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第24話 観光地の飲み物

「ねえ、ニケ。ニケって鼻が利くんだよね?」 「なんで涙声なんだ? まあな。天気読みも出来ないお前さんよりかはな」 「う、うん……。夏になってから俺すごい汗かいているけど、ニケは毎回くっつきに来てくれるよね」 「何が言いたい?」 「いや。その……臭くないのかなって」  ニケは連日の雨でも見上げるように、鬱屈そうな顔になる。 「……なんだそのゴミみたいな質問は?」 「ええっ? いや、ちょっと気になって、まして。その、あの」 「黙れ。お前さん。僕だって汗をかいているんだぞ? お前さんは僕を臭いと思っているのか?」 「そんなことないよ。ニケってなんだか甘いにおいがするし全身舐め回したいって、毎日思っている!」  竹制水筒で水分補給をしていたリーンがゴブッと吹き出し、飲み物を選んでいたホクトはなにが起こったのか分からないという顔で激しく狼狽える。前に並んでいた三人組がきっちり同時に振り返り、銀髪の娘さんは看板をかつんと落としていた。  灼熱の太陽の下、この辺だけ気温が氷点下まで下がった気がする。 「……」  ニケは狼狽えるでもなく、静かに空を見上げる。この歩く椅子がとびきりの阿呆だということを失念していた。  獣人は赤子が生まれれば、親は子をこれでもかと舐め回す。愛情の証であり白黒熊(ぱむだ)族などは毛並みがピンクに染まれば染まるほど、愛情を受けたという証になる。ほほ笑ましい話だ。  だがそれは親子の、それも赤子の間だけというごくわずかな話。それを他人がやれば……まあ、ただの通報案件である。  フリーとニケはどうみても同じ種族ではない。この阿呆に犬耳でもあれば「親類です」と誤魔化せただろうが。毛の色も違うしそもそも麦わら帽子を被っているしで、頭部確認はできない。  ざわざわと当惑の声が上がり、そのなかに「誘拐?」やら「変態?」などの単語がちらほらと混じっている。  口からだばだばと水をこぼしたリーンが、この空気どうしてくれるといいたげに見てくるが、空気読めない男はニケしか目にない様子。ニケの方もその反応に満足げで、リーンをほったらかしに二人の空間を形成していた。  列に並ばないといけないので無理だが、自分もホクトと一緒に売店に行けばよかったと、リーンは後悔した。そうすれば他人の振りが出来たのに。  なので、白いケツを蹴ったとしても誰が責められようか。 「ぴっ?」  蹴られたフリーはその場で跳びあがる。 「なぜ蹴るんですか?」 「ンやかましいわ! ニケさんを好きなのは分かったけど、フォローできる範囲で愛を叫べボケェ!」 「ふぉろ、さん……? 誰ですそれ」 「フォローだよ。アホ! 今のじゃどう聞いても変態の叫びだわ」  看板娘さんが通報するか真剣に迷っているのを目の端に捉え、ニケはため息を堪えられない。自分たちだけなら通報されようがどうでもいいが、リーンを巻き込むのは心苦しい。  ぺろぺろと手の甲を舐めると、ニケはわざと周囲に聞こえる大きめの声を出した。 「リーンさん。こいつは僕の家に代々仕えている変態なのでお構いなく。僕への愛が高まってたまにこういう発言をするんですよ」 「……え?」  フリーとリーン。似た音程の声が重なるが、リーンはすぐ理解したのか、若干棒読みながら話を合わせてくれた。 「ああ……なるほど。いつものことでしたか。では通報しなくてもいいんですね?」 「ええ。こいつがこういった発言をするのはいつものこと。その度に通報していてはきりがないです」  いつものことを連呼したおかげか、向けられる視線がゆるやかに減っていく。その間、余計なことを言わないようにとフリーの口を塞いでいたのも大きい。  飲み物を買い込んだホクトが戻ってくる頃には、看板娘さんも仕事に戻っていた。 「急に大声でなにを言い出すのかと焦ったっすよ。フリーさん」  幼子を抱いているため手が塞がっているので、ホクトはニケに飲み物を渡す。  客に渡すまで冷水につけてあったのだろう。受け取った茶竹筒はひんやり心地よく水滴がついており、中からは甘酸っぱい香りが漂ってくる。  何の香りだ? と、すんすんと香りをかいでいるニケに説明する。 「野良柿(のらがき)とトケイソウを混ぜ絞ったまろやか果実水だそうっす。リーンさんは巨大西瓜(きょだいすいか)とトケイソウの果実水でいいっすか?」  リーンにも手渡す。 「ああ。