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第25話 海
「冷たいっ!」
波に素足をつけたフリーの第一声がこれだった。
海が初のフリーはしばし遊ばせておくとして、熊手を握るニケとリーンは真剣そのものだった。なにせ借金している身だ。返済に少しでも当てたい。助けられたリーンはその手伝いがしたい。
目が燃えているふたりときゃっきゃ遊んでいる長身を、ホクトは遠目で眺めている。なにかあればそれこそ一息で駆けつけられる距離で。
太陽が真上に差し掛かり、暑いのか黒羽織を腰に巻きつけ、潮風が届く範囲内でしか見かけない大きな木の木陰で荷物番をしておく。
赤い欠片はほとんど金にならないので無視する。一番良いのは青一つに絞って探すことだが現実的ではないし、なにより時間もない。なので、元が取れてなおかつ大金が稼げる緑、紫あたりを狙って砂をかく。
「……ふえ」
誰も構ってくれなくて寂しくなったのか、フリーもいそいそと海星石(かいせいせき)狩りに加わる。
熊手の使い方がよく分からなくて、ぺしぺしと逆さまにした熊手で砂を叩いていると、器用にしゃがんだままのニケが近寄ってきた。こっそりとフリーの影に入る。
「おい。倒れる前に木陰に行くんだぞ? お前さんはそんなに頑張らなくていいんだからな?」
「うん。ありがとう。ニケ」
「でも頑張るよ」など余計な一言をつけようものなら海に投げられる気がしたので、そこは呑み込んでおく。
「……ふん。わかっているならいい」
ぴこぴこと耳を動かすと、ニケは離れていく。あの愛らしいウソ発見器(耳)が厄介だ。
「ねぇ~。きみきみ」
ニケたちのやり取りを見ていたリーンの背後から、甘ったるい声がする。
「ああ?」
聞き覚えのない声だ。無視してもよかったが一応首だけで振り返ってみると、若い男二人がしゃがんでいるリーンを見下ろしていた。
目が合った二人組は、嬉しそうに手を振ってみせる。
「着物めっちゃきれいだね。輝いているよ~。ひとりで来ているの?」
「うわ~。可愛いじゃん。どうどう? 俺らと泳がない?」
真顔になったリーンに青筋が走る。
夏だ。海だ。友達同士で水をかけ合い、濡れた肌着が肌に張りついている、そんな芸術的なまでに輝かしい女の子たちを軒並み無視し、自分に声をかける意味が分からない。
男たちからすれば可愛い子(性別は問わない)と遊んでひと夏の思い出にしたいだけかもしれないが、女の子大好きなリーンからすれば到底理解できない現象だった。目ェ腐っているのだろうか。
バケツを持ったまま立つと、ナンパ男一号の肩に手を置く。真剣な顔で。
「おい! 今すぐ医者に眼球診てもらえ。海水で眼球洗うだけでもいいから。早くしろ!」
男がたじろぐ。
「ええ~?」
「なんで心配されてんの俺ら。ウケる」
ナンパ男二号は可笑しそうに笑い、リーンの撫子(なでしこ)色の髪をさらりと掬うように撫でる。鳥肌が立ったリーンはその手をぱしんとはたきおとし、どっか行けと言いたげに手を振る。
「俺様は男に用はない。失せろほら。しっしっ」
というか、この許可証が見えないのだろうか。これをつけているということは時間に追われているという事。のんきにナンパ野郎と遊んでいる暇などないのだ。
一号と二号は顔を見合わせると、声をあげて笑う。
「ごめんごめん。怒っちゃった? でもそんな顔も可愛いね。魅力的だ」
「なにか奢ってあげるよ? あ、トケイソウの果実水もう飲んだ? あれ美味いよ~」
「……」
リーンは渋面を作る。
悪い奴らではないのだろうが、そろそろどっか行ってほしい。
「どうしたの? もしかして果実水より果実盛り合わせの方がいい?」
「なあなあ。その着物どうなってんの? 触らせてよ」
