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第37話 嫌な視線

 引いたような表情だったが、ニケはそれ以上突っ込んでこなかった。墓石に向き直り、やれやれと肩を竦める。 「はあ。父さん母さん。お爺様。僕は元気にやっております。この白いボケナスは従業員兼家族ですので、ご心配なく」  そう言うと、額がつくほど深く頭を下げた。 「父さん。お爺様の始めた宿を、僕は守れませんでした。不肖の息子で、申し訳ありません」  雪の上で蹲る幼子に、ホクトは声を詰まらせる。  真面目な場面なのにやはりというか、フリーがニケを庇うように割り込んできた。 「ニケは悪くありません! 彼はめっちゃ頑張ってました。怒らないで褒めてやってください! というか、貴方たちにニケを責める資格はないですよ。ニケを置いて逝った貴方たちが悪いんですからね! こんな幼い子を一人にするなんて、なに考えているんですか! 猛省してください。今すぐ!」  あろうことか墓石を指差してがなりまくる。  本格的にめまいを覚えたニケがふらつく。 「おっ……、お、おまっ」 「ニケは悪くないっ!」  ぶん殴って黙らせようと丸めた拳が……動かなくなる。ああ、自分は本当に一人ではないんだと、フリーの姿を呆然と眺めて思う。  そこでさすがに、肩を掴まれた。 「フリーさん。霊前っすよ」 「どうどう。落ち着いて。はい、深呼吸~」  のんきに手を叩くミナミ。  我に返った顔で、言われた通りフリーは大きく息を吸い込み、長く吐き出す。 「……大声出してごめん」 「……ん」  ニケは何かを言おうと口をもごもごさせるも、何も言わなかった。  てきぱきと持参した仏花を墓に添え、線香をたく。  仏花のみを取り扱っている花霊(はなたま)族から購入しただけあり、ここに来るまでの道のりで花がへばるようなことはなかった。瑞々しく咲き誇っている。  お線香はキミカゲの手作りだ。鼻が良い種族用のもので、ニケの嗅覚をもってしても微かな香りしかしない。くすりばこの人気商品だ。 『お線香代金、いくらですか?』 『ん? お金はいらないよ?』 『払います』 『いらないってば』  不毛なやり取りを二十五回ほどして、結果ニケが折れた。しかし、ただでもらうのもあれあので、フリーと交代で肩を揉んでおく。おじいちゃんは幸せそうだった。 「フリーさん。怖いものなしですねー」 「お盆って亡くなったヒトが帰ってくるんでしょう? なら、言いたいことを言っておかないと」  まだ言い足りないと鼻息を荒くするフリーに、ミナミは「いや、本当に帰ってくるわけじゃ……。ううん。でも子どもにサンタさんはいないよって言うみたいで辛い」といった顔で悩んでいる。  そこに、周囲を警戒しつつホクトが近寄ってきた。 「ニケさん」 「はい?」 「なんだか嫌な視線を感じるっす。この辺りに住んでいるのって、ニケさんだけっすよね?」  一瞬怯えた表情をみせるも、ニケはすぐに眉を逆立てた。 「はい。もう少し下ったところに衣兎(ころもうさぎ)族の小さい集落がありますが。この辺は僕と姉ちゃんしか住んでいません」  フリーも険しい目で周囲を見るが、乱立する木々と雪でそう遠くまでは見渡せない。  ミナミが腰の武器に手を添えつつ訊いてくる。 「どんな視線で、どこから感じるんですー?」 「これは……。そうだな。魔獣特有のものだな。数は多くない……。方角はあっちだ」  あえて目線をそちらに向けずに指だけで示す。ばれていることを知らせないためだ。 「そうか」  軽く頷くと、首だけをその指の方角へぐるんと動かす。木々の向こう、枝の上に黒い影。それをこの一瞬で捉えると身体も半回転させ、腰の獲物を引き抜き、振るった。 『!』  ミナミと目が合った相手はすぐさま逃げに転じる。黒い影の動きは決して遅いものではなかった。現に、ミナミと視線がかち合い逃げに転じるまで、一秒もかかっていない。  ミナミの武器は短い。