38 / 57

第38話 会いたくない部門

「いいですねぇ。ニケさん。大きくなったら俺らの仲間になりませんかー? 歓迎しますよ」 「? オキンさんの部下になるってことですか? 怖いんでお断りします」  素直な答えに、ぶっはと吹き出す。 「しっ」  ホクトが口の前に人差し指を立てる。ミナミは途端に笑うのをやめ、フリーは手を払いながら立ち上がった。 「においからして、中年男性の線が濃厚っすね。ひとりっすね。だいぶ体も大きいっす。香でも纏っているのか、肝心の種族が分からんっす」  そこまでわかるのかと驚嘆しつつ、人物像を組み立てようとするが、頭のどこかで「ヒスイだろう」という声が邪魔をする。邪念を払うように髪を振り、ニケはフリーの足に抱きつく。 「おい。フリー。ヒスイ……だと思うか?」 「多分ね。ヒスイさん。ニケにぞっこんだったし。宿に戻ってくると考え、待ち伏せしていてもおかしくない。ていうか、魔物が変な動きしていたらヒスイさんのせいだと思うようにしてる」  予想の百倍くらいしっかりした答えが返ってきて、ニケは目を点にした。 「お前さん……。まともなこと言えたんだな」 「お、う、うん」  フリーが胸を押さえているがたいしたことではないだろう。  ニケを囲むように立つホクト達に、警戒されていると感じたのか、気配の主はゆっくりと出てきた。  木々から染み出るように、それは姿を現す。  血染めの袈裟姿に、バケツを逆さまにしたような形の笠。何より目を引くしゃれこうべを突き刺した錫杖。  ニケの全身がぞわっと粟立つ。喰いしばっているはずの歯が音を立て、みるみる青ざめていく。目の前に確かに居るのに、その光景が信じられない。  軽い現実逃避を引き起こしていた。  ニケの反応からこれがヒスイだと悟ったのだろう。ホクトとミナミの瞳に殺意が宿る。  普段、必要以上に賑やかで楽しい彼らのものとは思えない、冷たい殺意にフリーまで身震いした。もろにぶつけられたヒスイも感じ取ったのだろう。敵意のない腹立つ笑みを浮かべ、笠を外す。 「これはこれは……。なんと心地よい殺気だろう。お久しぶりでございますなぁ、ニケ様」  お元気そうで、と言いつつ腰を折るヒスイ。以前より若干濃くなった髭に、優しげな翡翠の瞳。 「やっぱヒスイさんかぁ」  残念そうにフリーが呟く。違ったら嬉しかったのに。 「おや。フロリア様。相変わらず美しい。貴方様のことが忘れられず、代わりとなる白髪を探しましたが、とうとう見つけられませんでした。いやあ、残念。やはり貴方様しか」  そこでミナミが腕を振るった。  あの鞭を振るったのだろう。軽くひと振りしただけに思えたそれは、木々や垂れ下がる蔓を避け、蛇のようにヒスイを襲う。 「ぬ?」  もともと動きが読みにくい鞭だとしても、あり得ない動きである。  なのだが、ヒスイは錫杖で鞭の先端を弾き飛ばす。 「ほー。やりますな」  これにはミナミも感心した声を出す。  錫杖のような細長いもので受けようとすれば鞭は絡みつき、相手の眼球を叩こうと迫る。そこをヒスイは鞭の先端を払うことで威力を殺したのだ。簡単なことではない。  鞭は先端が一番速いのだ。しかもミナミが振るう鞭は水晶のように透き通っており、凡人の目では捉えられない。 何の素材で出来た鞭なのかは不明だが、ミナミが使えば動体視力の良いニケですら目で追えないだろう。 「魔獣に頼りきりのおっさん、ってわけじゃなさそうですねー」  ミナミを見ながら、ヒスイは真面目な顔で顎髭を撫でる。 「ふぅむ……。貴方様もなかなか愛らしいお顔をしておられる。フロリア様に続きこれほどの者に出会えるとは。今日のわしは運がいい!」  ばっと両腕を広げて盛り上がるおじさんに、ミナミの顔が福笑いのように崩れる。 「ニケさん。下がってくださいっす」 「任せて!」  返事をしたのはフリーだ。硬直から抜け出せないニケを抱え、後方に下がる。  ずかずか近づいてくる袈裟男に、牽制を込めて鞭を振るう。鞭はものすごい速度だが、森の樹木にかすりもしない。  ――下手に木を傷つけて、魔蟲(まちゅう)どもの怒りを買うのはごめんですからね。  魔蟲は下手な魔獣より恐ろしい。しかもここは彼らの庭の森の中。魔物ですら魔蟲の相手は避けるだろう。  ヒスイはそれをまたもや正確に弾いて返す。ミナミの鞭もヒスイの錫杖も、素材の分からぬ武器同士。衝突すると凍った湖面に石を落としたような、コォンと澄んだ音が鳴る。 「気味悪いんで近寄らないで下さーい」 「ううん。どうにもその鞭、見た目より伸びている気がしてならんのだが」  ヒスイとの距離はまだ遠い。鞭とはいえ遥か間合いの外から振るっているというのに、鞭はきっちりヒスイに届いている。  ミナミはすっとぼける。 「気のせいじゃないですかね?」 「そのように可愛らしく首を傾げて……。わしをどうするつもりだ」  どうもしないわ、帰れ馬鹿と言いたいのをぎりぎり堪え、さりげなくホクトの様子を窺う。逃げるのはあいつの専売特許だ。こうしてミナミが時間を稼いでおけば、ニケを連れて上手く逃げ出してくれるはず。 「……?」  それを待っているのだが、ホクトはいっこうに動き出さない。つまりはそれだけ、 (このおじさん、隙がないってことやねー)  うわ。もう面倒くさい。時間稼ぎは得意だが、ミナミは戦って強いかと言われればそうでもない。身体も小さいし、筋肉の付きづらい体質。着込んで誤魔化しているが、脱げばひょろっひょろもいいところだ。  目の前のフリーより長身のおっさんは、袈裟の上からでもわかる恵まれた体格。ていうかあれ、生百舌鳥(なまもず)族とか嘘だろ。あんな熊と相撲取れそうな翼族見たことないんだけど。  翼族は空を飛ぶため、骨まで軽量化されている。それなのにあんな重そうな筋肉で武装している翼族なんて……世界は広いのでいるかもしれないが、ミナミは見たことも聞いたこともない。  何とか隙を作らなければならないミナミは、もう一本の鞭も引っ張り出す。  乾いてきた下唇を舐め、不敵に笑う。 「おっと。ニケさんによそ見とかしないで、俺だけを見ててよ?」 「ふむ? そう言われると、断れませんな」  しげしげと視姦され、ミナミは吐き気を覚えた。 (いや、見ろと言ったのは俺だけどやね)  ちょっとは遠慮とかないのだろうか。  一方。逃げ出す隙を窺っているホクトだが。  ――なんだろうな。このキレたボスの近くにいるような不安な感じ。  だいたいその原因はキミカゲだが、彼以外にもごくたまに、竜の地雷を踏み抜く勇者がいたりするのだ。 (隙がないのもそうだが)  背中を見せるなと、本能が警鐘を鳴らす。けっして相手の態度で舐めた真似をするなと。不用意に背を見せるなと。頭の片隅で鳴り響く。  ヒスイから目を離さず、手を後ろにやると、フリーが当たり前のように握ってきた。  ――違う。そうじゃない。  手を振り払い、身体で隠すように背中で親指を人差し指を立てる。 『逃げる準備をしておけ』  ニケたちと考えた、声が出せない場面で使うハンドサイン。使う機会があるとは思っていなかったが、考えておいて良かった。  勘違いをしたのが恥ずかしかったのか、顔を赤らめたフリーはニケを抱いたままじりじりと下がる。  逃げる準備は万全だ。  雪崩村に行く予定だったのにもう下山するのは悔しいが、いまはどうでもいい。  フリーも何とか逃げる隙を窺うが、自身をズタズタにしたあの青い風……青風(せいは)といっただろうか。逃げる背中にあれを叩き込まれては困る。非常に困る。あの時はヒスイも消耗していたようなので、フリーは何とか生き延びられたが。  いまミナミと打ち合っている彼は、まだ消耗もしていない万全の状態だろう。魔獣召喚や青風が使えなくなるまで削ってからでないと、逃げに転じられない。  どんな魔獣をけしかけてくるかもわからないし、そもそも別の魔九来来(まくらら)を使えるようになっていてもおかしくはない。 (うわー。めんどくさ……)    出会いたくない魔獣部門上位がさっきの黒猿だというのなら、獣人部門はヒスイだろう。少なくともフリーの中ではそう位置づけられた。

ともだちにシェアしよう!