全然散らないな。
さて、どうしようか。顎に手を添えて思案する。素直にホクトさんに頼んで追い払ってもらうか。それが一番手っ取り早い気がする。殴り合いで勝てると思うがドールさんに言われているし、叩きのめすなんてもってのほかだろう。
ううむと長考しだしたリーンに、焦れた男の一人が手を伸ばす。
「おいおい。無視しないでよ~」
その手がリーンの腕を掴む直前で……海面から出てきた謎の手が男の足を掴んだ。
がしっ。
「え? ……うあっ」
咄嗟に何かに掴まろうと伸ばした手も虚しく、万歳の姿勢で海の中に吸い込まれる二号。突然の事態にぎょっとした一号とリーンの視線が海に集まる中、それは現れた。
全身真っ黒な姿で、ずるりと海面から這い出てくる。その物体Xは幾重にも絡み合った海藻の怪物にも、腐乱した水死体にも見え、一号はハニワのような顔で走り去った。
「は? ……は?」
かろうじて腰を抜かさなかったリーンが大口を開けて固まる目の前を、その物体はのしのしと歩いていく。意外と背は大きくない。……というか、百パーどこかで見た覚えがある。
「え、えっと。大丈夫ですか?」
リーンは半笑いで声をかける。
「ミナミさん」
羽織を頭から被った人物が、こちらに不機嫌そうな目を向けてくる。間違いなく相方によって海に投げ捨てられた男だった。重たそうにワカメを引きずり、砂浜を歩いていく。木陰に到着すると疲れた顔でホクトの足元に腰を下ろした。
ホクトは腕を組んで、足に絡まったワカメを投げているそれを見下ろす。
「どこの海坊主だお前。普通に登場しろ」
「ヒトをぶん投げておいて言うことはそれだけっ⁉ おめーのせいで髪染めていた染料が落ちたんだろうが! 染料代請求するからな」
ぶんっとワカメを投げつけるも、ひょいと躱される。塗料が落ちた髪を隠すために羽織を頭から被っているのと、海の幸が山盛り絡みついている。それと海からいきなり出てきた驚きも手伝ったせいで、不気味な物体に見えてしまったのだ。
途端にやかましくなる木陰。
頬を引きつらせていると二人が駆け寄ってきた。
「先輩。怪我はないですか?」
「おうよ」
フリーの背中にしがみついていたニケがぼそりと呟く。
「まったく。新種の海幽霊かと思ったわ……」
サンサンと陽射しが降りそそいでいるが、あんなもんが海から上がってきたら無条件で怖い。これが波音しかしない深夜だったらニケは気絶していた自信がある。
海に消えた二号が気がかりだったが、泳げそうな種族であったし、救出の必要はないだろう。なによりいまは海星石狩りに集中すべきだ。ナンパ野郎に割いてやる時間などない。
二号を助けに海に行きかけたフリーの着物を掴んで、場所を移動する。この辺に青や紫の欠片はなさそうだ。こまめに場所を変えるべきだろう。
「あのっ? さっきの人、放置でいいんですか? 俺もまだ触ったことのない先輩の髪に触れた時は呼雷針(こらいしん)落とそうかと思いましたけど。あのままだと死ぬんじゃ……?」
そんなこと思っていたのか。
後ろからニケは白い頬をぺちぺちと叩くと、耳元で囁く。
「おい。お前さん絶対に海の中で放電すんじゃないぞ? その漁法は禁止されているからな? というか、人前で力をぽんぽん使うな、酢蛸。身の危険が迫った時限定にしろ、あんぽんたん」
「あ、あんぽん……?」
ニケ罵倒語録に新しい単語が追加された。
フリー一行に合わせて、ホクトらも場所を移動する。
二号は係のヒトが発見し、ずるずると回収していた。
二十分おきに場所を変えること数回。残り時間が迫る中、ニケがあっと声をあげる。
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