たとえ飛び道具だったとしても、この森の中で動く相手に当てるのは至難の業、不可能に近い。――と、黒い影は油断したのだろう。  だが、それは全くの死角。耳穴の後ろから襲い掛かってきた。  ――シュッ。  小気味よい音と共に、視界に雪雲がいっぱいに移る。何かしらの攻撃を受けたのか、ボトッと地面に落ちる。身体を動かそうにも、まるで手足がないように動かない。ガサガサと音がした方に目を動かすと、「自分の身体」が枝から茂みに落ちたところだった。  落ちた身体に手足はついていたが、鼻から上がなく、噴水のように血を吹き出している。 『……?』  黒い影の意識はそこで終わった。 「――……ッ」  目の前の光景にフリーは驚愕して固まる。何が起こったのかさっぱりだったが、ミナミがその「嫌な視線の主」を片付けたということは理解できた。  ホクトを見上げる。 「な、何がいたんですか?」 「ん? ああ。あれっすよ、あれ」 「……」  目を凝らすも、雪化粧された森が広がるだけだ。  指を差されてもここからでは全く見えない。ホクト達は一体どんな視力をしているんだと思いつつ、そっと立ち上がる。  見に行こうとしたら足払いされた。 「おあっ?」 「不用意に近づくな。魔獣は死んだと思っても、生きている時があるんだぞ。油断するな、ミノムシが」  尻餅をついたフリーの腹に、悪態をつきながらニケが乗っかってくる。  それを優しく抱きしめ、ケツについた雪を払いながら起き上がった。 「あれは、黒亡手長猿(こくぼうてながざる)ですねー。集団で狩りをする魔獣で、すばしっこいうえに知能が高くてめんどくさいやつです。遭遇したくない魔獣上位の常連ですよ」  へらへら解説しながらまた腕を振るうと、伸びきったそれが独りでに戻ってきた。先端を左手でぱしっと掴み、ミナミは手慣れた仕草で巻き取ると腰のホルダーに仕舞う。蛇のようにとぐろを巻くそれは、鞭のようだった。 「なんですそれ? 鞭ですか?」 「無知はお前さんだろう」 「ぐっ」  膝から崩れたフリーの背を慰めるように摩り、ホクトは耳をぴくぴくと動かす。 「一体だけ……みたいっすね」  うんざりしたようにミナミは頭部を掻く。雑に掻いたせいか爪先に染料が付いてしまい、舌打ちする。 「チッ。でも、珍しいですよねー。あの猿は家族同士がくっついて一つの群れになるのに。単独行動しているとなると」  ――ヒスイ、か?  ニケも負けじと耳で周囲を探る。  雪が音を吸い込むせいか、凍光山は基本的に静かな山だ。誰かが潜んでいればすぐに気づけるはずだ。傍には自分より性能が良い丹狼(たんろう)もいるのだ。  それでも怖いという感情が消えるわけではない、ニケは自分を落ち着かせるために口を開く。 「夏エリアに魔獣が近づいてくるのもおかしな話だ」 「そうなの?」  顔を覗き込んでくるフリーに頷く。 「あいつらはもっと標高の高いところに住んでいるからな。こんな低い所では見かけない」 「怪我でもして、群れから追い出されたとか?」  まだ四つん這いのままなフリーに、ニケは首を振る。 「あいつら黒亡手長猿(こくぼうてながざる)は弱った仲間がいると囲んで瀕死にさせ、囮などにして使い潰す。それか単純に餌にするから、群れから逃げること自体、難しいことなんだ」  魔獣図鑑にも書いていないような情報をさらっと語るニケに、ホクトは目を丸くする。 「く、詳しいっすね……。ニケさん」 「祖父から聞いた話です」  たまに宿にくる狩人も自慢げに話してくれたりしたので、無駄に魔獣に詳しくなってしまった。  「この話、本当なのかな?」と疑問をいだくことがあるが、レナに聞いて答え合わせをしてもらっているので、間違ってはいないはずだ。黒亡手長猿のこの「仲間をなんだと思っているんだ」習性も、聞いた時は耳を疑ったものだ。  ミナミがヒュウ~と口笛を吹く。

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