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第39話 防空壕
水晶で編み上げられたような鞭が二本。ミナミの武器、水流双(すいりゅうそう)。かまいたちのように荒れ狂うそれをヒスイはすべて打ち払っていた。
ヒスイの死角。樹木の後ろ。真下。真上。様々な角度から鞭は次々とヒスイに迫るが、いまだ彼にかすり傷ひとつない。せいぜい法衣をかすめるだけだ。
(マジかよ……。水流双を初見で防いだだけでも気持ち悪いってのに)
ヒスイはじりじりと距離を詰めてくる。
(うむ。美しい体捌きだ)
真剣に感心するヒスイもまた魔獣を召喚する隙を狙っていた。なんせ一対複数なのだ。ヒスイも味方が欲しい。
だが――
眼球に迫る鞭の先端を、錫杖をくるりと回転させ弾き落とす。
(手数が多いな)
弾くたびにビリビリとヒスイの手が痺れる。あの鞭、見た目より威力がある。おそらく数秒もしないうちに樹木をおがくずに変えるだろう。この錫杖でなければとうに鰹節にされていたはずだ。
――ならばまず、あの鞭をどうにかせねばならん。
潜ませていた黒亡手長猿(こくぼうてながざる)に鞭の使い手を奇襲させれば、鞭の動きを止められるだろう。
(……さっき瞬殺されたんだった)
ため息をつきたくなる。彼らに近づけすぎたか。気配に敏感な丹狼(たんろう)がいるのだ。もっと遠くから見張らせるべきだった。
「後悔しても始まらんな」
「はい?」
「なに。独り言よ」
そこで、ミナミは気づく。ヒスイが振り回している錫杖に、いつの間にか怪しい光が灯っているのを。
人魂に似た紫の光が尾を引き、空中に怪しい模様を浮かび上がらせる。
(なんだ……?)
ミナミはその光をじっくりと見てしまう。
「馬鹿! 見るな」
ホクトの声にハッとなるが、遅すぎた。
直後、視界がぐにゃりと歪み、立っていられなくなる。
――ニケさんたちにあの光のことも聞いていたのに!
鋭さをなくした鞭を錫杖で絡めとり、力の限り引き寄せる。
「ぐっ」
力比べで勝てるはずもなく、体勢を崩したミナミは無様に地面に倒れ込んだ。
「ミナミさん!」
悲鳴のようなニケの声。
「だーいじょうぶですって」
軽口を叩いて跳ね起きたミナミが見たものは。
ヒスイの手の甲に描かれた紋章が、禍々しい光を放っている。
空間がたわみ、無から現れる複数の魔獣たち。
無機物有機物問わず、自身の元へと召喚する魔九来来(まくらら)。引っ越し屋として大活躍できるであろう力が、悪用されている。
『ナンダナンダ!』
『ギャアアア! ギュイ』
『ガアギャアッ』
黒亡手長猿(こくぼうてながざる)の群れ。
一見するとチンパンジーのようだが、全身は短い黒毛で覆われ、我らの言葉に近い鳴き声でコミュニケーションを取る。確かに言葉を話しているように聞こえる。
ぱっと見、耳がないように思うが、目の横に空いている穴から音を拾うという。
握力はゴリラに匹敵し、大きさはだいたい百五十センチほど。ミナミより少し小さい魔獣が十数体。
ミナミの頬を冷や汗が伝う。
――やばい……。
石突きを地面に打ち付け、錫杖の輪っかがシャンッと音を鳴らす。
『グギャアアアアッッッ。ヤメデエエェェ!』
黒猿共が苦悶の声をあげる。あれは、話に聞いていた「魔物を無理矢理強化させる力」。
だがそれをのんびり待ってやるつもりはない。
(数体だけでも削っておかないと!)
