17 / 57

第17話 夏の間、休みたまえ

 昼近く。洗濯屋「洗福(あらふく)」。  青年ふたりをつれてやってきたニケに、洗福の主人・ディドールは琥珀色の目を大きくした。瞳の奥に花の模様がある「花の瞳」は花霊(はなたま)族特有のもので、本当に琥珀に花弁が埋め込まれているかのようである。 「あらぁ。ニケちゃん。いらっしゃい。どうしたの? フリーちゃんのこと?」  暑さのためか、いつもより身につけている花の数が控えめな彼女に頷く。鉛白(えんぱく)色の小さな花弁で、甘くさわやかな香りがする。  胸一杯にそれを吸い込むと、蒸し暑さを一瞬忘れられた気がした。  しゃがんでくれたディドールの顔を見つめ、眉を八の字にする。 「フリーはまだ本調子ではないようなので、本人はやる気だったんですけど、暑さがおさまるまでは安静にさせておきます。一ヵ月以上休むことになるので、もうクビにしていただいてもかまいません。良くしていただいたのに、申し訳ない」  頭と尻尾も下げる。  きょろきょろとミナミは興味深そうに洗濯屋内を見回し、ホクトは彼女の香りに頭をくらくらさせていた。ニケ以上の嗅覚を持つ彼は、くすりばこでは平然としていたがこういったツンとくる花の香りは苦手な模様。それでも表に出さないよう無理矢理に笑みを組み立てる。  フリーのことはおおかた予想していたのだろう。洗福の主は困ったように一瞬眉尻を下げるも、すぐに悪戯っ子のように笑い、えいえいっと、ニケのつむじをつついた。 「おいおーい。頭をあげたまえ~。ニケちゃんたらびっくりするくらいしっかり者なんだからびっくりしちゃうよ。うちの子(リーン)も見習ってほしいわぁ」  ニケはそっと頭を上げる。ディドールはにこにこと笑っていた。童女のような愛らしい笑みだ。 「フリーちゃんはお休み扱いにしておくから、いつでも戻っておいでって伝えておいてくれる?」  しなだれていた尻尾がぴょんと立つ。 「え? よ、よろしいのですか? 本当に夏の間は来ませんよ?」  ディドールはうんうんと頷く。 「ふふっ。いいのよ。クビにする理由ないし。あ! でも週一でいいから。挨拶するだけでいいから、顔見せに来てよ? 生きているのか心配しちゃうからね」 「あ、ありがとうございます!」  彼女のやさしさに、ニケは何度も頭を下げた。誰かがフリーに優しくしてくれるとなんだか自分まで嬉しくなる。 「あーあ。でもフリーちゃんに会えなくなるのは寂しいわ」  立ち上がると、ディドールは毛先をくるくると指に巻きつけた。 「リーンもきっと寂しがるわね~。ところでニケちゃん」 「はい?」 「後ろの方たちは、知り合い?」 「あー……」  やはり聞かれるよね。  なんて説明すればいいだろう。命を狙われているので、その護衛です。と馬鹿正直に伝えてもいいが、優しい彼女は酷く驚くだろう。ただでさえフリーの件で心配をかけているのだ。これ以上心配を重ねてほしくない。というか、かけたくない。  ここに来るまでに色々考えてはいたのだが、まだまとまっていない。どうする?  戸惑っていると、後頭部に手を添え、ホクトが人当たりの良さそうな笑顔で頭を下げる。如何にも気弱そうな青年に見えた。 「どもっす。ご挨拶が遅れましたね。あっしはホクト。こっちがミナミ。ボスの下で世話になっている者っす」 「あら。オキンさんの? ということは、キミカゲ様とも知り合い?」  興味津々といった顔で近寄ってくる彼女に、嗅覚の鋭いホクトの足は一歩下がりかける。下がらずに済んだのは、さりげなくミナミが背中を押してくれているからだった。  笑みが引き攣り気味のホクトは頷く。 「そ、そうっす。で、あっしらは借金の取り立て代行や要人の護衛として貸し出されることが多いんすけど、まだまだ一人前には程遠くて……。だからニケさんを要人に見立てて護衛の練習をさせてもらってるんすよ」 「え?」 「あら。そうなの?」  ニケの声とディドールの声が重なる。おかげでニケの困惑気味の声は届かなかった。 「本当はキミカゲ様にお願いしたんすけど、断られちゃって。でもちょうど隣で聞いていたニケさんが名乗り出てくださったんすよ」 「……」  なんとなくホクトの考えが分かったニケは、あわあわしながらも黙っておく。 「なのであっしら、当分はニケさんの周りをうろうろしてますんで、そこんとこよろしくっす」  苦笑を浮かべ、へこへこと頭を下げる。その仕草が頼りなさそうな男に見えたのだろう。ディドールは疑うことなくすっかり鵜呑みにしたようで。それどころか面白そうな気配を察知した顔で、ニケを抱き上げると頬ずりした。 「すごーい。ニケちゃん、お偉いさんみたいね! 騎士を連れた王子様みたいでかっこいいよ」 「むぐううぅ」  見た目より力のある手に抱かれ、ニケはじたばたともがく。フリーのとは違う女性の頬。嬉しいやら近づいたために花の香りにツンとするやらで、その表情は複雑だった。俯いたミナミが口元を押さえている。  ――笑うなああ。この何とも言い難い思いを味合わせてやりたい。  けっして「嫌なにおい」というわけではないのだが、彼女はニケやホクトのような種族にとって天敵だった。そっと地面に下ろされる頃には、ニケも頭がほわほわしていた。  それを振り払うようにとんとんと頭を叩き、片目を閉じる。    ――それにしても、あっさり信じてくれたなぁ。  付き合いの長い衣兎(ころもうさぎ)族は常に新参者を警戒し簡単には受け入れなかった。そんな彼らを見てきたニケにとってディドールは、 (能天気……いや、ええっと、軽やかで素直な女性だな。うん。いいヒトだ! 姉ちゃんみたい)  と、このように映った。 「えっと。それでは失礼します。お忙しいなか、ありがとうございます」 「うふふっ。気をつけて帰るんだよ~」  手を振って見送ってくれるディドールに頭を下げ、洗福を後にする。 「……」  ミナミはちらっと振り返る。まだ手を振っているディドールの後ろ、壁から半分顔を出し、こちらを瞬きもせず見ている少年が気になって仕方なかった。  洗福が見えなくなったあたりで、我慢できないとばかりにミナミはニケに声をかける。 「で! さっきの少年はなんなんですか? 見たらいけない部類のものですか? あ、もしかして俺にしか見えてなかったですか?」  ホクトはうるさそうに三角の耳を塞ぎ、ニケは苦笑してミナミを見上げる。 「落ち着いてください。ミナミさ、お兄ちゃん。リーンさんですよ……」

ともだちにシェアしよう!