔でミナミは尻をずらし、舌なめずりをするフリーから距離を取る。  ホクトは全力で聞かなかったことにして、キミカゲに目をやる。 「いいんすか? 外出許可出して」 「? だから君たちがいるんじゃないか。頼りにしているよ」  本音を言うと安静にしていてほしい。だがまだ十代の子どもに、夏の間家に閉じこもっていろと言い難い。フリーは比較的大人しい方ではあるが、観察していると退屈をあからさまに嫌っている。気分転換に海くらいは行かせてやりたかった。  さらっと言われ、ホクトは目線を逸らして頬を掻く。 「まあ、はい……」  おもちゃを貰えた子どものように喜んでいたフリーが、急にしゅんと両手を下ろす。 「あ。でも。仕事行けないのに遊びに行くのは良くない、ですかね……?」  海に言っている暇があるなら、働いて少しでも借金を返すべきだろう。仕事には行けないのに、海には行けるのかよ。元気じゃねえか。嘘つき。働けよ。……そんな声が胸の底から湧き上がってくる。嘘ではないのに、嘘つきだと思われる。自分の声が届かない悲しさなど、思い出したくないのに。この聞き覚えのある声たちの主は、雪の底に消えたはずなのに。しつこく蘇ってはフリーを後ろから指を差し責め立てる。  苦しくなって、ぎゅっと胸を掴む。 「……?」  それはそうと、なんだか静かである。くすりばこに誰もいなくなってしまったかの如く。  不安になりぱっと顔を上げると、全員がフリーをぽかんとした表情で見つめていた。  みんながいることにはホッとしたが、どうしたのだろうか。  困惑していると、ホクトが感心した風に鼻をすすった。 「フリーさん。真面目なんすね……。さぼる隙を見逃さないミナミとは大違いっす。交換してほしいくらいっす」 「交換ってなんだ。おい」  喋り疲れた顔で、キミカゲはううんと両腕を前に伸ばす。 「ふう。フリー君。息抜きは大事だよ。本当に大事」 「なんだお前さん。僕と海に行きたくないって言うのか?」  トドメにニケにじとっと睨まれた瞬間。胸の奥で騒いでいた声が消える。代わりに焦りの感情が弾け、フリーは小さい身体に飛びついた。 「違う。違うよおお。なんかそう思っただけで! ニケと遊びに行きたいよおおぉ」  百八十センチに飛びかかられても体勢を崩すことなく、山のように座していたニケをひょいと持ち上げ、胸の中に仕舞うように抱きしめる。 「ニケェ~。あああああ。やわらかい、やああかい。はあはあ。これが……至福……」 「熱くないんすか?」  ミナミの呆れたような声が聞こえたが気のせいだろう。  やられっぱなしでいるニケではない。すぐにお返しとばかりに、やれやれといった雰囲気を出しながら――あまり出せていない――フリーの首筋に頬ずりする。もちもち。 (わああああ! 最高。……最高に、う、嬉しいけど、首はくすぐったい!)  さっき何に悩んでいたのだろうか。もう思い出せない。  横一文字に結んだ口が波打つ。だが、この弾力のある至高のオモチを引き剥がせるはずもなく、ただただ耐える。そんなフリーに追い打ちをかけるように、やわらかい黒髪が耳をくすぐる。ニケの髪の毛はやわらかく、幸せとくすぐったで召されかけていると、 「先生。おはようございます。お邪魔しますよ?」  予約していた患者さんが慣れた調子で入ってくる。  腰を浮かしかけていたキミカゲと護衛ズが反射的にそちらを見た。 (いまだ!)  ニケは二人が見ていないうちにはむはむはむはむとフリーの手を甘噛みすると、口元を拭い満足そうな顔で立ち上がった。これだけフリーと触れ合えれば今日のところは満足である。まあ、欲を言うともうちょっとだけ抱きしめていてほしかったが。患者さんが来てしまったし、ニケも用事があるのだ。  フリーはびっちゃびちゃになった己の手のひらを見つめている。  本当はフリーの顔を舐めたかったのに、テンパってしまった。ま、ええわ。 「では僕はディドールさんに事情を説明してきますね」 「あ、お供します」  フリーのハグ攻撃がよほど堪えたのか、ミナミの軽薄な口調はすっかりなりを潜めていた。

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