踊るように身体を捻り、絡めとられた鞭を解放する。
「おっと」
あれだけ複雑に絡めた鞭がすんなり解けたことに驚き、ヒスイの意識が一瞬魔獣たちからそれる。
鞭はミナミに戻っていき、先端が大きくUターン。再びヒスイに牙を剥く。
――が。
鞭は苦しむ黒猿たちに届く前に何かにぶつかる。
「なにっ」
目を見開く。
そこには、黒亡手長猿を守るように、一匹の虫が浮かんでいたのである。
薄い羽の生えた、赤子ほどの大きさのダンゴムシ。
魔蟲・鞠虫鞠(まりむし)。
名の通り表面に鮮やかな模様を持つそれは球体になることで、鞭を逸らしたのだ。蟻のような顎をがちがちと鳴らし、ミナミを威嚇している。
「魔蟲(まちゅう)まで……。厄介ですねぇ」
ぎりっと奥歯を噛みしめるミナミに、悪戯が成功した悪童のようにヒスイは無邪気に笑う。
「ははっ。召喚したのは一種類だけとは、申しておらぬぞ? ……ところでわしはヒスイというが、貴方様の名前をお教え願えるかな? さぞ美しい名前なのだろう」
ウインクなどをして見せるヒスイに、ミナミはべっと唾を吐く。
「死んだら教えてやりますよー」
「それは残念」
ちっとも残念じゃなさそうな笑みを浮かべ、紋章が描かれた手を掲げる。
「さあ、死ぬまで暴れよ。我が家族よ」
相変わらずの家族と思ってない命令を下す。白目を剥き、口からは涎をこぼした魔獣たちが、ぎろりとミナミの方を向いた。
流石にニケがホクトに詰め寄る。
「ホクトさん。ミナミさんの援護を! あのままでは」
「駄目っす。あっしらはニケさんを守るためにいるんすよ? ニケさんを逃がすのが最優先っす」
まただ。また自分のせいで誰かが傷つく。僕なんていない方がいいんじゃないだろうか。暗い考えが頭をよぎるが、ニケは頭を振る。
――僕がいなくなったら、フリーがショック死する!
多分、いや絶対フリーは、地獄の底まで追ってくる。
彼がいなくなるのは、自分が死ぬより嫌だ。だからニケは生きなければならない。
ニケはきっと口を結び、フリーを見上げた。
「フリー。ここでヒスイを倒した方がいいと、僕は思う。あいつが生きている限り、僕は安心して宿を再開できない」
レナが殺しておいてやると言ってくれたが、ヒスイが目の前に現れた今が好機だ。
驚くホクトをよそに、フリーは実に気安く頷いた。
「俺もそう思う」
「ち、ちょっと! なんでやる気満々なんっすか」
「でも戦ってる間、誰かがニケを守らないと……」
フリーがそう言うのは分かっていたので、ニケは家族の墓に駆け寄ると、おもむろに墓石を持ち上げた。
「「え?」」
フリーとホクトの声が重なる。
石の下には小さな空洞があり、ニケはそこに飛び降りると再び墓石で蓋を閉じた。ニケの姿が完全に見えなくなる。
――えええええっ!
フリーとホクトの心の声が重なる。
まさかの。墓であり防空壕だったとは。ヒスイも口を開けて固まっている。
だが、後顧の憂いはなくなった!
雪を絶え間なく吐き出す、灰色の空をさっと見上げる。
『ギイイイッ』
『グルジイ、グギャアアアァ!』
我を失った黒亡手長猿が、眼前の人物に殺到する。ミナミは鞭を高速で舞わせ、自分を包み込むような防御陣を組み立てようとしたが、
「うっ」
魔獣の方が圧倒的に速い。尋常ではない身のこなしで鞭をかい潜ると、ミナミに飛び掛かる。一匹ならともかく、二匹、三匹と圧し掛かられ、ミナミは体重を支えきれずに背中から倒れた。
手首を掴まれ、鞭を取り上げられる。
黒猿の握力にミナミの骨が軋む。顔を踏まれ、足を踏まれ、我先にと手を伸ばす黒亡手長猿の爪が、着物と皮膚を引き裂く。羽織が守るのは、あくまで悪意ある魔九来来(まくらら)。
血が飛び散る。手足を押さえられ、もがくことも悲鳴を上げることもできない相方に、ホクトが叫ぶ。
「ミナミッ」
フリーが刀を呼ぼうと口を開きかけた時だった。
空に舞い上がっていた鞠虫(まりむし)が急降下し、フリーの頭上に岩のように落ちてくる。
「危ないっ」
「――ぐえっ」
ホクトがフリーを抱え横に跳ぶ。空ぶった鞠虫はそれこそ鞠のように地面に跳ねたが、怪我はなさそうである。すぐさま羽を震わし、上空へ避難していく。
手駒の働きに、ヒスイは満足そうに頷いた。
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