どうも……え?」  流れで受け取りかけた手が寸前で止まる。 「フリーの分だけでいいって言ったのに?」  ホクトは人数分の茶竹筒を抱えている。どうやら全員の分をきっちり買ったらしい。  苦笑を浮かべるホクト。 「いやあ……。フリーさんの発言で頭真っ白になって、つい四つ下さいって言っちゃったんすよね」  ニケとリーンの視線がフリーに集まる。まだ口を押えられているフリーは……ニケが口を押えているため幸せそうだった。なんだろう。この言語化できないイラつきは。  そして当然のように数に含まれていないもう一人の護衛。 「まあ、くれるんなら貰っとくけど」  買ってしまったものはしょうがない。リーンは礼を言って竹筒を受け取る。 「いくらでした? 高かったでしょ?」  観光地で売っているものは総じて高額だ。たかだ飲み物。されど飲み物。財布を取り出そうとして間違ってメンダコを取り出し焦るリーンに、ホクトは笑いつつ首を振る。 「ああ、金はいいっす。あっしのおごりっす。先月大きな仕事を片付けたんで、懐は潤っているんすよ」 「はあ」  下に妹弟がたくさんいるホクトは、年下に奢るのが普通という考えになっている。が、そんな家庭事情をリーンたちが知っているはずもないので、釈然としないながらもありがたく受け取っておく。  巨大西瓜(夏代表の果実)とトケイソウというあまりない組み合わせに一瞬ためらいを見せるも、口をつけると巨大西瓜(実は野菜)の香りとトケイソウの酸っぱさが舌の上で踊り、きんきんに冷えているというのもあって竹筒はどんどん傾いていく。 「おお。うまいじゃん。これ」  豪快に一気飲みしているリーンを見ていると喉が渇いてきたのか、竹筒を頬に当ててひんやりを堪能しているニケに目をやる。竹筒にふにっと頬肉が乗っかっていてなにそれ可愛い。竹筒になりたい。 「ねぇ、ニケ~。俺も飲みたい」 「僕を抱えていたら飲めないだろうが。いったん下ろせ」 「……っ? ニケを、下ろす…ッ……?」 「はよしろ」  ニケを手放すのに数十秒の時を要したが、なんとか蓋を開けて竹筒に唇をつける。  野良柿の甘みとトケイソウの酸い香りが、鼻と舌を同時にとろけさせる。 「美味しい!」  甘すぎないのが良い。  汗ばむフリーの表情が花咲く。 「お前さんは何を食べさせてもそう言うじゃないか」  呆れつつもフリーの汗を拭ってやろうと、懐に手を突っ込む。だがその手が手ぬぐいを取り出す前に、ホクトの手が伸びていた。  羽織の裾で、フリーの流れる汗を吸ってやる。  フリーに世話を焼いたり優しくするとミナミの二の舞になると、間近で見て知っているはずなのにこういう事をすると言うことは……単に忘れているだけか、長男気質ゆえか。  高価な羽織なのに手ぬぐいかわりにしていいのかと思いながらも、リーンは気まずそうに目を逸らして売店などを眺める。足元で不機嫌になったニケがむくれているので。  足元の変化に気づかず、フリーはわずかにのけ反る。 「わ! ……どうも」 「いえいえ。いいんすよ」  白い歯を見せにこっと笑うホクトに、周囲にいた犬耳娘たちがちらちらと視線を向けてくる。同じイヌ科女性から見ると彼は、二度見されるくらいの魅力はあるようだ。ほぼケモ耳しか見ていないフリーにとっては新しい情報だった。  ホクトに話しかけようとしたが、袴を引っ張られたので中断する。 「ん?」  見ると、ぱんぱんに頬を膨らませたニケが上目遣いで睨んで、フリーの心臓は牛にぶつかったような衝撃を受けた。 「ぐあっ可愛いが襲ってくる!」 「浮気者。この浮気者」 「え? 喧嘩っすか? 仲良くするっす」  ぽかぽかフリーの足を叩いているニケを止めようとしたホクトの裾を、今度はリーンが強めに引っ張る。驚いて肩越しに振り向いたホクトの、頭上の三角に耳打ちする。 「おい! 駄目だろうが。命の危険がない限りフリーに構うな。ほっとけ」 「え? なんでっすか?」 「フリーの世話はニケさんが焼いているんで。他のヒトが手を出すとこの通り拗ねちゃうんだよ。ニケさんが」 「……っす」  揉めている二人を交互に見て、何かを悟ったらしいホクトがこくこくと頷く。そうこうしているうちに列は捌け、フリーたちの番になっていた。ホクト以外受付を済ませ、受け取った許可証を見えやすいところにつける。  いまから一時間、海星石(かいせいせき)取り放題である。

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